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【海外登山ネパール】Naar Phu渓谷とアンナプルナ山域テント泊21日間の旅⑥
どの山に登ろうか?
今朝はゆっくり起床、8時に朝食をとりにダイニングテントへ。
今日は私たちが登りたい山を選ぶ日。
ピーターは地図をダイニングテーブルに広げ、「ここ面白そうやと思わん?僕、ここに登りたいわ」と人差し指で地図をさします。
ピーターは若い頃からロッククライミングを専門として、イランやアフガニスタン、南米の岩登りをやってきた人です。
ロッククライミングの経験はあるとは言えど、ほとんど初心者と言ってもいいぐらいの私の力量で登れる山なのか…私は急に不安になり、パサンに「この山、私でも登れそう?無理やったらハッキリ言うてな。足手まといになったらいかんから」と言うと、パサンは「大丈夫。登れると思うよ」とにっこり。
「登れると思うよ」=「登れるよ!」ではないことが少し気になりましたが勉強できる良い機会を与えてもらったと思い、去年のラダック登山から使っていなかった高所用ブーツ、クランポン、ハーネスを身につけました。
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(ピーター撮影)
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(チェワン撮影)
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(チェワン撮影)
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後方、余裕のオーラ全開で私を見守るパサン
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下を見ると達成感が湧いてきます
毎回ロープで繋がる時は、抱いていた不安が消え、気が引き締まる不思議な瞬間です。
私の力量をこえた難しい箇所も多々ありましたが、パサンのサポートとピーターのアドバイスでなんとか3連峰を登りきることができました。
心地良い疲労感を感じながら、無事にキャンプ地まで帰って来れました。
下山のススメ
キャンプ地に戻り、遅めの昼食をとっている時です。
パサンが「昼食後のプランをたてよう」と言いながらダイニングテントに入ってきました。
すぐさまピーターが「もう一山、登るのもええなぁ!」と言います。
感心するほどの体力・気力の持ち主です。
するとパサンが私を見て、「僕はスージ―(私の呼び名です)にしてもらいたい事があるんやけど」と言います。
私は笑顔で「フィッシャーマンズノットの練習?!」と半分本気で言いました。
少しの笑いと少しの沈黙―
「これから Ngawal まで下山してほしい」
私は彼の言っていることが咄嗟に理解できず、「え!?なんで!?」という素っ頓狂な表情で彼を見つめていました。
パサンはこう続けます。
「スージーの頭痛やけど、もう6日以上続いてるやろ。夜になると咳き込んで睡眠も十分とれてないっていうのは僕は隣のテントやからよくわかってる。スージーは頭痛薬飲んでるから大丈夫って言うけど、ベストの体調でない上に、薬を飲みながらこの標高でもう一晩過ごして欲しくない。僕も一緒に下山するから」
私はもう一晩ここに居て、またあの満点の星空を見るのを楽しみにしていました。
でもその一方で、夜の冷え込みや風邪で体力がだいぶ消耗しているのも感じていました。
信頼するパサンの判断は絶対であると、十分すぎるほどわかっていた私は
「わかりました」と短く答えました。
天気予報では夕方から雪になるとの予報。
雪が本降りになる前に Kang La 峠を越えなくてはなりません。
20分で出発の用意をして欲しいとパサン。
急いで自分のテントに戻り、身支度をしました。
当初の予定では明日もここで1泊。
ロバたちがここに帰ってきてくれるのも明日になります。
料理長のダンナッグ、ポーターのテンディとチェワンがここに残ってくれることとなり、ピーターは私と同じく下山することになりました。
3連峰の登山で体力を使い果たしてしまっていた私は、今いる5200m地点から Kang La Pass (5300m) を越え、目的地の Ngawal (3600m) までの3時間以上になるであろう道のりは相当キツイものになると想像がつきましたが、そんなことは言ってられないほど差し迫った状況の中、後ろ髪を引かれる思いでキャンプ地を後にしました。
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アンナプルナ2峰
長い下りで膝がピンチ...
Kang La(5300m) から Ngawal (3600m) までの下り。
地面は小さい砂利や、大き目の石が転がっているつづら折りの下り坂。
歩きにくいことこの上なく、少しでも気を抜くと「ずりッと」足を取られ、転倒しそうになります。
そして、下っても下っても家屋らしきものは見えず、果てしなく続くかのような下り坂に、いつになったら Ngawal に着くのだろう…
そろそろ体力の限界がくるかもしれない。と不安になりながら黙ってもくもくと歩きました。
やっと村らしきものが遥か下に見え、心底ほっとしたと同時にズキンと両膝に痛みが走りました。
10年前、左膝外側に腸脛靭帯炎を発症したのですが、今回は両膝。
痛みも経験したことのないようなものでした。
どうか早く着きますように。膝がもちますように…と祈るような気持ちで歩くのですが、幻覚を見ているかのように歩けど歩けど、Ngawal の村は一向に近くなりません。
そうしているうちに日も暮れだし、ヘッドランプを装着しました。
ピーターも疲れているのか、私たちは一言も話さず、ただひたすら歩き続けました。
どうにか気力でロッジに無事到着。
2週間以上ぶりのベッド、そして部屋はトイレ付き!
