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ぶどうの実

お題:柘榴石
娘が彼氏を連れてくるのを前に倉庫からあるものを探す父親。
ものと一緒に仕舞い込んだ記憶。


 倉庫の中で眠っているはずの木箱を探している。一歩踏み出す度に舞い上がる埃に辟易する。掃除をさぼったのはあなたでしょう、と妻に言われると何も言えなくなってしまう。倉庫に入る前に、天井にある明り取りの窓を先に綺麗にしておいて正解だった。窓から入る光がなければきっと手元すらも暗くて見えなかっただろう。
 入ってきた光を埃が反射する。キラキラして綺麗といったのは娘だったか、息子だったか。いや、あの時は埃ではなくて、形を整えているシルバーだったか。最近は、昔の記憶が混ざるようになってきた。
 闇雲に探すのは諦めて、入り口近くから掃除しながら探すことにした。クリスマスツリーやらハロウィンの時の飾り等にうっすら積もった埃を落として、何処から入ってきたのか分からない砂を箒で掻きだす。修行時代を思い出す作業だ。
 宝石加工業なんて寿命を縮める仕事を早く辞めてしまいたかったが、腕を買われて七十を過ぎるまで続けてしまった。まさか、その仕事を今更になってまたやることになるとは思わなかったのだ。
 デザイナーになるといって家を出て行った娘が帰ってくると手紙を寄越した。デザイナーになることを諦めて、機織りをしている妻の手伝いでもするのだろうと思っていれば彼氏を連れてくるという。
 それを知って色めきだったのは、村の女達だ。妻が話してしまったのだろうが、爺と婆しかいない村ではその手の話の広がりは早かったようだ。
 丁度帰って来ていた息子に一応言ってみると、「ああ、とても良い人だったよ。育ちも良さそうだし」とあっけらかんとと返ってきた。親に知らせる前に兄に知らせたようだ。
「彼、建物の図面を引く仕事をしているみたい。あの子のやっていることにも理解があって、自分の同僚の女性を紹介してあげてたらしい。正直、お金に困っている風ではなかったよ」
 手紙に書いていない話までぼろぼろと出てくるではないか。ため息を吐いたら、俺より先に結婚かぁと息子が嘆きだしたので、息子の相手は妻に任せてしまった。
 息子を見ていると自分の若い頃を思い出して嫌になる。それと、弟の事も思い出す。
 何が入っているのは良く分からない箱の上の埃を取り払う。五年前だったかにも倉庫の掃除をしていたお陰か、何となく道の様なものができている。一から片付けるのは後回しにして、道の復元を優先することにした。
 この倉庫に入ると昔のことをよく思い出す。きっと僕が倉庫の掃除を後回しにするのはこれが理由なんだろう。
 弟は隣国で死んだ。死んだという知らせと形見が一つ。遺体は帰って来なかった。当時、弟は隣国の宝石商に弟子入りして王宮にも出入りしていたらしい。その時の僕は、父親の元で彫金の修行をしているときだった。
 戦争が始まりそうだという話が現実味を帯びてきた時だった。遺体はなく、形見として送られてきた木箱の中身は、大粒のガーネットをあしらったぶどうのブローチだった。


