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全てを僕が背負うから

テーマ:まっすぐこちらを見つめる君の目がぼくなんて見てなかったとしても
群像劇の一幕
戦争描写、威圧的態度の描写あり


 僕が君と出会ったのは、まだ冷たい風が吹いている時期だった。雪は少しずつ溶けて、緑が鮮やかな季節がすぐそこまで近づいていた。その時、僕は25歳。君は16歳だった。
 僕は政治家である父の手伝いをしながら、役人として少しずつ仕事を覚える生活を始めて1年経った。慣れない仕事と毎日のように行われる社交界の付き合いに少し疲れが出始めていた。それでも、小さい頃から追いかけてきた父の背中と新しい世界は僕にとって素晴らしいもので、毎日が充実していた。
 そんな日々の中、夕食の後、父に呼び出された。父はとても厳格な人で幼い頃から何か失敗すると夜通し叱責を受けることもあり、僕がその呼び出しに内心恐怖していた。今回は何をしてしまっただろうか? もしかしたら、今の仕事も辞めさせられるかもしれない。長子としての役割もお役御免なのだろうか? 幸いにも僕には優秀で、神様に愛された弟がいるから僕がいなくなってもこの家は問題がない。逆に家督争いの火種が消えたと喜ばれるかもしれない。
 頭の中ではグルグルと良くない考えが巡っている。これは僕の悪い癖だ。よく弟にも怒られる。こうやってグルグル考えていると手が震えて、めまいがして立っていられなくなるのだ。昔は、父の目の前で立てなくなり、情けないと呆れられていた。
 父の前に立つのに失礼のない恰好を整えて、深呼吸。手の震えは両手を合わせて温めることで落ち着かせる。せめて、今の仕事だけは続けられるように懇願しよう。元々、家督は弟に譲られるだろうから特に心配する必要もない。だた、弟はまだ学生だ。せめて、大学を卒業するまでは僕が次期当主という事にしておかないと弟が厄介ごとに巻き込まれてしまう。うん、これも懇願に加えよう。何も取柄のない僕は、この家を円滑に回すための部品なのだから。
 まず、一番に懇願することは家督の話だ。次に今の仕事だ。順番を間違ってはいけない。

父の部屋に赴くと執事はドアを開けてくれる。感謝を口にしてから入室すると、部屋には父だけでなく、母もいた。母はカップを傾けていたが、口元は一文字に結んでいる。
「父上、遅くなり申し訳ありません。私に話があると伺いましたが? 」
父は執務机で葉巻をふかしていた。確か、母はあの葉巻の匂いが嫌いだ。母は父を一瞥し、嫌そうに眉を顰めた。
「お前の婚約者が決まった。歴史のある貴族のご令嬢だ。来週、顔合わせを行う。詳しい日時が決まれば追って知らせる。お相手はお前には勿体ない方だ。失礼のないように。何か質問は? 」
「随分と急ですね。お相手の名前は? 」
 父は昔から合理的に話すのを好む。短い文で作られる言葉は、内容が把握しやすい合理的な会話だ。そんな話し方に小さい頃の僕はとても怯えていた。弟はそんな事なかったけれど。
「相手の名前等、知らなくても顔合わせは出来る。そんなに知りたければ当日に聴け 」
「失礼いたしました」
「話は以上だ。部屋に戻れ」
「私も戻るわ。兎に角、お前はご令嬢に失礼のないように」
「はい、母上。私のためにお時間頂きありがとうございます。失礼いたします」
 一礼して、部屋を出る。部屋に戻る途中でメイドを呼び止めて、僕の部屋に紅茶を持ってくれるように頼む。緊張したせいで喉が渇いていた。
 父には訊かなかった疑問がある。あの場に母がいたから訊かなかったものある。その貴族様のお家事情だ。この家は、祖父が武勲を上げて得た爵位を持っている。つまり、歴史ある貴族から見れば新参者も新参者、そんな家に娘を降嫁させる必要があるだろうか? それに、結婚することで地位を上げるのであれば、僕よりも弟の嫁にしたがるはずだ。それを、わざわざ僕にするという。部屋に届けられた紅茶に口を付ける。一息ついて、考えることをやめた。僕には決定権も拒否権もない。全て決まったことを受け入れて円滑に回していくだけ。
 何も発言権のない家のことを考えるよりも、仕事のことを考えよう。貧民街へ炊き出しを行っている教会への助成金の話の根回しがそろそろ終わるはずだ。明日からまた忙しくなる。

