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25.からだを変えたいと願う人々
いつか観たテレビで、きれいな女優さんが最近の悩みを聞かれ、こんな風に答えていた。
「靴擦れかな。これ、素敵な靴でしょ?でもね、私今日も靴擦れしてるんですよ。おしゃれするのも仕事のうちだし、こういう靴もよく履くんだから、もう足に『いいかげん覚えて!』って言いたいです笑」
確かに靴擦れはしんどい。
身体全体に対し、あれほど小さい傷なのに、こんなにも不快なのはなぜだろう、と毎回思う。
だから、筆者は靴だけは絶対に通販のみで買うことはできない。
世の中に靴擦れがなかったら、履けた(買えた)靴はいっぱいあるのに…などとたまに考える。
まして、仕事でどんな靴でも履かなきゃならない芸能人の苦労はひとしおだろう。
でも、筆者が最初に抱いたのは、
こんな美貌を持って生まれ、それによって社会的成功を手に入れていても、なお、
からだに変えたいところがあるんだ…という小さな驚きだった。
なぜ肉体改造したいのか
機能性を求める場合
自分の足を靴擦れをしにくい形にしたい、という願望は、美容整形とは違い、機能性を求めてのものだ。
アマゾネスの女性は弓矢を引きやすいように片方の胸を切り落としていたという。
アマゾーンという名前は「胸(mazos)がない(a)」という意味という説が有力だ。アマゾネスは弓を射るときに邪魔にならないように右側乳房を切除したためだ。
でも、普通の人はなかなかここまで思い切れない。
痛いし。
現代でいうと、俳優は役作りのために肉体改造をする。
老婆を演じるために、歯を抜いた女優さんもいたし、
ガリガリの不眠症患者の次にムキムキのバットマンを演じてみせた俳優さんもいたし。
こういう方々は、自分の美意識がどうあれ、与えられた「役」のために全力で己の姿を変える。
これも、演技という仕事のための肉体改造であって、「あるべき姿に近づく」という一種の機能性を求めたものだ。
美のための場合
アノック・ヤイというモデルをご存知だろうか。
↑ 筆者はYouTubeでたまたまおすすめされたこの動画で彼女のことを知ったのだが、
彼女はモデルの世界に憧れを抱いてはいたものの、普通の大学生で、ある日スカウトの目に留まったことで、瞬く間にトップモデルとなったそうだ。
↑ なんと、あの有名なツイッギーも偶然で有名になっている。
そんなツイッギーのキャリアは、16歳の時にロンドン・メイフェアのサロン「レナード」でカットモデルを務めたときに撮られた数枚のテスト写真が、『デイリー・エクスプレス』紙のファッション・ジャーナリストのディアドレ・マクシャリーの目にとまったことからスタートした。
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容姿の美しさは、たしかに人生を変える力がある。
美の基準は人それぞれだし、モデルという仕事がどのくらい素晴らしいものなのか筆者にはよくわからないが、
もしこのふたりが太っていたり、髪や肌のケアを怠ったりしていたら、一生誰の目にも留まることなく人生を終えただろう。
それは、このふたりにとってはきっと不幸せだ。
容姿を磨くことには意味がある、と感じさせるエピソードである。
世の中の押しつけ
【目と目の間が4cm】
離れ目かどうかを判断する基準
【顔の大きさ17cm】
顔の大きさが17cm以下だと小顔だとされる通説
【スペ110】
(身長)-(体重)の数値。痩せているかどうかの基準とされる
【Eライン】
鼻と顎をむすぶ直線のこと。横顔の美しさの基準とされている
10月7日、スキンケアやボディケア商品などを扱う『Dove』(ダヴ)が、“私たちに必要ないカワイイの基準”として展開した広告に書かれた文言だ。
↑ こんなニュースも記憶に新しいが、
このDoveはやりすぎだとしても、世の中にはとにかく、容姿に関する広告が溢れている。
先日、通勤中にふと目に入った脱毛サロンの広告は、
「もう何も怖くない!」と嬉しそうな女の子のイラストをあしらっていた。
脱毛しないと、何が怖いんだろう…?
