無料公開① プロローグ
2019年11月5日、午後4時ごろ。
私は社内の会議室でいつものように来客の対応をしていました。
そこに秘書が血相を変えて飛び込んできました。彼女の手には1枚の紙。
「社長! どうしましょう、どうしましょう……」
「ちょっと、お客様がいるのにどうしたの! 申し訳ありません、少し外しますね」
彼女に連れられて会議室をでました。
何事かと彼女の顔を見ると、血の気が引いて青白くなっていました。
「その紙がどうかしたの? 見せてみて」
私は秘書から紙を受け取り、目を落としました。
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文藝春秋
株式会社わかさ生活 代表取締役 ⻆谷建耀知 様
《質問状》
拝啓 時下、益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。
小誌『週刊文春』では、女子プロ野球選手の大量退団に関する取材を進めております。その過程で、貴社に事実関係を確認させていただきたいことがございます。つきましては、以下の質問5点について、お答えを頂戴したく、ご連絡させていただいた次第です。
【質問事項】
問1.11月1日に、日本女子プロ野球機構に属する4球団において、指導者を含む計41人が退団の意思を表明しました。この大量退団に至る経緯を教えてください。
問2.日本女子プロ野球機構に属する4球団は、選手をはじめとして、監督、コーチなどが⻆谷社長の意を受けたわかさ生活の担当者からメールなどで突然チームの移籍を指示される体制だったと取材を通じて得ております。こちらは事実でしょうか、お聞かせください。
問3.GPB45や美女9総選挙、制服撮影会のように、選手をアイドル扱いすることで選手たちの練習時間を奪っていたことについてご見解をお聞かせください。
また選手たちは、こうしたアイドル扱いについて不満を抱いていたと小誌の取材で得ていますが、⻆谷様はそれをご存知のうえで選手たちにアイドル活動を強いていたのでしょうか。お聞かせください。
問4.女子プロ野球をサポートするため、株式会社エイジェックが支援の声を上げたにも関わらず、⻆谷様はそれにお断りを申し入れたと小誌の取材で得ております。なぜお断りになったのか、ご見解をお聞かせください。
またその後、今年の8月に日本女子プロ野球機構が赤字続きのため、他企業の参加を求める声明を発表されました。お断りを入れたにも関わらず、協力を求めるに至った経緯を教えてください。
問5.⻆谷様は9月に発売されたスポーツ紙に「選手の推定年俸が200万円」だと書かれたことに対して「誰が言っているんだ! 俺はこんなにだしているのに! そんなことを言うなら本当にそうするぞ!」と激怒されたと小誌の取材で得ております。こちらは事実でしょうか、お聞かせください。
質問内容をご確認のうえ、11月5日(火)の午後5時までにご回答いただきたく存じます。お忙しい中とは思いますが、記事の公平性を期すため、ご回答よろしくお願いいたします。
以上
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最初の感想は、「字が小さくて読みにくい」でした。
私は18歳のころ脳腫瘍と診断され、17時間におよぶ手術の末に命はとりとめましたが、右目の視力を失ってしまいました。
普段から資料などを読むのに人の3、4倍の時間がかかってしまうため、社内の資料はなるべく文字を大きくしてもらっているほどです。
そんなこともあり、なかなか文字が読めなかったので、私の横でソワソワしている秘書にも手伝ってもらいながら、なんとか全てを読み終えました。時計を見ると針は午後4時30分を指していました。
「えぇと……とりあえず、松浪くんにも伝えて」
直前まで取引先との商談、社内の組織に関する会議などをしていたこともあり、「私が携わっている女子プロ野球に関する質問状が届いた」ということは理解しましたが、手紙の真意はこのときはわかりませんでした。
ありがたいことに、取材の依頼は定期的に受けており、女子プロ野球選手へのテレビや雑誌の出演依頼もあります。
今回もそれに似たようなものなのかな、程度に思っていました。
とはいえ、回答期限はこの時点ですでにギリギリです。
奇妙な違和感はあったのですが、とにかくお客様をお待たせしていることが気がかりだったので、ひとまず私は社内で最も信頼できる松浪宏二くんに対応を任せることにして、会議室に戻りました。
その後の商談の内容は、あまり覚えていません。
商談相手には申し訳ないのですが、時間が経つにつれ、違和感がどんどん増してくるのです。
自分が自分でないような、自分を俯瞰して見ている別の自分がいるような、変な感覚がありました。
商談が終わり、相手をお見送りし、いろいろな通知で画面が埋まっている携帯電話に目を落とすと、時刻は午後5時38分でした。
