在宅介護アルツハイマー10年戦争 母を「和ちゃん」と呼ぶことに
母の名は和子。昭和元年生まれ。大正天皇がお隠れになって昭和になり、この昭和元年は2ヶ月ほどしかなかったはず。
平和の和。
和子という名前は、この時代に生まれた女性に多い様な気がしてならない。
このnoteに記してることは、母が亡くなって14年が経過し、いろいろ当時を俯瞰できる様になったので後悔と懺悔の意味を含めて書いている。
つまり、現在進行形ではなく「振り返り」になる。で、母という女性はスコブル凛としていた。職業婦人。働き続けた女性だった。
凛という意味の例えでは、家に私がいるとき、真夏などでもシュミーズ一枚 スリップ一枚でウチワを煽ぐなどという姿を見たことはなかった。必ず薄手のブラウスの様なものは羽織っていた。もっとも、首にタオルは巻いていたけれど。
つまり、私の前でオンナの部分? はなるべく出さないように心がけていたような気がする。
そんな母が、アルツハイマーを患い子供返りしたような仕草 行動をするようになった。
凛としていたので、息子である私とは距離感があった。私が中学生になった頃からは必要最低限なこと以外の会話はしなくなった。
それが、母が微笑みながら私に話しかけるようになり、私と母の距離は全くなくなった。
というか、私を頼るようになり、私との会話を楽しんでくれるようになった。
母子というより友達のように接してくる母を私は自然に「和ちゃん」と呼ぶようになった。
自分の母親をちゃん付けで呼ぶとは何事か?
との声も聞こえてきたが、母を介護し見守るのは私だ。聞こえてくる声は一切無視した。
厳しい表情が優しくなった母。
その表情を遺影にしている。