見出し画像

ド直球で伝えたい、心の中の叫び

長年サラリーマン(潜入捜査)をしてきて、気づいたことがある。それは、日本人がどれほど「奥ゆかしい」かということ。いや、ちょっと大げさに言い過ぎかもしれない。でも、ハッキリ言おう。私たちは本質から逃げている。もっと言うと、誰かのせいにして、責任を他人に押しつけることばかりしている。

他責の達人たちの多くが、最初に何かを言うときに必ずこう言う。「〇〇さんが仰るように」「〇〇さんに言われたんだけど」「〇〇さんが言っていたよ」と、他人の意見を持ち出す。じゃあ、お前はどうなんだ? 本当にそれがカッコいいと思っているのか?

他人の意見で自分を飾り立てることが、いったいどうして「正しい」ことになるんだろうか。主語を他人にしてばかりで、自分の言葉を発しない。それが、今の日本の風潮だ。まるで、周りの目を気にして、本音を語ることが許されていないかのように。

本音を言うことが、どれだけ怖いことなのか。それを日々感じている人が多い。特に若い人たちに接する機会が多いが、彼らは「失敗したくない」「怒られたくない」「否定されたくない」と言って、何も言えなくなる。私は、そんな彼らにこう伝えたことがある。

「もしも今日、あなたが突然命を終えたとして、悲しむ人は数人かもしれない。けれど、残りの80億人はあなたの死を知らない。そんなものだよ。」
それでも、彼らは何かを言いたくても、なかなか言えない。わかってほしい。でも、わかってほしくない。自分の本心を素直に出せない、そんなジレンマに苦しんでいる。

不安で、恐れが先に立つ。怖がっているのは、失敗ではなく、他人の反応だ。怒られること、否定されることが怖い。だが、私は言いたい。そんなことで悩む人生は、あまりにももったいない。

「素直に言えばいいじゃないか」と、私は彼らに伝えた。でも、どうしても言えない。どこかで「察してほしい」という気持ちが働いているのだろう。

私自身、ド直球で生きてきたつもりだ。本音で語り、言いたいことを言ってきた。おかげで、上辺の関係が一切なく、信頼できる人たちに囲まれている。それでも、時には「何を考えているかわからない」と言われることもある。余程、本音で語り合うことが少ないのだろう。

それが悲しい。寂しい。自分の本音を語れない人生ほど、空虚なものはないと思う。

仕事で接する若者たちは、恐れに囚われている。「失敗したくない」という恐怖が、彼らを動けなくさせている。だが、それがどれだけ無駄なことか。人生は、失敗してなんぼだ。失敗しないと、次に進めない。なのに、失敗を恐れて何もできないなんて、あまりにももったいない。

「あなたが今日、死んだとして、80億人があなたの死を知らない。」この言葉を伝えたとき、彼らは少し考えた。それでも、まだ怖がっている。怖がって、自分の気持ちを伝えられない。そんな自分に、私は強く言いたい。

「まずは、聞かれたことに答えてみろ。」大人たちも、気づかないうちに答えを避けることが多い。会話を避け、目を逸らして。そんなことを繰り返すから、コミュニケーションが希薄になる。

ある部下との会話を思い出す。「最近、頼んだこと、全然やってないけど、どうして?」と聞いたとき、彼女はただ「すいません」と言うだけ。その理由も言わない。「どうして?」と問いただすと、また「すいません」と繰り返す。

こんな会話、何の意味があるのか。どうして素直に「やりたくない」と言えないのか。それでも年収300万以上もらえるという現実。これが、今の日本の現状だ。何も言わず、何も変わらず、それで生きていける社会。

それでも、私は信じたい。ド直球で、素直に生きることができれば、世の中の問題はもっとシンプルに解決するんじゃないか。もしかしたら、想像以上に難しいのかもしれない。それでも、私は信じている。

本当の自分を、素直に表現して生きる。それが、私の目指す人生だ。

いいなと思ったら応援しよう!