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note「女子プロ野球クライシス」20


野球少女たちの笑顔

 
2018年、
リーグ設立から9年目のシーズンです。
 
試合数は68試合、前年から3試合減りました。
 

観客動員数は9万6073人。

これは広告に莫大な費用をかけた
2シーズン目の観客数を超え、
過去最高を記録しました。

前年から
1万3580人増え、116%成長。
 
2013年から2018年まで、
毎年1万人以上、観客が増えていました。
 

これは、お金の力じゃない。

選手たちの、スタッフたちの、
純粋な応援者が増えた結果です。
 
選手たちとスタッフは、
確実に、力をつけていきました。

「野球がやりたいだけの女の子」から、

「野球がしたい女の子たちを支える、
夢を届ける存在」

へと成長していました。

選手数も過去最高の70人となりました。

さらにこの年は、
台湾人が3人、
日本でプロ野球選手になりました。
 
特に海外向けに
活動をしていたわけではないのですが、
わざわざ海外から
日本の女子プロ野球を見つけてくれて、
海を越え、
入団テストを受けに来てくれたのです。

「海外の野球少女たちの
夢にもなれているんだ」

ということが、とても嬉しかったです。
 

選手発案の、
サヨナラチャンスの際に
金色のヘルメットを着用する

「サヨナランナー」

という楽しい制度の導入や、

育成チーム「レイア」が
宮崎県と北海道で行われた
アマチュアチームとの女子野球交流大会に
参加したのもこの年のできごとです。
 

また、
小学校に女子プロ野球学習帳を贈呈、
新日本プロレスとのコラボ、
独自映像配信チャンネル
『女子プロ野球ライブTV』の開始など、
さまざまな企画が動きました。
 

ほとんどの企画が事後報告で、
頼もしさを感じる一方で

「それってどうなの?」

と思うものもありましたが、
選手や観客が喜んでいる、と聞くと
「それならいいか」と思っていました。
 
この年、私が最も嬉しかったのは
「野球少女のオールスターゲーム」
を開催したことでした。
 
2018年8月12日。

 
京セラドーム大阪に、全国から
「野球少女」が集まりました。

下は小学一年生の女の子から、
上は中学・高校の女の子まで。
 
プロ選手がコーチとなり、
野球少女たちが夢の競演を果たしたのです。

 
その景色を見た私は、
雷に打たれたように動けなくなりました。

 
みんな、弾けんばかりの笑顔なのです。
 
それでいて真剣に、野球をしているのです。
「ああ、これだ」

 
素直にそう思いました。

私が守りたいものは、これなのだ、と。

2007年に、
はじめて女子野球に出会い、
号泣する女の子たちを見てから、11年。
季節は、奇しくも同じ夏でした。

「女の子が野球をする」という人生の、
キャリアのモデルが、
これで一周したと感じました。
 
ギリギリ、

プロ設立10周年には間に合いました。
 
最初は、私1人でした。
 
片桐前理事長が手伝ってくれて、
2人になりました。
 
福知山成美高校に
女子硬式野球部をつくったとき、
5校しかなかった女子硬式野球部は、
全国に38校まで増えました。

(準備校含め40校)

