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note「女子プロ野球クライシス」18

理事長交代

 
この5年目には、
もう一つ大きな動きがありました。
 

2009年から
一緒に女子プロ野球リーグを立ち上げ、
ともに走ってくれた

片桐理事長が5月に体調を崩し、
倒れてしまったのです。
 

幸い大事には至らないものだったのですが、
このとき、
片桐理事長といろいろな話をしました。

 
今まで世界になかったものをつくることには、

想像を絶するほど、
周りからの反対意見や批判があり、
それを乗りきるには圧倒的な
努力と精神力が必要です。

片桐理事長はその矢面に立ち、
全てを受け止め、
乗り越えてきてくれました。
 

片桐理事長のおかげで

女子プロ野球はここまできました。
 

選手たちも50人を超え、
組織としても性質が変わってきました。
 

情熱と営業で事業を伸ばしていく、
0(ゼロ)を1(イチ)にする
「創業期」から、

人とともに組織基盤をつくる
「成長期」へと、
ステージが変わったのです。
 

片桐理事長も
そのようなことを感じていました。

そして、
女子プロ野球が
次のステージに進むにあたり、
理事長の交代をすることとしました。

私も、驚くほど自然に受け止めることができ、
後任として相応しい人もスッと浮かんできました。
 

その人が、

現理事長の彦惣高広さんです。
 

彼は「わかさ生活」で
人事の担当をしていました。
 

400人近い社員やパートの人たちと
日々向き合い、
みんなの悩みを解決してきた人です。
 

あるとき、
京都本社の女性社員から
「ストーカーにつきまとわれている」
と相談を受けた彦惣さんは
その日から送り迎えをしてあげて、

なんと
そのストーカーを捕まえてしまったのです。
 

人と向き合い、
人との悩みを解決し、
みんなで同じ方向を見て、
協力体制をつくっていく

という組織基盤を築く
これからの女子プロ野球リーグには、
彼のような人が必要だと思いました。
 

東京オフィスの会議室で、彦惣さんに、

「女子プロ野球の理事長を引き受けてほしい」
 
と伝えると、一瞬も瞳を揺らさずに、

「わかりました」
 
と、即答してくれました。
 

片桐前理事長にも
引き続き力を貸してもらいながら、
リーグは益々その体制を強くしていきました。

 

2015年、
リーグ設立6年目。
 

年間試合数は
81試合と前年より20 試合も多く、
2010年の40試合の倍以上となりました。

観客動員数も
5万8254人と前年から

1万3128人の増加、
約130%の成長を遂げました。

選手の数は63人となりました。

 

この年は新体制のもと、
選手たちと現場の発案で
非常に多くの動きがありました。
 

一般社団法人化した目的の一つである
スポンサー企業募集も本格始動しました。

 
 
