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無料公開⑦ 女子プロ野球、始動

2008年4月2日。

私はまた「スポーツピアいちじま」に来ていました。
第9回全国高等学校女子硬式野球選抜大会を観るためです。


隣には、広告代理店の営業マン、片桐諭さんの姿がありました。

見た目がいかつくコワモテな彼ですが、とても情に厚い人間です。

信頼できる仕事のパートナーでもありましたし、彼は熱心な阪神ファンであり一緒にプロ野球を観に行くこともある仲でした。


最初は「興味がない」と言っていた片桐さんでしたが、試合を観ると私同様に驚いていました。


「なんか男子と違って、いい意味で和気藹々(あいあい)としていますね。〝野球ってこんなに楽しかったんだ!〟って、こっちまで楽しくなってくる」


片桐さんも決勝戦を観終わるころにはすっかりノリノリでしたが、試合が終わって号泣する女の子たちを見て涙ぐんでいました。


「今日はこれから社に戻るの?」
「いえ、直帰です」
「じゃ、食事でも行かないかい? 実は今日、片桐さんを誘ったのには理由があるんだ」


京都駅前にあるレストランに行き、食事をしながら、彼に単刀直入に伝えました。


「女子プロ野球リーグを創りたい。片桐さんに手伝ってほしい」


「え、ええ……⁉ じょ、女子プロ野球⁉」
 彼は話についてこられない様子でした。


「片桐さんも見ただろう。おしゃれ心の芽生える年ごろの女子高校生たちが、青春を懸けて白球を追いかける姿を。弾けるような笑顔と、試合後の涙を」


私はこの一年で知ったこと、考えたことなど、想いの全てを伝えました。


「プロ球団があれば、あの子たちの〝夢〟のお手伝いができるんだよ! 野球を続ける希望になれる! 女子硬式野球を援助してあげたい」

片桐さんはどんどんヒートアップする私の話を制するように言いました。


「で、でも⻆谷さん、少し落ち着いてください! 男子のプロ野球でも一部の人気球団以外は結構運営が大変なんですよ。
 しかも、女子硬式野球なんて一般に認知すらされていない……確実に赤字ですよ。お気持ちはわかりますが、援助というものは危険を冒してまですることではないと、僕は思います」


片桐さんが真剣に私の話を聞いてくれいるのがわかりました。


「言葉が悪かった。〝援助〟じゃない……僕にとって〝恩返し〟の一つなんだ……」


私は、自分にとっての〝恩返し〟の意味を片桐さんに伝えました。


子どものころの怪我が原因で、学校の体育の授業も受けられなかったこと。

大学の入学式の直後に脳腫瘍の手術を受け、それによって右目の視力を失い、つかれが限度を超えると頭痛とともに痙攣の発作を起こすようになってしまったこと。

商売の関係者に裏切られたこと。

阪神・淡路大震災で被災者になったこと。

そして、そういうときはいつも誰かが助けてくれたこと。

野球が助けてくれたこと。

仕事で夢が見つかったとき、それが本当に自分を支えてくれると気づいたこと。


「だから、今度は自分が社会に恩返しする番なんだ」


全てを告白すると、片桐さんは目に涙を浮かべ、


「わかりました! その夢のお手伝い、させてください!」


周囲の目を気にせず、大きな声で答えてくれました。

それから片桐さんは、女子プロ野球設立のために身を粉にして働いてくれました。


社長業、学校の理事長業、女子硬式野球部設立と、手が回らなかった私に代わって国内のあらゆる団体に挨拶して回り、球場の日程調整、野球用具、ユニフォーム、広告やプロモーションなどのあらゆる手配を進めるとともに、多くの企業に協賛、協力を募ってくれました。


