無料公開⑤ 高校野球だけが生きる理由
相変わらず仕事は見つかりませんし、貯金も、全くありません。
その日も仕事は見つからず、神戸の水道筋商店街をとぼとぼと歩いていました。
そんな中、ふと目を上げると、電器店のテレビに高校野球中継が映しだされていました。
(……あ、忘れてた)
テレビから漏れ聞こえてくる、高校野球特有の実況の声。
(もうこんな時期だったんだ)
自然と立ち止まり、時間を忘れて、ぼーっとテレビを見ていました。
(今年も箕島がでてるんだ)
自分の今の状態を忘れ、自然と頭は野球のことを考えていました。
(天理、東北、習志野、高松商、浜松商……へぇ~、センバツは高知商が優勝したんだ。知らなかったなぁ)
のちに「大ちゃんフィーバー」と社会現象となる1年生投手・早稲田実業の荒木大輔選手が登板していました。
高校野球を見ている間は、全てを忘れられました。
それから数日間。
お金がないので食事もとれず。
ボロアパートで寝て、
起きて、
電器店のテレビで甲子園を観る、という生活をしていました。
甲子園を観ることだけが、生きる理由でした。
しかし、何か、前年までの気持ちで観戦ができない自分がいました。
(なぜだろう……)
そう考えていたら、
「すごい1年生だなぁ。まだ16歳だろ」
という言葉が聞こえてきました。
ハッとしました。
決勝戦のこの日は8月22日。
前日が私の誕生日で、もう19歳になっていたのです。
身体に稲妻が駆け抜けました。
テレビの向こうで命を燃やしているのは、全員が年下の高校球児。
私は、ボロアパートから電器店に来て、ぼーっとテレビを見ているだけ。
心の奥底から、
「こんなことをしている場合じゃない!」
という焦りに似た気持ちと同時に、なぜか、
「甲子園球児に負けたくない……!」
という情熱が湧き上がってきました。
私はまともに野球をしたことはありません。
甲子園球児にライバル心を燃やすのはおかしい、と自分でも思います。
でも、なぜか、心に浮かんできた言葉でした。
おそらくこのあたりが、「少し異常だ」と言われる部分なのでしょう。
それほどに私は、高校野球が好きなのです。
私はすぐに電器店の前を離れ、書店に向かいました。
求人雑誌を立ち読みし、何社か電話をして会社訪問をしました。
10社、20社と断られて30社目。
断られてもいいから、自分の過去と現状を全て話そうと心に決めました。
すると面接官に、
「いいよ。うちで働くか? 寮もあるよ」
と言われて本当に驚きました。
数日前まで死にたい、死にたい、と思っていた私が。
顔が浮腫み、髪も生え揃っていない私が。
右目が見えない私が。
たった数日、甲子園中継を観ただけで。
活力が湧き職を手に入れることができたのです。
生きる情熱を、取り戻していたのです。
高校野球が、私を生かしてくれたのです。
お礼を言って帰ろうとすると、面接官から、
「ただ、接客中は帽子をとりなさい」
と言われました。
当時私は、大きな頭の傷を隠すために帽子を目深に被っていました。
他人に指を指される恐怖からです。
でも、面接官はもしかしたら、
「ありのままの自分でいなさい」
と言ってくれていたのかもしれません。
もう逃げない、甲子園で活躍している年下の高校球児に負けていられない──。
「俺も、頑張るぞ」
そう強く、強く、心に刻み、その日から帽子を被らなくなりました。
社会人になり、経営者となった今でも辛いことがあったときは高校野球に助けてもらっています。
時間を忘れていろいろ調べたり、活躍のニュースを見たりしているうちに、
「さぁ、頑張るか!」
と前向きな気持ちになります。
高校球児たちのひたむきな姿勢や、正々堂々と闘う闘志は、いつでも私に生きる活力を与えてくれるのです。
女子硬式野球に出会った日も、甲子園ではじめて試合を観戦したときと同じように興奮しました。
だから私は思ったのです。
「この子たちの将来の手助けがしたい」
「私を救ってくれた高校野球に、恩返しがしたい」
「青春を野球に捧げた女子球児たちに、甲子園という夢を見させてあげたい」
と。
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Note版 特別コメント
「この子たちの将来の手助けがしたい」
女子プロ野球が創設されるきっかけとなった女性であり、現在も女子プロ野球選手として活躍する
三浦伊織選手
から、コメントをいただきました。
「わたしはこの10年でたくさんの経験をすることができましたと思っています。
実は私、一度は野球を辞めた経験があるので…
今こうして大好きな野球を女子だけで、
プレーできることに幸せをすごく感じているんですよね!
角谷社長が女子プロ野球を作って頂いたおかげで今のわたしがあるとずっと思っています。
わたしは高校野球を経験していないので正直わかりませんが…
大好きな野球を大好きな仲間とできること、
それが甲子園でできるとなると凄く幸せなことだろうな~と思います!
その日がいつかくることを願ってわたしも自分にできることを一生懸命プレーしていきたいと今改めて思います」
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人生は蒔いた種のとおりに実を結ぶ。
いつかこの想いが届きますように―――。