 仕事で忙しくしている内に1週間は過ぎていった。ご令嬢から指定されたのは、日曜日の午後、礼拝が終わってからだという。
 僕は、そのご令嬢がいるという教会の外で庭を眺めながら待っていた。
 風は冷たく、寂しい庭だけれど芽吹き始めた緑色が鮮やかで、好ましく思えた。贅を尽くした庭よりも教会の素朴な庭の方が好きだ。
 しばらくすると、身なりの良い老紳士に声をかけられた。僕の家の名を出し、息子かと確認された。僕がそれに頷くと、その老紳士はお嬢様がお待ちです、と枯れた声で言った。
 ついて行くと、教会の裏手に出た。そこに居たのは可憐な少女。亜麻色の髪を風に遊ばせている。老紳士が呼ぶと、花がほころぶような笑みを浮かべた。そして、僕のことをまっすぐ見つめていた。
 その瞬間、たった一瞬で、僕は心を奪われた。所謂、ひと目惚れ。僕は疑問を全て捨てて、その少女の一生を愛したいと思ったのだ。
 それから、彼女と何度もあった。彼女の家が許容していたものあって、ひと目を気にすることなく会う事が大きかったのだろう。いつも待ち合わせは教会だった。彼女は敬虔な信者で、皆の幸せを祈っていた。
 その敬虔さを褒めると、彼女は頬を赤らめていた。
「貴方が思うような良い人ではないのに、そのように言われると良い人になったような気がしてしまう」
 彼女の家は困窮していた。僕との婚約を条件に父が融資しているようだった。そのことを彼女は僕に言わなかった。僕も彼女に訊かなかった。それでも、僕は幸せだったから。
 偶に、本当に偶に寂しくなることはあった。君の視線の先には、僕個人はいなかったから。でも僕はそれで幸せだった。彼女のような正しく、美しい人の人生に関われるだけで幸運なのだ。
 母の自室に呼び出されてご令嬢と上手く行っているのかと訊かれたことがある。その時はあたりさわりのない言葉で返したが、母の彼女に対する評価は非常に厳しい物だった。
 曰く、家の守るために担保として嫁ぐもの。気遣いも出来なければ、社交界の華になることもできない箱入り娘。弟の嫁には間違っても出来ない。この家にいれること等したくない。必要なのは家柄なのだから、いっそ娘ではなく土地の利権書を担保にされた方が良かった、等々など。日頃、父といることで溜まっている鬱憤の吐出し口を見つけたように話し続けた。
 母は商人の娘だ。それもあってやっかんでいるのかもしれなかった。
 この時、僕と彼女は2年後に結婚することが決まっていた。


 僕は良く意外といわれるが、酒場の喧騒が好きだ。庭の静けさだとか、誰も居なくなった議会場の沈黙とは別のベクトルで好きだ。皆、好き好きに酒を飲んで笑っている。歌って、踊って、喧嘩して、そんな着飾るものを捨てた裸のようなこの空間も好ましかった。
 この日は、今まで担当していた議案が上手くまとまったことを記念した祝い酒だった。発案者は誰だったか、たまには下町の酒場で浴びるように酒を飲みたいといったのだ。お堅い所を相手にするのは仕事中だけで十分だ、とでもいう様に皆酒場に吸い込まれていった。

