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おもしれーはこ
CreepyNutsの初東京ドーム公演というものを観てきた。贅沢。しかもCLUB CreepyNutsのプレミアム会員ってことで、抽選会でポスターまでもらってきた。自分がプレミアム会員であることを今日はじめて知った。ライブチケットを買うために会員になった気がするようなしないような。それで今日確認してみたら、そのまま8ヶ月の間毎月500円が支払われていたらしい。事実、4000円のポスター。大事にしよう。タイトルについては、Xに「おもしれー箱」で検索すると公演の感想が見れます。
手短にいくと、ライブの感想は「楽しかった」で済ますことも出来るけども。それは主に知ってる曲で一丸になって歌ってた場面の感想だ。それより「この場所でこの曲を歌う」という感じの曲が流れていた場面について話したい。最初はきょとんとしてしまったのだ。「あっ、あ… 来たか、知らん曲… にわかってバレるかも…」 って。でもなんだか周りもきょとんとした感じだった。トークを聞く限り初披露の曲もあったらしい。そこでRがどういうノリ方が正しいか、どう周りに合わせるか、そんなこと悩まず知らん曲でも自分が感じたままに楽しめばいいと言った。気がする、多分。くっ、見抜かれてる。ならばやってやろうじゃないか。そこから知らない曲でも、しょっちゅう手を上げて叫んで歌った。ノリ方も歓声のタイミングもわからないけど。だからと言って困惑して固まるのはいやだ。なんならそうなってる人たちにもっと力を抜いて、楽しもうって言いたかった。ライブのたびに思う。観客は自分で思ってるよりもこの空間を形作ってる。恥ずかしがっているヒマはない。このド広い東京ドームを満たすなんて責任重大で、ステージの上側にだけそれを背負わせるのはあんまりだ。一生懸命叫んで手を振って、「聞いてる、楽しんでる、愛してるよ」って伝えるのが観客の責任である。いや、半分はウソ。本当はぼくのわがままです。みんなにこっそり強要したくて、責任なんて言葉使いました。ライブを見るたび、生意気にもぼくはステージに立っている自分を想像してしまうのだ。そのとき一人でも多くの人がノッていてほしいと思って。そのわがままに対して自ら果たすべき責任の一環で、他の人のライブでも─おい、こいつ本当に生意気だぞ─公演に没入して、受け入れて、また楽しんでると恥ずかしがらずに叫びたい。それで、最初の話に戻ろう。知らない曲は、正直知ってる曲よりは盛り上がらなかった。おかげでこれがCreepyNutsの舞台だって思い出した。基本的に彼らがやりたい放題やって、ぼくはそれに歓呼するために来たのだ。中学22年生、使えないやつら、通常回、全部ライブではじめて聴いたけど─もう諦めよう、にわかってバレるのは─。いいなあ、わがままって。ぼくじゃない誰かの物語。そういうのは大体ぼくのための物語よりラブリーだ。「訪ねた」気がして満足。一つ欲を言うと『助演男優賞』を聞きたかったけど。東京ドームでは駄目ってことは認めざるを得ない。
予算の都合でグッズはフードだけ買った。「とりあえずXL買っとけばいいか」の感覚で買ったら、冗談でもこれでいいとはいえないサイズだった。また大きな学びが一つ。ライブは得るものが多い。