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あゝかっぴらけや其御口/Creemaフェスに行ってきた

週末、東京ビッグサイトで開催されたCreemaハンドメイドインジャパンフェスへ行ってきた。

私の愛車は20年落ちの車なので、気の利いた装備は何一つなく、息子は行きかえりに私のスマホでAmazon Prime Musicをチェックするのが常である。2024年に一番再生されたのは友成空「鬼の宴」だった。ヨガの帰り、ラジオからその「鬼の宴」がかかり、「Creema フェスに友成空がやってくる!」とCMが流れた。ワオワオワオ。調べてみたら16時20分から17時出演予定。なんて園児に優しいタイムテーブル。


じいじとばあば(二柱の神)も、3泊4日出張明けの夫(優しいね)も同行してくれることとなり、布陣は完璧。じいじが車を出してくれた(繰り返し神)。

私は通算4年の育休がじわじわと預貯金にボディブローをかましているので、今回は冷やかし。ずっとほしいと思っている、アイヌの「イタ」を見にいった。実物はやはり美しい……。二風谷への憧れがいや増す。


そして思いがけない収穫は、足踏みの糸車で、糸を紡いでいる人を見かけたこと。はあっ……一瞬で目が釘付け。心わしづかみ。やりたい!!!!!帰り際、糸車の横を通り過ぎたばあばが振り返って「これぬーこちゃん好きそうだなってじいじと言ってたのよ~」とニコニコ(義理の娘の好みを見抜く慈悲深き神)。嬉しくてジュキュン(擬音汚い)と来てしまった。


強いて言うならしれっとマーケットへ消えていく夫(寄木細工のイヤカフを買ってきて真顔でほくほくしていた)に、ライブが始まる前にビールを買ってきてもらうことを忘れたことが多少悔やまれるが、それ以外は大満足のフェスとなった。

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絶望は若者の特権である。歳が若くなくても、もし絶望できるとしたら、それは魂が若いのだと思う。とんでもない才能だと思う。ご本人は苦しいと思うけど。「鬼の宴」で「堕ちるとこまで堕ちなはれ」とか、これもまた息子が好きなTOOBOEが「残酷なんだ人生なんて笑えないんだ一生」って歌っているのを聴くとそう思う。


もう30年以上生きているので、自分の身に起きることは、たいていのことがどうにかなってしまうことを知っているし、すごくくだらないことで笑えることも知っている。地獄の聲が耳を打つことも、踏み外すことも、墜ちることも、もうたぶんない。俺も27歳になったら死ぬんだ、って言ってた先輩も、たぶんまだ生きてるだろうなって思う。

私は、絶望できるほど何かに恵まれなかった。悪魔は私なんぞの魂を買ってくれなかった。絶望したい、と望んでいたことはあったように思うけど、私はいつも絶望のかなり手前で、ありきたりの日常を生きていた。それでも自分の可能性のようなものに縋りたくて、びくびく怯えて、のらりくらりと、好きなことに、本気で向き合うことから逃げていた。


私が縋っていた可能性とやらは、年月と些事があらかたを押しつぶした。私は身の程を知った。でもおかげで、才能も努力も足りないくせに、深く落ち込んだり傷ついたりしなくなった。流行りのレジリエンスというやつを身に着けたのである。タラララッタラー。何者でもない私が、何者かになるとしたらここから。それは大それた意味じゃなくて、あくまで私が望むような何者かに。お釈迦が蜘蛛の糸垂らす~遅くはないわ御出でなさい~


▼いつか二風谷へ行ってイタを買い求める予定。


▼ちょっと不安になる映像。

▼息子と娘がワークショップで作った宝石石鹸

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