単純論 単調化

 はじめに、日々の思想・行動によって単調化・純化という二つの概念の移行される現象が単純論の大まかな説明であることを述べた。しかし、単調化と純化がどのような性質を持ち、どのような仕組みで人間に作用しているかが漠然と察することはできつつも明確に判別することは難しく、第三者視点から血潮を見る人間を眺めたところで大まかな変化すら判断に迷うかもしれない。
 そのため、この二つについてより詳しく説明していく必要がある。赤単色よりは、さまざまな色があった方が分散されて良いだろう。
 説明する前に一つ注意点を述べる。単調化・純化は或る一つの現象のみを切り取ってこれが原因だと断定することはできず、様々な状況が複合的に積み重ねられた結果として単純化が生じる。そのため、現象に対する単純の説明は、単純化移行へと傾きやすい割合として説明する方針だが、出来事のみを無作為に弾き出した判別方法を提示されても、それらに対する印象が肥大、過小され、結果として誤解のみが蔓延されてしまう恐れがある。そのような判断に於いて物事を偏り薄く俯瞰することは困難であり、この仮説で用いた出来事に歪みが生じ、無意味な対立を引き起こすのは防止したい。ストーブで火災が起きたからといってストーブの不買運動が発生するわけではないにもかかわらず、市販の製品を危険視する風潮を過度に誇張して、間接的に不買運動を引き起こす様な視野狭窄が世の中のあちこちで多発している。脳の防衛機能が必要以上に働いている証拠である。
 とにかく、単純論は使い手の思想に大きく作用されるため、明確に断言できない優柔不断な仮説だが、他者の態度から多くの背景を派生させる思想行動の手順書として活用するのが最適だろう。


 単調化とは、主に行動を起こす基盤となる意欲が、自分に利益となるもの…娯楽、快楽を追求し、自分にとってマイナス感情の対象となるものを徹底的に忌避する思想行動を有する心理である。
 極端な喩えだとアルコール、薬物の過剰摂取に狂奔したり、不快感を含めると判断した相手を欠点のみの象徴として蔑み、また過去に満たされなかった欲を補填する為にその欲に異常に執着する特徴が見られる。悪影響が認められるにも関わらず快楽の渇望を抑制する制御機能が故障している状態で、その意識が表面化される事で突然感情が暴発し、相手を傷つける行動を選択しやすく、日常生活を送るには相当に不便な意識である。
 この意識の割合が全体的に高い単調化意識の持ち主は、他の領域を想定する思慮が働かず、一点の快楽を貪欲に求め、且つ不快を滅する思想を最優先に採ることから、時に自分の身を滅ぼす結末になりかねない危険性を孕んでいる。
 日常的な人物像でいうと、すぐカッとなるタイプや、相手の言動の一部を歪めて解釈する人物像が該当する。
 カッとなる下地が過去の環境や食生活、その他ストレス面により整い、そこに外側から怒りの材料が出現することで怒りが爆発する仕組みとなり、その思想は自身にとって害となるストレスを作る原因を排除しようと、その行為にしか自身の気力を割かないために高い割合で単調化した思想が剥き出しにされてしまうわけである。そしてストレスを排除しようとする視点にしか目がいかないため、怒りの受け手の事情などは考えもしない。ストレスを抹消することしか考えていないのだからそれも当然だろう。この瞬間は相手を複雑な人間として認識せず、怒りを払拭するためのモノとしか見ていない。ここに複雑性を排し、一つの視点でしか物事を捉えられない高単調化思想の特徴が表される。正気を取り戻した時、一時的にストレスが収まり自分の行為を後悔するというお決まりのパターンをウロボロスの様に繰り返している有様は、見ていて哀れみすら覚える。


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