しかし、片桐さんが言う通り利益が見込めない事業である女子プロ野球に対して、周囲の反応は相当冷たいという話はいつも耳にしていました。

周囲の反応に、片桐さんはときに涙を流しながら反論してくれました。後々それを聞いて、口にはださなかったけれど、私は心底嬉しく思いました



私も経営者の縁を使っていろいろな人に会って話をしていました。


しかし、会う人会う人、賛同してくれないどころか、批判や反対意見ばかりを言ってくるのです。

さすがの私も、八方ふさがりを感じていましたが、片桐さんのおかげで前を向くことができました。


そんなとき、福知山成美高校女子野球部の長野監督から

「会ってほしい人がいる」

という連絡がありました。

その人は、当時ワールドカップを制した女子硬式野球日本代表の投手です。

とにかく会ってみたいと思い二つ返事で了承しました。


はじめて彼女と会ったときのことは鮮明に覚えています。


堂々としていて、誠実そうな印象を受けました。


「私は短大を卒業して、スポーツクラブやベースボールスクールでインストラクターのアルバイトをしながら、大阪のチームに所属して硬式野球をしています」


いろいろと話をする中で、何気なく彼女がそう言いました。



世界一のピッチャーが、アルバイトをしながらでなければ、野球ができていないという現実を知り、正直、私は驚きました。


私は、つい尋ねてしまいました。



彼女は少し考えて

「……そうですね。世間的に言うと趣味でしょう」

と答えてくれました。

「ソフトボールであれば、有利な就職があったのでは?」

「ソフトボールももちろん好きですが、野球以上の情熱は感じられませんでした」


彼女は、小学生の終わりごろから硬式野球をはじめたものの、中学に上がるとき「女子だから」という理由で受け入れてもらえませんでした。


彼女の周りには、女子が野球をする環境がなかったのです。


彼女の野球への愛と、苦労を想うと、つい次々と質問をしてしまいました。

「やっぱり、環境は大きいですよね……今は、晴れた日には河川敷で、雨の日は高架下で練習していると聞きましたが、グラウンドを借りたりはできないんですか?」


「チームのメンバーのほとんどがアルバイトで生活しているので、試合以外にグラウンドを借りる余裕はないんですよ。でも、野球がしたくて自分から望んだ生活なので、河川敷でも、高架下でも、場所があるだけありがたいと思っています」

彼女は欠片も後悔や辛さを感じさせない、凜とした声で答えます。


「そこまで苦労して野球を続ける理由ってなんですか?」

「好きだから。それだけだと思います」

即答でした。
本気なんだな、と感じました。


「……、失礼ですけど、今の生活は何年くらいになるんでしょうか?」


「5年です。野球への情熱を捨てきれずにいたのですが、今年限りかな、と思っていたんです……」


そこまで、すらすらと答えていた彼女が、少し言い淀みました。


「あの、女子プロ野球リーグをつくりたいって伺ったんですけど」


そして、一呼吸置いた後、彼女はまっすぐ私の顔を見て、言いました。


「『女子プロ野球』なんて、信じていいんでしょうか⁉」


あのときの彼女の純粋で、情熱に燃えた目を、私は今でもはっきり覚えています。



彼女との面談を終え、私は女子プロ野球設立への決意を新たにしました。

数日後、その日は休日出勤であったため仕事を早めに切り上げることにしました。
夕日が差し込むガランとしたオフィスをでようとしたとき、ふと彼女のことを思いだしました。


「今日は晴れてるから河川敷で練習しているのかなぁ」


気がつくと、私の足は河川敷に向いていました。

休日の河川敷は学生のサークル活動や近隣住民のレクリエーション、家族の憩いの場として賑わっていました。


その隅っこで、数人の仲間と野球の練習をしている彼女を見つけました。


「おお、やってるやってる」


遠くから眺めていると、ノックをしていても地面の整備がされていないので、石ころやでこぼこの土によってイレギュラーバウンドのオンパレードでした。


野球をするには最悪な条件だな、と思ったのですが、みんな心底楽しそうに、泥まみれになりながら躍動していました。


彼女は雑草が生い茂る場所で、草でほとんど見えなくなったミットをめがけて投球練習していました。


そんな姿を見て、私はすっかり感極まってしまいました。


青春時代に燻ぶらせていた情熱の炎を、精一杯燃やそうとしているように見えたのです。


自分で勝手に応援しようと決めたくせに、ちょっと周囲から冷たい反応をされたくらいで、自信をなくしかけていた。


もともと、自分ひとりでやると決めたことです。


今さらあちらこちらに協力者を募っても仕方ない。


などと考えていたとき、


「おっちゃん、大丈夫?」


と、河川敷そばの土手に座っていた私に、小学生くらいの子どもが話しかけてきました。


「どこか痛いん?」
「え……? いや別に……」
「じゃあ、どうして泣いてるん?」


自分でも気づきませんでしたが、私は泣いていたようです。
小学生に茶化されながら、もう迷わないぞ、と心に誓いました。


何をするべきか。

何をしたいのか。

自分の中で鮮明に形が見えて来ていました。



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Note版 特別コメント

「女子プロ野球を創設する」と決意し、1番はじめに相談した相手。
女子プロ野球リーグ初代理事長であり、2020年シーズンより再び理事に就任された

片桐諭さん

にコメントを頂きました。

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女子野球をはじめて見た時、野球は元々大好きだったので、よく観ていましたが自分の知っている野球とは全く違う競技を観ている感覚でした。

なので女子プロ野球を作りたいと聞いたときは、正直、ビックリでした。

クラブチームや実業団チームではなく、プロ野球リーグそのものを作るということに。

さらに、5年先や10年先ではなく、「今」ということにビックリしました。

今までお世話になったことへの恩返しと自分自身のチャレンジとして。

角谷社長とは長くお付き合いしてもらっていたので

「この人が本気なら」

と思い、私も決意しました。


いざ、動き出してからは大変さと楽しさが同居していました。

それは、女子が【プロとして】野球をすることへの理解を得ること。

でも、ひとりひとり仲間が増えることも経験できました。


今の女子野球界に対して思うことは、

野球をしている男の子が

「プロ野球選手」や「メジャーリーガー」を目指すように


野球をしている女の子が

「女子プロ野球選手」

を目指すことが、昔より当たり前になったこと。

目指せる環境ができたこと。


それに対する喜びと誇り。

それが全てです。

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女子プロ野球リーグ

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人生は蒔いた種のとおりに実を結ぶ。

いつかこの想いが届きますように―――。