災害支援や地域ボランティアの活動を通じて

「地元の人々に愛される球団になる」
ということを、

お題目ではなく
本気で考えはじめた選手たちの発案で

「超・地域密着化」

という計画が立てられ、
球団名にそれぞれ、

「京都フローラ」

「埼玉アストライア」

「兵庫ディオーネ(現・愛知ディオーネ)」

「東北レイア(現・レイア)」
 

と本拠地の名前を冠することになり、

その結果、
兵庫ディオーネは淡路市と

「ホームタウン協定」

というものを結び、
2018年に
愛知へ本拠地を移転するまでの3年間、

地元の人々と
多くの交流をしてくれるようになりました。
 

また兵庫ディオーネは

「ギネスに挑戦する」

という企画を行い、
9人制3分間連続キャッチボールで
160回という世界記録も達成しました。

「130㎞/h投手、
年間5ホームラン打者プロジェクト」

という企画も立ち上がり、

国立鹿屋体育大学に協力いただき、
毎年春、夏、秋に
選手のパフォーマンステスト、
身体能力測定とトレーニング指導を行いはじめました。


優勝を飾った
「京都フローラ」優勝記念パレードは、

なんと
京都市に協力いただき市を挙げての開催となりました。


さらに、

KADOKAWAと共同で雑誌

『女子プロ野球Walker』を創刊しました。
 

全国の書店に

女子プロ野球の魅力や
選手たちの笑顔が載っている本が並びはじめたのです。

反響は大きく、

これを機に女子プロ野球を知った

という人も多くいました。
 

もう一つ、

この年には大きなできごとがありました。

東北レイアを、
入団1~2年目の高卒選手を所属させる
育成チームとすることに決まったのです。

プロ入りする選手たちは
18、19歳の女の子たちが多いです。
 

急な寮生活、長距離移動の連続など
不慣れなことも多く
体調を崩したり、
深夜にお菓子をたくさん食べたりと、

新人とはいえ

「プロスポーツ選手」

としての意識が不足している選手も
多くいました。
 

それもそうです。

数ヶ月前まで
野球一筋の高校生だった子たちです。

社会人として、
プロの選手としての自覚を促すため、

また、

怪我や自己管理、
メンタルケアなどが
きちんと自分でできるようになるまでは、
私たちが責任を持つべきだと考えました。

そのような理由で、

東北レイアを「レイア」という名前に変更し、
1~2年目の選手たちを育てる育成チームとしたのです。

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note版特別コメント

今回は2名の方に
当時のお話しをお聞きしております!

まずは1人目!

現在も
女子プロ野球リーグ理事長として
ご活躍されております
彦惣高広さんに、
理事長就任の依頼があった
当時のお話を伺いました。

《女子プロ野球リーグ理事長 
彦惣高広さんコメント》

選手とは就任が決まる前に
話をする機会が何度かありました。

その際に選手みんなが
口をそろえて言っていたのは、

「女子野球を広めたい。
多くの人に知ってもらいたいです」 

という言葉でした。

その言葉・想いを聞いて、

一つの組織で
これだけ同じ想いや理念を
全員が持っていることは
本来理想だけれど、なかなかない中で、
この組織、そして選手の魅力を感じていました。

ですので、

【理事長に就任】
の話を受けた時、
まず、あの選手たちとであれば
頑張れるという気持ちが一番でした。

今、女子プロ野球界は
発展とまでは言えないですが、
普及は毎年進んでいると感じます。

女子野球をする
競技人口も多くなっていますし、
高校女子硬式野球部も増えています。

ただ、その増加は、
多くの関係者・各団体の尽力もあってのことです。

我々が
選手と一緒に取り組み続けてきていることは、野球教室の実施です。

次世代の子どもたちに
野球の魅力を伝える。

年間400回、
参加者3万人以上の子どもたちとの出会いが、普及そして、その先にある発展につながると信じています。

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高卒ルーキーが2年間所属する
育成球団【レイア】が誕生。

当時は
【東北レイア】
として宮城県に拠点を置き活動していました。

東北レイアでの育成期間を経て
女子プロ野球リーグを代表する選手に成長し
日本代表選手の経歴も持っている
埼玉アストライア中田友実選手へ
お話を伺いました。


《中田友実選手コメント》

育成レイア期間は
野球のことはもちろんですが、
社会人としても学ぶことが多かったです。

公式戦というものは少なかったですが
少ない分、
1試合の重みだったり
1球の大切さというものを学びました。

『トップチームで活躍する選手になりたい!』

そういう想いを
メンバー全員が持っていました。

“勝利”という目標もそうですが、

「己に勝つんだ!」

「誰にも負けたくない!」

という想いで
とにかく練習・必死にプレーをしていました。

辛い練習も多かったですが、
そういう日々があったからこそ
自分自身の基盤が出来たのではないかなと思います。

東北に拠点を置いていると、
東日本大震災の被災地
ということもあったので

“人と人との繋がり”

だったり、

“誰かの為に何かをしたい”

そういう想いが強くなりました。

女子プロ野球選手は、
普通では経験出来ないお仕事です。
皆さんの声援だったり、
地域活動をした際に言っていただく

"ありがとう"

という言葉は今でも心に残っています。

育成レイアから昇格し、
トップチームでプレーすることになって
感じた差は

考え方と技術です。

全て劣っていたと思います。

試合だけでなく一緒に練習した時に
現実を突きつけられ、
自分がまだまだ未熟なんだなと感じました。

「こんな凄い選手になれるんだろうか?」

そう思う毎日でしたね。

良く言うことかもしれませんが
今後私は夢を与えられる選手になりたいです。

女子プロ野球が
野球をしている女の子達の夢の舞台
であるよう、

そして「こんな選手になりたい!」
と思ってもらえるように…。

女の子が野球をすることが
当たり前になる日を夢見て、
私は全力でプレーします!