note「女子プロ野球クライシス」16
有名税
日本代表との強化試合の成果もあり、
4年目の2013年には
4球団目
「イースト・アストライア
(現・埼玉アストライア)」が設立。
女子プロ野球選手は58人になりました。
2010年設立時の約2倍です。
年明け早々の1月17日に
新体制が発表されました。
西の「ウエスト・フローラ」、
「サウス・ディオーネ」。
東の「イースト・アストライア」、
「ノース・レイア」。
ついに、4球団。
東西体制を築くことができました。
この年から東西2球団が
いわゆるレギュラーシーズンとして戦う
「ヴィクトリアシリーズ」と、
女子野球を全国各地に広める目的で
4球団で2日間のトーナメント戦を行う
「ティアラカップ」
という二本柱の体制となりました。
しかし、選手は増え、認知度も上がり、
体制も整っていったのですが、
事業としては全く上向きにはなりませんでした。
試合数は49試合と昨年を下回り、
観客動員数は3万5012人。
なんと最低だった前年から
220人しか増えませんでした。
選手が増えると
スタッフも増やす必要があります。
そうなると人件費や運営費などの維持コストは膨らむ一方でした。
それなのに収益は上がらず、
といったことが加速度的に
表面化してきた年となりました。
西日本を中心に活動してきた今までと違い、
関東にも試合をしに行くことになり
交通費や、選手たちの消費時間、
また選手たちも、プレーヤーは増えているのに試合数が変わらない、ということで
実質野球をする時間が減ることなど、
目に見えない圧迫が
増えたように感じていたようです。
私も、リーグの成長として
大枠では想定通りの順調さを感じていましたが、現場で起こる細かな不備や伝達ミスによるトラブルなどを耳にする機会が増えました。
そのたびに、
「既存の方法を模倣してもうまくいかないよ。新しいことをしているんだから、
全員で協力して、常に最適だと思えることをやろう」
と伝えるようにしていました。
ただ、
この年は前年の日本代表との対戦や
女子野球ワールドカップの開催もあり、
メディア露出が増えた時期でもありました。
東京MXテレビで
ティアラカップの決勝を
リアルタイムで放映してもらえ、
全国を回る機会も増えたことで
JTBをスポンサーに迎え
「JTB賞」
を設けたりしました。
また、3月~10月のシーズン中は
東京MXテレビにて
「夢・応援! アストライア
~全国へ、そして世界へ~」
という応援番組を流すこともできました。
しかし、それは同時に、
投資額が上がっていくことを意味します。
メディア露出が増えたことで、
記事が記事を呼ぶように、
いろんなインタビューを受けるようになりました。
メディアが注目してくれることは
嬉しいことも多かったのですが、
気をつけなければならないな、
と思った時期でもありました。
とある取材でインタビュアーが、
「動員数は多くなく
収益はあまりないと思うのですが、
採算は取れているのですか?」
「やめようと思ったことはないのですか?」
ということを聞いてきたため、
嘘を言うものでもないと思い、
「正直女子プロ野球は大赤字です。
何度か〝やめようかな〟
と悩んだこともあります。
しかし、私の夢は女子野球の普及であり、
野球を頑張ってきた女の子たちに
いつか甲子園大会のグラウンドで
試合させてあげることなんです。
あるとき、
テレビを見ていて小学生の女の子が
笑顔いっぱいで
『大きくなったら女子プロ野球選手になりたいです』と言う言葉を聞いて、
こんな幼い女の子に夢を与えておいて、
途中で逃げてはいけない!
と思ったこともありますね」
と答えました。
思っていることを素直に話せた
と思ったのですが、
記事の見出しは、
《女子プロ野球は大赤字⁉
スポンサーも撤退を検討》
といった具合になってしまうのです。
内容をしっかり読むと
私の伝えたいことを
汲んでくれてもいるのですが、
やはりマスコミの見出しなどは
扇情的になるものなのだな、
とも思いました。
メディアに
「赤字」、「撤退」
という言葉で報道されることもありましたが、
私は子どものころから祖母の教えで
「何かはじめたら10年は続ける」
という信念を持っています。
やり続けていれば
応援してくれる人も増えます。
それで救われてきた人生です。
もし
「球団を持ってもいい」
という企業があれば、
球団を無償で譲渡して
任せることも厭わないと思っていましたが、
「赤字」「撤退」
といった見出しがでることで、
それはなかなか難しいこととなっていました。
人員、組織、体制としては
4年間拡大路線で進めていましたが、
5年目を前にして赤字は過去最大となり、
定期的にあった社内からの声も
一層大きくなりました。
「3年やって改善の見込みが全くないのは
どうなんでしょう。
現場がやっていることは
ファン交流カードをつくったり、
公式SNSをつくったり、小手先ですよ」
「プロスポーツ、
ショービジネスとしての目玉がなさすぎます。これは運営というより
現場、選手の問題ではありませんか?」
「部活の延長のようになっている。
柔道整復師の学校も行っていない人がいると聞いていますけど、甘やかしすぎではないですか」
女子プロ野球事業を応援してくれている社員だからこそ、厳しい言葉が上がりました。
志や夢、
というものはよほど意識しないと
日々の生活の中で
どうしても弱まってしまうものです。
これは仕事でもスポーツでも同じでしょう。
不幸なことに、
この時期柔道整復師の資格が
勉強不足で取れなかった選手や、
学生気分、部活気分のままで
集団生活の中で他人に迷惑をかけてしまう選手もでてしまいました。
さすがにそのような報告を聞くと
「社会人として、
ここにいてもらうことはできない」
と判断を下さざるを得ません。
さまざまなことが重なり、
反省が多い年となってしまいました。
このときから、
私は一つの構想を考えはじめました。
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Note版 特別コメント
女子プロ野球リーグのスタッフとして
長年活躍し、
埼玉アストライア球団代表として女子プロ野球認知拡大に尽力しておりました、
岩崎恭子さんにお話しを伺いました。
埼玉アストライアにとって
岩崎恭子さんの存在は
なくてはならない存在でした。
上記写真右手が岩崎恭子さん
《岩崎恭子さんコメント》
関東には全国的にみても
女子のチームが集まっていたので、
女子プロ野球があるということを
埼玉から発信していくことで、
たくさんの人に知っていただけるきっかけにしていきたいということと、
女子チームもたくさんありますので、
女の子たちの将来の目標とされるチーム作りを目指していました。
私たちの仕事は、
選手それぞれの魅力を発信して、
お客様には選手の顔と名前を覚えていただいて
より応援していただけるようにするのが課題でした。
選手達とは
毎日顔をあわすわけではありませんでしたので、どのようにしてコミュニケーションを取るかはいつも考えており、
事務所に居る時は
選手間でもどのようなやりとりをしているか
観察していましたし、
監督やコーチなどから
グランドでの様子なども聞きながら
情報を集めていました。
埼玉でも
まだまだ女子プロ野球の存在を知っている人ばかりではありませんでしたが、
最初は女子プロ野球を知らない方
ばかりでしたので、
1から説明しなければなりませんでしたが、
年々認知していただいている方が増えていきました。
年々球場に足を運んでいただけるお客様も
少しずつ増えてきて、
何か取組みをしたいと思った時も
年々協力していただける方も増えてきて、
シーズンを重ねるごとに
いろいろな方々に支えていただいている実感が強くなってきました。