 埃を被った木箱を見つけた。五年前の自分か、十年前の自分はこの木箱を取り出すつもりはなかったらしい。随分と分かりにくい場所にひっそりと隠すように置かれていた。きっとここら辺に置いたはずだという記憶は、的確だったらしい。今も昔も考えることは一緒なのかもしれない。
 少し硬くなった木箱のふたをゆっくり引き上げる。中から出てくるのは、大粒のガーネットと小粒のルビーを組み合わせて作られたぶどうのブローチ。地金もしっかりとしたもので、贅を尽くしたものだとひと目で分かる。
 こんな高価なものを宝石商の弟子がどうやって用意したのかは分からない。だが、きっとこれが弟の死んだ原因の一つなのだろうと僕は邪推する。
 ガーネットの一つを指でなぞる、素晴らしいカットだ。指に引っ掛かることもなく、ぬめりとした質感を感じさせる。これほどの石を集めるのは至難の業だったろうに。きっと、弟だけでなく、弟の面倒を見てくれていた宝石商も手伝ったのだろう。あの人はとても良い人だった。
 ガーネットは血の象徴だった。そして、旅人の守り石でもある。弟はこの石に何を託したのだろう。今ではもう確かめるすべすらないのだ。
 木箱のふたを閉める。倉庫の探しものは見つかった。もう、倉庫への用事は済んでしまったのだが、中途半端にしたままにするとまた妻に怒られてしまう。一度、木箱は部屋に置いて倉庫の掃除をしてしまおう。日はまだ高い。明かり取りの窓からはさんさんと日が差している。

「好きな人ができたんだ、いつか兄さんにも紹介するよ」そう手紙を送ってきた三か月後に訃報が届くなど一体誰が想像するだろうか。せめて、物言わぬ体だけでも良いから返して欲しかった。弟が弟子入りした宝石商に泣きながら訴える母親を前に僕は何も言えなかった。
 その宝石商は、下唇を噛みながら謝罪の言葉を繰り返していた。力が及ばずに、といって謝罪する彼の拳は血が滲みそうな程に握りしめられていたのだ。僕に何が言えただろうか、結局僕は何も言わなかったのだけれど、今も僕もきっと何も言えないのだ。
 弟から来た手紙には、好きな人ができたこと、その人も同じ気持ちだということ、彼女のためにぶどうのブローチを作ったということ。『彼女』に関する話がまるでパヴェのように、美しく集めて飾られていた。ただ、心配もしていた。『彼女』の名前が一度も書かれていなかったことだ。もしかして、貴族なのかと、王宮の関係者なのかと、訊きたい事は沢山あった。
 ただそれを訊いて良いのか、あの時の僕には分からなかった。あの時、直接会いに行ってでも目を覚まさせれば良かったのかもしれない。遺体すらない弟の死を受け入れる位なら、会って大喧嘩して恨まれる位の方が良かった。
 結局、僕がしたのは当たり障りのない内容とブローチを見せてくれという内容の手紙を返信しただけだった。