高野連にはじめて問い合わせたとき、
「女子の全国大会を決勝戦だけでいいので、
甲子園でやらせてあげてもらえないでしょうか」
 
と言いました。すると、

「少なすぎるね。せめて30校はないと」
 
と言われました。その日から、

「女子野球部をつくりませんか?」
 
とたくさんの学校に声をかけ続け、
断られ、また別の学校に声をかけ。
 
一校ずつ、一県ずつ。
 
30校を超えたときに高野連を訪れると、
「全国大会するなら、
各都道府県に1校はないとね」
 
と言われました。
 
言っていることが違うじゃないか、
と思いましたが、めげずに続けました。
 
それも、あと少しです。

「私たちも野球ができる」

と気づいてくれた
女の子たちがたくさん増えました。
 
この10年間で
約600人だった女子野球競技人口は、
2万人を超えたのです。

100億円

 
怒涛の9年目が終わり、
いよいよ翌年は2019年。

節目の10年目です。
 
しかし、

2019年を迎える前に、
私の前に大きな問題が
立ちはだかっていました。
 
累計赤字金額が、
100億円に達するのです。
 

ここまで、
周囲からいろいろと言われながらも、
その都度想いを伝えることで
何とか納得してもらっていました。

しかし実際は、
毎年各チームに監督や選手の人件費、
選手への報奨金、家賃補助、
食費補助などの手当、試合の移動費、
広報宣伝費、野球用具代など

2億円から3億円の経費が発生しています。
 
9年間で収支が黒字化した年はありません。
 
経理の担当者からは
毎年厳しい意見を貰っていましたが、
年々その声が大きくなってきていました。

10年目を迎えるにあたり、
いよいよ後はないぞ、という様子で、

「いつかは、いつかは
と言っているのですが、
いつ改善するんですか?」

「毎年赤字にも関わらず
どうして女子プロ野球選手は
給料が年々上がっているんですか?」

「20代後半で
年収740万円とか980万円とか、
少なくても350万円ですよね?
同年代平均以上の年収があるのに、
なぜ食費込みの家賃補助が必要なのですか?」

「実質8ヵ月しか働いていませんよね? 
選手はシーズンじゃない4ヶ月は
何をしているんですか?
少しでも売上に貢献しているんですか?
トレーニングでお金は貰えませんよ?」

「なんで選手への報奨金が
合計1800万円もあるのですか?」

「現場は
お金が無限にでると思っていませんか? 
今年はどんな
経営計画を立てているんですか?」

「メディアから
散々に言われることもありますが、
どう対処するのですか?」

と言ってきました。
 

厳しい意見でしたが、
そこに悪意や、女子野球そのものへの
バッシングはありません。

純粋に、女子野球の将来を思っての意見です。

それがわかるだけに、心に刺さりました。
 

新規参入を検討する企業からも

「わかさ生活が選手に対して
保障している条件のハードルは高い」

と言われることもありました。
彼も同じことを考えていたのでしょう。
 
私としても、
そろそろこの問題に
結論をださなければいけない
と思っていました。
 
2009年、選手たちに伝えた、

「10年以内に
1000万円プレーヤーが生まれるように、
私たちも頑張るから。
みんなも、野球に、女子硬式野球の発展に、
力を注いでほしい!」
 
という言葉。
 

祖母の教えである
「何かはじめたら10年は続ける」
という信念。
 
そして、累計赤字が100億円。
 

私の中で
さまざまな数字が符合するように
ピタっと揃いました。
 

私はすぐに彦惣理事長に話をしました。

「これまで彦惣くんに全て任せていたけど、
来季は区切りの10年になる。
来季は、私がマネジメントをやらせてもらう」

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note版特別コメント!

2018年、
女子プロ野球リーグ
オールスターゲーム開催後に
『野球少女のオールスターゲーム』として
野球少女達の試合を行いました。

女子プロ野球選手は
少女達のベンチに入って監督をしたり、
中には低学年少女が守備につく際は一緒に守ったりしました。

野球少女のオールスターゲームで
実況として試合を見ていた
愛知ディオーネ笹沼菜奈選手へ
当時のお話を伺いました。

《笹沼菜奈選手コメント》

企画を知った時は、
“素敵な企画だな”
とまず思いました。

私たちは普段から野球教室などで
野球少女達と触れ合うことありますが、

実際にその子達のプレーを見る事は
なかなかなくて・・・

はつらつとプレーしている姿を
間近で見る事で、
私たちも初心に立ち返る事が出来ました!

全国にたくさんの野球少女がいて、
野球は男性だけのスポーツでは無くなってきているというアピールの場にもなったのではないかなと思います。

女の子が以前よりも
気軽に野球ができる環境は
出来つつありますが、
「快適に」「何不自由無く」
という所までは至ってないと思います。

私ひとりの力では何も変えられませんが、
なるべく多く
野球少女がいるチームに出向いて
触れ合うことで、
常に女の子達の憧れの存在であり続ける事が
必要だと思います。

その過程で、
技術だったり、人としての部分を見て

“こんな選手になりたい!”

と思ってもらえる選手でいたいと思います。