note「女子プロ野球クライシス」21
9年目の終わりに
2018年末のある日、
私は足早に会社へ向かっていました。
会社に到着し、
会議室に直行すると、
彦惣理事長や運営スタッフ、球団の責任者や
女子プロ野球を支えてくれている
わかさ生活の仲間たちにも
その旨を伝えました。
私が直接、
リーグの運営に関わっていくのは
2010年、2011年以来のことでした。
今まで任せきりになってしまっていた
各球団の経費や収支、計画や戦略、
試合のスケジュールや選手たちの年俸など、
細かい数字を改めて把握しました。
私はよく
「やりたい」「やるべきだ」
と思ったことは二つ返事で
物事を進めるクセがあるので、
後からお金のことや細かい部分で
経理や管理の社員から
注意されることがありますが、
これでも21歳のときから経営をしてきました。
数字がわからない、
読めないわけではありません。
可能な限りの全ての数字を見終わり、
いろいろと考えました。
2007年に女子野球を知り、
2009年にプロリーグをつくり、
2010年に開幕。
2010年、2011年は
多大な投資で環境を整えたことと
物珍しさから、多くの人にリーグの存在を
知ってもらいました。
補助輪を外した2012年と2013年、
リーグは過去最低の数字を記録しましたが、
そこから2018年まで、
毎年1万人以上観客を増やし続けてきました。
選手たちのセカンドキャリアも整えました。
野球少女たちの裾野も広がりました。
もちろん、
想定外のこともありましたし、
完璧な計画、運営だったとは
口が裂けても言えません。
100億円の赤字です。
時間とお金を多大にかけてしまいましたが、
叶えたい夢に向かって、
確実に進んでいる実感はありました。
私の中で、
少しずつ2019年以降の女子プロ野球、
女子野球の未来が形になっていきました。
3つの大改造と1つのアイデア
2019年1月31日、京都。
『日本女子プロ野球リーグ創設者
開幕10周年 所信表明記者会見』
を開きました。
私が女子プロ野球に関することで
メディアの前にでるのは、
これがはじめてでした。
2009年のリーグ設立会見は
片桐前理事長と太田幸司さんに
お願いしましたし、
それ以降は全て
スタッフに任せていたからです。
しかし、
勝負の10年目は
私自ら表に立つと決めたのです。
そこで、大きな方針を発表しました。
1つ目は、
球団の編成を大きく変えることです。
10年目は、
各チームに
大胆な特徴をつけることにしました。
まず、
女子プロ野球設立当初から活躍してくれた
5人の1期生選手を京都フローラに集め、
彼女たちをコアにメンバー構成をしました。
10年間、球団は違えどともに女子プロ野球を
支えてきた同志たちです。
「ベテラン集団」、
「往年の名選手、揃い踏み」です。
それに対して、
埼玉アストライアは
「若手」
を中心にメンバーを構成しました。
フレッシュさと勢いのよさで、
多くのファンを魅了してほしいと
期待を込めました。
そして愛知ディオーネには
年齢、キャリアを問わず
「実力者」
を集めました。
次期日本代表と言われる選手や、
守備に定評のある選手、
また東海地方出身の選手で
メンバーを構成しました。
「ベテランと、若手と、実力者集団」
10年目にしてはじめて、
そんなドラマ的要素を入れました。
また、
今まで別々だった
姉妹選手を同じ球団にするなど、
ファンや選手たち待望の構成も
できる限り実現し、
各球団にカラーをつけ
対立構造をつくることでファンの楽しみ、
選手たちの新たな結束を生みだそうとしました。
これまでにない意図で編成をしたのですが、
パワーバランスも思ったより偏ることがなく、選手たちにとっても刺激し合え、
お互いを高め合える環境になったと思い、
どんな試合が展開されるのか考えるだけで
ワクワクしました。
2つ目は、
前半、後半と分けていたシーズンを
「春季」「夏季」「秋季」にわけ、
関西、東海、関東
とわけて試合を行うことです。
3つ目は、
1日2試合ダブルヘッダー制の採用です。
1日2試合については、
女子プロ野球は7イニング制なので、
これまでは仕事帰りのサラリーマンなどは
少し遅れるともう試合が見られない、
という事態がありました。
そんな「観たい」と思ってくれる人たちに
できるだけ配慮したかったのが理由です。
また、これは運営としてのノウハウですが、
球場の外では近隣の飲食店様にご協力いただいて「キッチンカー」でオリジナルメニューなどの販売をしています。
それが7イニングの1試合だけだと、
売れ残ることも多かったそうです。
1日2試合とすることで、
観客の滞在時間は延びるし、
休憩などで食事をしてもらえるだろう、
と考えたのです。
最後に、アイデアとして
シーズンが終わった11月から2月にかけては
硬式球を使わずプラスチックのボールとバットを使い室内で行う、
「MIX(ミックス)ボール」
を新スポーツとして
開催することを伝えました。
これで選手はシーズンオフでも
野球に触れることができる環境になりました。
新制度を発表した後、
私は集まった報道陣に向かって言いました。
「女子プロ野球にとって
覚悟の1年になります。
今年が最後という気持ちで
やることが大事なのです」
そして、こう続けました。
「今年集客数が倍にならなければ
運営からの撤退も考えます」
会場が、少しどよめきました。
会見後、スタッフが駆け寄ってきて、
不安げに声をかけてきました。
「社長、
あんなこと言っちゃっていいんですか?」
「さっきのは本心だし、
私なりの覚悟だよ。
仮にだめだったとしても
私は女の子の野球を応援することを
やめるわけじゃない」
そう答えました。
その後、選手たちにも同じ話をしました。
女子野球を、一番体現しているのは
もちろん選手たちです。
選手たちの協力なくしては
何もはじまりません。
私の想いを、
多くの選手がわかってくれたようでした。
会見の内容はいくつかの新聞やメディアで
取り上げてもらいました。
もう後には引けません。
10年目がいよいよ幕を開けるのです。
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note版特別コメント
女子プロ野球リーグ理事長彦惣高広さんへ
10年目の節目であった昨シーズンについて
当時のお話と自身の想いを伺いました。
《彦惣高広さんコメント》
10年目のシーズンは
大きな節目のシーズンということもあり、
これまでの集大成であり、
また飛躍をしなければ後がない
という気持ちでしたので、
記者会見に臨む気持ちも
強いものがありました。
この1年がリーグの将来、
そして一緒に歩んできた選手の未来につながるという気持ちに加えて、
何より、現状が世の中に正しく伝わることを一番に願って臨んだ一日でした。
何よりこの1年が、
来年、
そしてその先の10年に繋がるような年にしなければいけないという考えでした。
そのためには
新しいことに常にチャレンジすること、
また、経験をしっかり次世代に残すためにも記録することを重視しました。
その上で、参入してくださる企業や地域との関係を、経験と記録をもとに構築できれば、より多くの方に女子プロ野球を知ってもらえることにつながると考えていました。