 何杯目かの酒で喉を潤している時に、同僚の男が向かいの席に座った。
「よぉ、飲んでるか? 」
「ご覧の通りさ、いつもに比べてびっくりするくらいだよ。こんな飲み方、こんな日じゃないとできないさ」
「はは、お前はいつも1杯の酒をゆっくり飲んでるからな、じゃあもう酔いは回ってんだな」
「いや、それほどでもないかな。酒場の食事も好きだからね。酒よりもつい料理に手が伸びるんだ」
 同僚の男とは仕事で良く話をする。さも、自分は下町酒場に馴染んでいますという風体をしているが、この男は八代続く貴族の三男坊だ。家督を継がないから悠々自適に過ごしているのだと聞いたことがある。
 酢漬けを食べて、酒を胃に落とす。酔ってくると味の濃い料理が丁度いい。
 男の方を見ると、何か言おうとして、やめる、という行動を繰り返していた。
「どうしたんだ、何かあれば言ってくれ。気になって酒どころじゃなくなる」
 男は巡廻していた。それから、3秒ほど唸って、口を開いた。
「本当はこんな席でする話じゃないってのは分かってるんだがな、お前の婚約者についての話だ」
 僕は、酒を机において居ずまいを正した。こういう話はきちんと聴かなければ失礼だ。
「正直、俺は、お前が利用されているように思えてならない。あの家は没落してるんだ。以前はそこそこの土地を持っていたはずだが、その土地は隣国の金持ちに売っている。今から社交界に復帰しても以前のような立場はないし、権力もない。人脈だって二代前のものだ。お前の御父上が何を考えているかは知らないが、このまま言いなりになっているとお前が不幸になる気がする。俺は、お前が心配だよ。これでも仲間思いなんだ」
 しばらく沈黙した。彼は何も言わなかったし、僕も何も言えなかった。彼の心配は最もだったし、それは僕も知っていることだった。名前が分かれば調べられる。調べた結果は凄惨としたものだった。
「話してくれてありがとう。僕も少しは調べたんだよ。貴族社会の内情は分からなかったけれど、あまり良くない事は分かってた。言いにくかっただろう、でも言ってくれてありがとう。でも、すまない。僕は彼女を愛してるんだ」
 少し目を瞑って思い出す。先日、彼女の邸に出向いた時の馬車の中。彼女の意思の強い目が、見えてくる邸を見据える表情。どれも気高く、美しかった。可愛らしいだけの少女ではなかった。僕にない強さを持っていた。僕と会うのは戦場一人で戦っているものなのかもしれない。でも彼女にはそれが出来る意思の強さのようなものがあった。
 男は、そうかい、といって酒を飲みほした。そして、店員を呼び、彼の分と僕の分の酒を注文した。
「辛気臭い話をしたな。じゃあ、乾杯だ。婚約おめでとう」


 隣国と戦争する事が決定した。政治の決定権を握っているのは父だった。以前から、隣国との間で燻っている火種は確かにあった。でも、その火種はどの国にもあり、戦争を起こす程の物でもなかった。この程度で戦争を起こすなら、その国の外交官の出来が悪いと言われる程度のものだ。
 戦争を起こすには、もっと決定的な火種が必要だった。そう例えば、昔から所有してる土地を奪われた、といったような。

 君は自室でさめざめと泣いていた。家を復興できるかもしれないと言われて嫁いだのにと。
 君の両親の様子を見に行くと、両親は喜んでいた。これで領地が取り戻せると。
 父は必ず勝たなければならないと息を巻いていた。これでこの国がもっと豊かになると。

 戦争の火種になりたくて結婚したんじゃないと言って泣いた君を僕は抱きしめる事しか出来なかった。
 僕は彼女に笑って欲しかった。家のことも心配しないで、ただ彼女が彼女の幸福を願って、我儘を言えるような場所を作りたかった。
 辛いことも、嫌なことも、全て僕が背負うから、どうか君は笑っていて。そのために僕は大罪人にもなって見せるから。


 母と弟は親族を頼って同盟国に避難した。父は毎日議会で戦争の状況を報告し、いかに自軍が優勢であるかと伝えている。彼女には、彼女の実家の親族の元に避難してもらった。母とは折り合いが悪く、弟の婚約者に目の敵にされていたのだ。少しでも彼女の心労は減らしたかったし、僕としても彼女が穏やかに過ごせる方が安心だった。

 毎日会議詰めで嫌になる。父の立場もあり軍の指揮官になってしまった。自分は被弾しない場所で、毎日効率よく人を殺す計画を立てる。いかに効率よく相手国を疲弊させ、自軍を有利にするか。まるでチェスの駒を動かす様に戦況を考える。
 ああ、嫌になる。夜は寝られず薬に頼る。昼間は君の願いを無視して人を殺す計画を立てる。その繰り返しだ。酒場で話した同僚の男は僕を見て、憐憫に満ちた目をした。
 嫌になることばかりだけれど、僕にはしなければならないことがある。
 この戦争を終わらせるのだ、多くの人々を殺さなくても済むように、死ぬ人を減らせるように。計画に必要な親書を書く。

『親愛なるレジスタンス様 私達は、この戦争をやめたいのだ。こんな不毛なことは早くやめて、幸せになるための行動を起こそう。……

(2020.03.15)


ニーレンベルギアシリーズ3作目
望んで戦争をする者、望まないで戦争をする者、様々な人がかかわっています。
テーマはお題サイト「確かに恋だった」様から頂きました


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