↑ こういう記事を読むと、ほんとうに些細なことでも美の基準になりうるのだなと実感する。
だって、まちを歩いていると、二重まぶたじゃない人なんていっぱいいる。
そういう人々全員が、「私は二重じゃないからブスだ。どうにかしたい」と思っているわけじゃないだろう。
筆者も完全な一重まぶただが、大して気にしたことはない。
アイプチシールを貼ったり、メスを入れたりして、肌が荒れたり傷が残ったりする方が、よっぽど怖いからね。
なんで理想にはなれないのか
つめたい見出しで申し訳ないのだが、
いくら頭で「美しさは人生を変える」と理解していても、自分を理想の姿にするのはなかなか難しい。
なぜか。
物理的な障害
ひとには体質というものがある。
アレルギーまでいかなくても、ちょっと髪がくせっ毛だとか、
足が幅広だとか、個人差を挙げだしたらキリがない。
たとえば筆者は、もともと肌が弱い。
そのため、脱毛には興味はあっても、なかなか実行する勇気が出ない。
(いつか話を聞きに行っただけで、あやうく契約させられそうになったことがあるし)
同じ理由で、頭皮に負担をかける髪のブリーチなんかにも拒否感がある。
友だちがある日、髪を赤みがかったオレンジに染めてきたことがあった。
その色はその子にとても似合っていて、誰が見ても垢抜けていた。
その当時、ちょうど頭皮の荒れに悩んで皮膚科に通っていた筆者は、
一生ヘアカラーなんて楽しめないのかなあ、と、ちょっと虚しくなったことを覚えている。
経済的なハードル
美容整形にお金がかかるというのは有名な話だ。
整形をしたことがないし、身近にした人もいない筆者も、なんて夢のある技術だろうと思う。
最近は身長を伸ばす手術まであるらしい。
身長なんて生まれつきの最たるものだと思っていたが、多少の苦痛への耐性と海外渡航に耐えるお金さえあれば、もはや高身長すら夢ではないみたいだ。
そう、お金。
この問題はここでもつきまとう。
たとえば、「整形 金額」と検索すると、こんな記事ばかりヒットする。
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大掛かりに整形したい、と思うのは、残りの人生でまだまだ長いこと自分の顔と付き合っていかなきゃいけない若年層が多いだろう。
若者が1000万円近くの自由に使えるお金を貯めるなんて、並大抵の努力では不可能だ。
それだけのお金を稼ぐ間、毎日自分の顔を見つめては、なんて醜い、ここがもっとこうだったら、と思い続けているのだろうか。
そんなに長い期間自分に対してネガティブな感情を持っているとしたら、そっちの方がずっと体に悪そう。
意志の問題
上のふたつに一番関わってくるのが、これ。
自分の体を損なうことなく、脱毛やヘアカラーができる方法を探すとか、
少しでもコストパフォーマンスのいい整形外科を探すとか、
見た目のためだけに手間をかけるのって、結構めんどくさいし、後回しになりがちだ。
容姿を武器に仕事をしている方はともかく、毎日を普通に生きている分には、
自分の容姿を磨くことのメリットは実感しづらい。
それより、欲しいモノとか、行きたい場所などにお金を貯める方が現実的で、目標にしやすい気がする。
まあ、とりあえず痩せなきゃ
筆者の会社では、なぜか秋にも健康診断があるので、もうすぐ、嫌でも自分のからだのスペックを数値化される。
春に比べて、体重が増えていたり、腹囲が大きくなっていたら、やだなあ。
夏は暑いせいで運動不足気味だったし、怖いなあ。
こんなことを考えてしまう筆者も、ルッキズムにしっかり縛られている。
どんな体型も美しいとする「ボディ・ポジティブ」の考え方が広まり始めたのは、2012年。
もう12年も前のことになる。
にしては、ずいぶん根付いていないなあ、と感じるのは、筆者だけだろうか。
どんな人が何を言おうと、人々の頭の中から「もっとからだをこうしたい」という変化への渇望が消え失せることはないのかも。