 工房に行くと、僕が教育を担当したやつが現場の指揮を執っていた。僕に気付くと、一瞬怪訝そうな顔をした後、こちらに向かってきた。
「お久しぶりですね、お元気そうで何よりです」
「お前さん、五日前に連絡いれたことすっかり忘れていただろう、なんで来たのか分からん、って顔していたぞ」
 はは、ばれましたか。といってカラカラと笑うこいつは、工房に来たばかりの時は、力しかないような奴で、石の扱い方を一から教えたのだったか。随分と立派になったものだ。
「先輩用に場所は開けてありますから、好きに使ってください。後で社長も来るかもしれませんから、お話位は聴いてあげてくださいよ」
 軽く例を言ってから、用意してもらった道具を確認する。社長や後輩達には無理を言った自覚はあるが、こればかりは自分の手でやりたかったのだ。
 持ってきた木箱を開け、ブローチを取り出す。ブローチから、大粒のガーネットを一粒丁寧に取り出す。何度見てもほれぼれするような石だ。内包物はなく、とろりとする赤だ。
 弟の遺品として、このブローチが届いてから僕は出兵することになった。隣国との戦争は激化した。政府は新しい武器があるから心配することはない、ただ国境付近に駐在する人員が欲しいのだと喧伝していたが、何処まで本気で言っているのは分からなかった。
 今ではなぜだったのかは覚えていないが、父親はこのブローチを肌身離さず持ち歩けと、僕に持たせてくれた。父親も彫金工だ。このブローチの価値が分からない訳でもなかっただろうに。
 取り出したガーネットを二つに分けて、それぞれを削って形を整えていく。ゆっくりと時間をかけて、想像する形に近付ける。石を丁寧に調整しなければ、地金が良くても、総合的に悪くなる。
 僕に、宝石職人となる道を示してくれたのは、従軍した時に出会った人だった。その人は、もう老人といっても問題なさそうな見た目をしていたにも関わらず、従軍した人々の中で一番指先が器用だった。
 銃と弾丸を支給されたときには、歪んだ弾を瞬時に見分けて突き返していた。そんなお爺さんになぜか気にいられた僕は、宝石職人にならないかと声をかけられた。当初は、彫金工房を持っている父を継ぐのだといっていたが、彫金ができるから宝石加工も出来た方が良い、と言われて、戦争が終わったら弟子入りすると冗談交じりに答えたのだ。
 僕らを率いたのは、貴族出身の男性だった。貴族の三男坊で悠々自適に暮らしているのだと、彼は安い酒を皆と飲みながら笑っていた。全員生きて家に帰る、彼はそう掲げていたし、事実そうなった。
 彼は僕達を確かに国境付近に駐在させた。だが、それは国境付近の山深くにある寂れた邸だった。戦争が終わるまでここで籠城するのだといっていた。見回りの当番を決めて、毎日邸の見回りと、自分達の食事の準備は掃除を行う。銃の訓練などはしなかった。そこ代わりに仕込まれたのは掃除と洗濯、料理の技術だ。よく分からないこともあるもんだと、街で小さな料理屋をやっていたおっちゃんが笑っていた。
 戦争が終わった後、僕はお爺さんの元で修行して、お爺さんの会社でそのまま働かせてもらった。


 娘が彼氏を連れてやってくる。三日ほど家に滞在する予定だといわれていた。妻は朝から出迎えの準備やら、食事の準備を進めている。息子も、今日はいないが、明日返ってくるらしい。
 娘が彼氏を家に連れてくるのだから、最終的には結婚するのだろう。弟をなくし、宝石職人になり、妻と出会って、子どもが生まれて、遂には子どもが結婚する。不思議なものだ。戦争で数多の人々が死んでいったというのに、僕はまだ生きて、子どもの結婚式を楽しみにしているのだ。
 部屋の引き出しにしまった一対の指輪を見る。ブローチから取り出したガーネットをあしらったシンプルな指輪だ。明日、この指輪は僕の元を離れ、娘と彼に渡るのだ。今日は、新しく息子になるだろう彼に、石の話を語ってみようか。きっと、娘の方が先に飽きるだろうから何処まで話せるか分からないが、きっと最後まで聞いてくれるだろう。
 そっと、指輪を入れているケースを開く。ブローチの時からまた少し趣の変わった石がキラキラと輝いている。
 弟はこの石に、恋した人の影を見たのだろうか。それとも、この石に自分の影を見て欲しかったのだろうか。それを確かめるすべはとうの昔に失われている。きっと、今までも、これからも僕はこの石に、ブローチに解釈を与えるのだろう。正解はない解釈を加えて、弟の影を見失わないようにするのだろう。
 ガーネットは旅人を守る石、騎士たちのお守り。そして、真実と情熱、実りの石だ。
 一人笑いが込み上げてくる。弟は、僕が知っている以上にロマンチストだったらしい。相手の女性は、このブローチを一瞬でも手にしたのだろうか、いや手にしていて欲しい。きっと、弟の思いは伝わっただろう。
 娘が到着するまでには、少し時間がある。庭のぶどうでも摘んで用意しておいてあげよう。そして、一緒に来た彼に話すのだ。ロマンチストな男が作った立派なぶどうの話を。

(2020.09.22)


ニーレンベルギアシリーズ9作品目
前回に引き続き平和な物語です。
出会って、両親の家に挨拶に行き、結婚式を挙げることが出来た彼らは幸せだったと思いたいです。


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