松浪くんが対応してくれたおかげもあり、その日はすんなり家に帰ることになりましたが、まだ違和感はぬぐえません。
なぜ、あんな質問をされたのか。
なぜ、関係者しか知り得ない内容も書かれていたのか。
その夜は1時間ほどしか眠れませんでした。
翌日も朝から予定がびっしり埋まっており、5分も休みが取れない状態でした。
そんなところに、また秘書が泣きそうな顔をしてやってきたのです。
「社長……」
昨日よりもさらに真っ青な顔で差しだされた紙には、派手派手しい色づかいで、彼女に頼らなくても読めるくらいに大きな文字で、こんな風に書かれていました。
《36人退団 あだ名は〝首領さま〟スポンサー社長が支配》
《女子プロ野球選手を悩ませた「女子高生制服撮影会」》
全てのことが、私だけを置いて走りだしているように感じました。
ここではじめて昨日の質問状が女子プロ野球、ではなく、私自身に宛てられたものだということを理解しました。
内臓がズルッと抜け、ボトッと地面に落ちたような音が聞こえた気がしました。
世界が徐々に希薄になっていくような感覚がありました。
しばらく呆然としていましたが、横にいた秘書が「大丈夫ですか……」と声をかけてくれたので、我にかえることができました。
まだ状況はよくわかりませんが、私も30年以上企業経営をしている経営者の端くれです。その日もまだ会議や商談の予定がぎっしり詰まっています。それらをすっぽかすことなどできません。
経営のことや商品のこと、社員のこと、お客様のことを、しっかりと考えている脳はあるのですが、その日だけはそれら全てが薄ぼんやりとした膜の向こう側にあるように感じました。
そして、翌日。
2019年11月7日。
『週刊文春2019年11月14日号』が発売されました。
記事を見て多くの人が連絡をくれました。古くからの友人、女子プロ野球設立に携わった人たち、女子プロ野球を応援してくれている人たち、私を信じてついてきてくれた社員。
いろんな人が私を励まし、私のために泣いてくれました。
そんな彼らの姿を見て、徐々に現状を理解し、自分自身にも大きなダメージがあったことを理解しました。
そして、同時にいろいろな記憶が脳裏を駆け抜けていきました。
幼いころは貧乏で、脳の怪我により右目が見えなくなり、野球ができない身体になった私が憧れた高校野球の輝き。野球に救われた日々。
2007年に、はじめて女子高校生たちが白球を追いかける「女子硬式野球」を見たときの感動。
2009年に女子プロ野球を設立してからの、10年間のさまざまな記憶。
毎年赤字になってしまい、周囲から、ときには社員から怒られても、撤退することなく続けてきた理由と夢。
気づいたときには筆を執っていました。
この本は、決して美談にはならないでしょう。数多くの失敗と、野球を愛する女の子、その家族、応援してくれる人々の多くの汗や涙、喜びや怒りが入り交じった、泥臭いものになるかもしれません。
今回の報道によって、私の中で2007年からはじまった「女子硬式野球」に関するさまざまな記憶と想いを振り返ることができたので、その意味では感謝しています。
私の夢は、
「青春を野球に懸けた女の子たちに、甲子園大会で試合をさせてあげたい」
「野球を愛する女の子たちに、野球で生活できる環境をつくってあげたい」
「NPB(プロ野球)でプレーできる女子野球選手を育てたい」
というものです。
そのために、女子プロ野球をつくりました。
それを誰かが叶えてくれるのであれば、本望です。
もし、未来において、それを叶えてくれる人が現れたときには私の数多くの失敗や、小さな成功を糧にしてもらえればと思い、覚えている限りの全てをお伝えしたいと思います。
いつか女の子たちの夢が叶いますように。願いを込めて。
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Note版 特別コメント
当時、週刊文春からの問い合わせに対応した松浪宏二さんに、当時のことを伺いました。
「質問状が届いた時まずは文春の質問状の意図や事実確認をしようと思いました。
そんな中すぐに週刊文春の発売があり、10年間女子プロ野球の普及と発展のために尽力してきたことを角谷社長の近くで見て感じてきたので寂しい気持ちになりました。
当時の角谷社長は私たちの前では毅然とした振る舞いをされていましたが、私の思う限り、角谷社長も一人の人間ですので本音をグッと押しこらえていたのではないかと思います。
そして、わかさ生活のお客様に被害が無いか、従業員に不安を与えないかと、自分よりも周りの人たちを心配されていた事が印象的でした。」◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
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人生は蒔いた種のとおりに実を結ぶ。
いつかこの想いが届きますように―――。