見出し画像

この世にあってほしいものを作るよ/クリスマスが楽しみ③

クリスマスを目前にもはや財布の紐は弾け飛んでいる。育休中、これまでのお給料より少ないお金でやりくりしてきたので、もう正直に言うとお金を使うのが楽しすぎる。ヒヒヒヒヒヒハハァ!サイコー!

生協に使う予定のお金を毎月夫に振り込んでもらっていたら、使わなかった分のお金が少しまとまったので、それを予算に百町森へ出かけた。夫に返すという選択肢もちらと過ぎったけど(あとは貯金するとか投資信託買うとか)思いついた瞬間に黙殺した。

百町森は、ジェイアール静岡駅近くのおもちゃ屋さん。昔からある木のおもちゃ、本。が、店内にぎゅうぎゅう詰まっている。


メインのお目当ては、ドイツ製のクリスマスツリーとオーナメント。娘のクリスマスプレゼントにする予定だったウォルドルフ人形のキットを、こちらの百町森さんで取り寄せてもらったとき、お店の通信を同封してくださった。

通信に、毎年、このお店で、娘さんとオーナメントを買って、日付を書き入れて飾り、クリスマスが終わったら大事にしまう、という話があって、いいなあ。と思ったのだ。そんなふうに、少しずつ何かを育てるようなお金の使い方や物の買い方をしたい、と思って、静岡まで行った。


娘たちはオーナメントの意味がよく分からず、店内のおもちゃでひたすら遊んでいたので、今年は息子と私で選んだ。息子は銀のベツレヘムの星。私は木製の小さなりんごをいくつか。息子は金色の星を買う、と意気込んでいたのだが売り切れ。手に取ったときは「これー!」とはしゃいでいたくせに、後から自分が手に取った星が金じゃないことを思い出したらしく、「銀なんてぜんぜんよくない!」と急に言い出したが、また来年。また来年、っていい響きだな。待つっていいな、と思う。


木製のおもちゃを見て、こういう手仕事が大事にされている場所がまだあるんだな、と安心する。値段は決して安くない。だけど、その値段に裏打ちされた、手仕事への敬意と愛情を感じる。買う人がいて、作る人がいる。


教員の仕事は大好きだけど、時々、自分のやっていることって何か意味があるのかな、と寂しい思いがよぎることがある。

特に受験対策マシーンにならざるを得ない時期とかはよくない。問題文とにらめっこしながら、この文章がさっと読めたら楽しいし人生が豊かになるとは思うけど、読めなくても幸せに生きていけるよなあ。

でも強いられるからできるようになるという側面は少なからずある。仮にも先進国に生まれて、大学進学を志すのであれば、いろんな社会や世界の不具合を「知らない」で済ませるわけにもゆくまい、そう思うと、大学進学者が最低限のリテラシーを身に着けるのはもはやマナーだと乱暴に論を締めくくって(もちろん生徒にそんなことは言わない)授業案作りに戻る。ことを、毎年繰り返している。

50歳くらいでリタイアして、抽象的な言語とか情報みたいなものでなくて、ずっしり持ち重りのする、本当にそこにあって触れられる、本当に必要だと思えるものを作って過ごしたい。一番は雑穀とか、畑のもの。それから手仕事で作るもの。大事に使えるもの。百町森の、木彫りの天使とか、動物とか、マリア様とかヨゼフとか牛とかろばとか赤ちゃんイエスさまとか、を見ると、そう思った。ずっと作りたいと思っている、樋口愉美子さんの、青い鳥の刺繍をいっぱいにしたポーチのことも、久しぶりに思い出した。いつか作るぜ。じぶんが時間をかけて、ずっと大事に使えるもの。この世にあってほしいものを自分の手でこさえたい。


樋口愉美子の動物刺繍より



いいなと思ったら応援しよう!