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米田知子を通してみる、萩原朔太郎の世界。自然の不自然。

萩原朔太郎が感情詩社・白日社出版部の共刊で詩集「月に吠える」を発表したのは1917年のことでした。
1914年から17年にかけて発表した詩から56篇を収録したものです。
北原白秋は、「憂鬱な香水に深く浸した剃刀のような異常な神経がとらえた」ものと評し、西上八十は「現代語をあくまで自由自在に駆使している」ところを佳としておられます。
とはいえ、当時、朔太郎の詩がどれほどの衝撃を詩壇に与えたものか、今となってはその実際のところはわかりません。しかし、上のような評言があるということは実態のひとつの傍証とはいえるでしょう。

もっとも、そもそもの話として、現代の私たちが萩原朔太郎の作品を読んですなおに驚くことは、かなりむずかしいといわざるをえません。
なぜならそれはあまりにも「自然な」表現で、すんなりと受け止められてしまい、なかなか衝撃としてこちらに向かってこないからです。
すでにその可能性の極北にまで達してしまっている現代詩(ないし現代文学、あるいはアート一般)に慣れ、ある意味で鈍磨しきった私たちの感性に、それはどこか懐かしい気分さえもよおさせます。

じつはこのこと自体が朔太郎の事件性を物語っています。
「月に吠える」はすでに百年以上前の作品なのです。
それが「ふつうに」読めてしまうなんて、すこしおかしいではありませんか?

萩原朔太郎は明治11年11月1日、群馬県前橋市の、医師であり地元の名士でもある父のもとに生まれ、とくに母親からは溺愛されて育ったようです。
日本においてよく比較されるボードレールとおなじように裕福な生活のなかで新しい表現をうみだしたわけです。
ただしかのフランス詩人の場合とは異なり、両親に対して朔太郎はかなりの程度従属的で、父親からは「文学などするぐらいなら座敷に飼い殺してやる」とまでいわれた折もこれといった反発をせず、若い頃は自身も口の上では文学ではなく実業で身を立てないといけないと言っていたようです。
とはいえ、事業への興味もやはり口だけのことで、まじめに働いたことはありませんし、留年と退学をくりかえしながら文学誌に投稿したり、東京に通ってマンドリンを習ってみたり、デカダンスの名に恥じぬ放蕩ぶりをみせていたようです。ちなみにこの生活能力の欠如ぶりは死ぬまで改善することはありませんでした。
おもしろいエピソードがあります。
その無能力ぶりを危惧した両親から、厳しい条件付きで許された東京移住の際、なかなか仕事が来ないことを友人の室生犀星に打ち明けたときのことです。彼は不思議そうな顔をしてこういいました。
「こうやって店を張っていても却々原稿依頼の手紙は来ないね。引っ越しの通知は出してあるんだ」
 

天才神話を地で行くごとき萩原朔太郎ですが、彼が知られざる天才から詩壇の寵児へと飛躍したのが1917年の「月に吠える」の発表でした。
ではこの作品の何が衝撃的だったのか。一体、日本語表現の何を変化させてしまったのか。
摩耗しきった私たちがそれを感得するためには、やはりある程度詩作品に体系的に触れていく必要があります。歴史を知らなければ驚くことさえできません。ここではおおまかなところを指し示しておくことにしましょう。
まず朔太郎の先輩世代からいくつかの作品を。

蒲原有明
――淀み流れぬわが胸に憂い悩みの
  浮藻こそひろごりわたれ黒ずみて、
  いつもいぶせき黄昏の影をやどせる
  池水に映るは暗き古宮か。
……云々。

北村透谷
――ゆたかにねむるみどりごは、
       うきよの外の夢を見て、
  母のひざをば極楽の、
       たまのうてなと思うらむ。
……云々。

島崎藤村
――たれか聞くらむ暮れの声
  霞の翼雲の帯
  煙の衣露の袖
  つかれてなやむあらそひを
……云々。

 同世代からいくつか。
北原白秋
――闇の世に猫のうぶごえ聴くものは金環ほそきついたちの月
斎藤茂吉
――猫の舌のうすわに紅き手ざはりのこの悲しさを知りそめにけり

 つぎに朔太郎。
――光る地面に竹が生え、
  青竹が生え、
  地下には竹の根が生え、
  根がしだいにほそらみ、
  根の先より繊毛が生え、
  かすかにけぶる繊毛が生え、
  かすかにふるへ。

  かたき地面に竹が生え、
  地上にするどく竹が生え、
  まっしぐらに竹が生え、
  凍れる節節りんりんと、
  青空のもとに竹が生え、
  竹、竹、竹が生え。


なにか異様な事態が進行しているようです。
むろん、口語自由詩自体はすでに川路柳虹らによってはじめられていましたが、多くの場合、そこで構成される感性自体はおおむね過去に属するものでした。そうした作品とここに挙げた朔太郎のそれとは明らかに何かが違います。
朔太郎において、何かが決定的に変わってしまったのです。

ところで、つい先日、ヨルシカの「月に吠える」が話題になりました。その楽曲がどれほど萩原朔太郎的かは知りませんが、今なお若い人に影響を与え続けている詩人であることは間違いないでしょう。
朔太郎をあらためて読んでみると、異様な形象をちりばめて、意味不通になりかけながらも、全体が織りなすリズムによって、ある世界を表現しているあたりは、やはりさすがだといわざるをえません。
若い人々が感心するのも当然だという気になります。
最後ながら朔太郎の先鋭な表現がほとんどこの一詩集にのみ結実し、あとにはやや弛緩した著作のみが続いたという事実もまた意味深長なものとして想起しておくべきでしょう。
そうした点も含めて、やはり「月に吠える」は現代日本語表現の原点のひとつなのです。

では、何が変わったのか(あるいは何が温存されたのか)?
いよいよこの点を論じなければなりません。

しかしそのことを詳述するためには、残念ながら時間が全く足りないようです。

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