(ベッド=木を組み合わたベニヤ板仕様の簡素なベッド。トイレ=穴に向かってしゃがむ簡素なもの)
テント生活が長くなってきていた私には、[トイレ付きの部屋]はセレブ御用達のリゾートホテルのような感覚。その嬉しさは膝の痛みを忘れるほどでした。
そして、寝袋ではなく布団でのびのびと寝れる快適さと酸素の濃さに身体がゆっくりとほぐれていくのを感じました。
Ngawal(3600m) - Manang Mountaineering School(3400m)
今日は私たちより1日遅れで後から来てくれている料理長のダンナッグ、ポーターのテンディとチェワン、そして7頭のロバとマナン地区にある山岳学校で合流することになっています。
彼らにとって私たちが昨日辿ってきた道のりに加え、山岳学校までは早く歩いても7時間はかかります。
彼らには特別長い1日になるだろうな、皆が無事に峠を越え、長い下り道を怪我なく下りてきて欲しい。そんな思いでいました。というのも、ノルウェー登山隊をガイドしていた方が、峠の下りで転倒し、頭を強打・足首を捻挫し救助ヘリが来るのを待っていたからです。
そして、ここからそう遠くはない6000m付近の山でドイツ登山隊の方、1名が心臓発作で亡くなったと伝え聞きました。
残すところ数日となった旅ですが、油断せず気を引き締めて、怪我のないようにという思いと同時に、海外山岳保険に入っていて良かったと思いました。
Manang Moutaineering School に無事到着
パサンと私はコーヒー好きのピーターに誘われて、ロッジ近くのカフェでゆっくりコーヒーをいただき、今日からカトマンズへと帰るまで4泊することになるマナン山岳学校へと出発しました。
マナン山岳学校は1979年、ネパールに設立された最初の登山訓練学校です。
当時のユーゴスラビアとスロベニア政府の資金援助とユーゴスラビアのアルピニストで多くの遠征隊のリーダーでもあったアレス・クナベル氏の多大な努力と援助によって設立された学校です。(今現在は閉鎖されています)
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由来やアレス・クナベル氏が施された銅板レリーフ
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ここで4泊のキャンプ
眼前に広がる鏡のような湖。
そして湖の向こう側に大きく腕を広げたように見えるアンナプルナ2峰と4峰。
息をのむ景色がそこにはありました。
みんなが帰ってきた!
私たちを1日遅れで追って来てくれている、ダンナッグ、テンディ、チェワンそして7頭のロバたち。
たった1日しか会ってないのですが、もうすでに3~4日彼らと会っていないような寂しさを感じていました。
私は何度もパサンに「みんなは何時ごろ来る?何時ごろ到着する?」とたずねます。
パサンは「もうそろそろ着くと思うよ」という同じ会話を私たちは何度か繰り返します。
私はなんだかそわそわしながら、道路のほうに出ては彼らの姿が見えるかどうか確認をしに何度も行ったり来たり。
そんな私をピーターは「なんて、落ち着きのない人なんやろ」という感じで見ていた事と思います。
2時間ほどそうしていたでしょうか、道路の遠く向こうに大きな荷物を背負った2人の人影らしきものがこちらに近づいて来ます。
しばらくすると、「ディディ!ディディ!!」と大きく手を振りながらテンディとチェワンが満面の笑顔で無事にここまで来てくれました。
≭「ディディ」とはネパール語で「お姉さん」という意味です。
私は彼らに「ダンナッグとロバは?」とたずねると、「ちょっと僕たちより遅れてる」とのことでした。
日も暮れだし、40分ほどすると、遥か遠くからロバが首につけているベルの音が聞こえた気がしました。
私は急いで道路まで走って行き、ベルの音が近づいてくる方角を見ると、人影と7頭のロバたちが見えてきました。
私は両手を大きく振りながら「お~い」と言うと料理長のダンナッグが「ディディ!ディディ!!」と手を振り、大きい荷物を背負いながら駆けてこちらにやって来ます。
私は咄嗟に日本語で「そんな重い荷物背負って。走らんでもええよ!ゆっつくりでいいよ」「しんどかったやろう」と言い終わるとなぜだか涙が出てきました。
彼は私を見るなり「ディディ、お腹すいたやろ。すぐおいしもん作るから待っててな」と笑顔で言う彼を見て、何十キロという重い荷物を背負って、峠越えしてきたばかりの体で…私は少し休憩して欲しいとお願いしましたが、彼は自分の荷物を降ろすと、すぐにエプロンを取り出しました。
彼の優しい心遣いに、私もこういう人でありたいと、またウルッとくるのでした。
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この後すぐに丸太を運んできて、即席のベンチを作る
この日の夜から4日間ー
毎晩、私たちは夕食後に焚き火をすることにしました。
ネパール音楽を聴きながらチャンを飲み、談笑しては星空を見上げ、流れ星を数え…
ピーターが焚き火に手をかざしながら
「これが人生やな。最高やな」
と何度も呟きました。
あとがき
この旅も残すところあと少しとなりました。
もしよろしければ、あともう少しの間お付き合いください。