自殺した友について

ずっとずっと考えている。
今が2024年、彼女が亡くなったのが2007年9月12日
そこからずっと引きずってる
悲しかったし、たぶん悔しかった
2週間前に既知の友も合わせて4人で飲んだ
楽しそうに見えた
あのとき、友達の家に集合って約束で、無職のお前は先に来てパソコンいじってたよな
当時のPinterestみたいな、海外の写真公開サイトにミャンマーに行ったときの写真を公開して、見せてくれたよな
また行くのかって聞いたら、あまり前向きな返事はなかったけど、ミャンマーへの旅行の写真は好きみたいな返事はしたよな
その後みんな揃ったからコタツを囲んで飲んだよな、大学卒業後(彼女は留学してたから私の卒業より1年半くらい後だったか)のノリだからスーパーの安いつまみと安いビールやチューハイで乾杯したよな
あれが最後の乾杯になるなんて思わなかった
全く思ってなかった
私は当時就職したばかりの資本主義社会とグローバリズムに侵された安かろう悪かろうの中国貿易をやる中で知った仕組みとチンケな知識を嬉々として披露して、まだ働こうとしない彼女に『いろんな考えの人がいてオモロさもあるし、バイトでも正社員でもいいし大阪に出てきたら?(彼女は和歌山市在住だった)』なんてノンキに言った、ことは覚えてる
何で覚えてるかっつーと、これも彼女の最後の一歩を後押ししてしまったかもしれないという後悔と彼女の溜まりに溜まった心のコップに注がれた一滴、もしくはもっと多い水を注いでしまったかもとずっと思ってるから
そしてそのコップの様子に全く気づいていなかった

ある日、普段は電話なんかかけてこない友達が電話してきて、9月の連休の予定はあるかと聞いてきた
『ないよー』と答える。
少しの沈黙のあと
『○○がね、死んだんよ』
友の涙を我慢するような、必死に絞り出す声
無意味な言葉の羅列、それは人生で聞いたことない一節
動悸がした?手が震えた?何を思った?
今となっては分からない、ただ沈黙という行動に見えた
通話先の友はたぶん泣いていたと思う、彼女の親から連絡があったのだという言葉が聞こえる
空虚な言葉、『いついつに通夜がある、葬式はいつで』は???その辺りで感情が動いた気がする
いやだ、行きたくない
どーしても葬式なんて行きたくなかった

話は遡る。私は高校の頃、同じ団地の棟の子(Aとする)の親が病気で若くして亡くなったとき、葬式に行った。
Aの親とは少なからず付き合いはあった。当時中学生のAの素行が悪い、成績が悪い、親の言うことを聞かないという理由で週に一度私はAに勉強を教えるという名目でAの親からおこずかいとして月5000円渡されていたからだ。はじめのうちは学校の勉強を教えもしていたが、そのうちにAの不満や思いを聞く場になっていた。『どうも母親の行動が怪しい』『行き先も告げず外に頻繁に出ている』『不倫をしているのではないか』この時点でAは母親に不信感を抱いているし、母親は何かを焦っていた。腹を割って話し合ったほうがいい、不倫なんて疑ってないで聞くしかないだろ、他人の私はそう言うので精一杯だ。なんやかんやあって、おそらくその後も家庭内でモメもしたのだろうがAはそこそこの高校に入学したし、何かを相談されることもなくなった。
果たしてそのタイミングでAの母親は亡くなった。ガンだったのだそうだ。長いこと通院していたのだ。Aが疑った母親の不倫は大病のための通院だったし、当時の医療がどうだか知らないが、荒れた中学生のAを残して長期入院なんて考えも出来なかっただろう。Aの母親の葬式にでた。そこで脳天にパンチを喰らったように私は困惑したし混乱した。
享年おそらく50代前半だろうか、もしかしたら40代だったかもしれないAの母親は、私の見知った吃音気味の滑舌に濃い化粧、明るい話し声のあの姿では全然なく、ガイコツそのものだった。
当時学校生活にも家庭にも窮屈さを感じて希望も未来も抱けず、小学校高学年から離人症を発症しミイラと化していた私が体験しうるすべての感覚を以って『死とは』を教えてくれた。魂が身体からなくなる、その様子と比較すればまだ自分はミイラでも動けるミイラだ。頭は混乱して、身体は立ってるのも精一杯だが、ミイラには理性があった。ミイラはご遺体に挨拶をし、去る間際親族席に座る制服姿のAを見た、Aはにこっと何か清々しさすら感じる笑顔でこちらに軽く会釈した。脳破壊された。『君が疑った口うるさい母親は、自身がいなくなる未来を歩かないといけない君をただただ心配した善き母親だった』それに気づいたのはいつ?通夜で一番泣いていたのは私だった。ミイラは当時離人症で喜怒哀楽の怒しか明確に感知出来なかった。感情の制御も出力も狂っているので幼児のようにしゃくりあげて泣いていた。そして団地に帰っても涙がとめどなく溢れて平静に戻れない。理性は『今日はどしゃ降りで一寸先も見えない状態だからこの姿を誰にも見られずによかった。』とか言ってる。棟の前を誰も通らなくて本当によかった。大人が見たら発狂して蹲り泣いている高校生にうつっただろう。







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