『オセロー』 -シェークピア、リアルの新次元-
シェークスピアはとにかく速い。至高の愛で結ばれた夫婦に嫉妬が忍び入ったかと思うと、妻殺しまではあっという間の展開だ。圧倒的なスピードで疾走するドラマに無理や無駄は一切なく、これ以外はあり得ないという必然性で、すべてがひた走る。速さに加え、作りの単純さにも驚く。夫婦の鉄壁な関係にひびを入れ破壊していくためにイヤーゴが使うのは、人ひとり物ひとつ、キャシオーとハンカチ、それだけだ。素材の経済性という点で、この戯曲家は、『運命』交響曲と『月光』ソナタに同じモティーフを使いまわす、ベートーヴェンという作曲家によく似ている。
これほどの迅速性と単純性を保ちつつ、シェークスピアは底知れないドラマを描き出す。いったん口にすれば取り返しがつかない不可逆的で致死的な言葉が、人をどんどん追い詰めていく。人の真の姿も人の運命を操る世界のメカニズムも、暴き出していく。
オランダの演出家イヴォ・ヴァン・ホーヴェは、そんなシェークスピア劇に人間のリアリティを持ち込んでくる。ボクシングを練習する裸の主人公が軍服を着こんでいくファーストシーンは鮮烈だ。人が持てあますように持たされている肉体は欲望を生み、軍服は人を暴力の文化に導く。
ホーヴェの舞台では、身体の動きもリアルだ。演劇的な形式や誇張を排した生身の日常の動きで動く。それでいて、各々の動きやポーズに象徴的な意味がたっぷり詰まっている。跳びはねるように歩くデズデモーナはオセロの巨体にひょいと担がれたりする。その軽い肢体が全裸でオセロに組み敷かれるラストは、目を背けたくなるくらい、残酷だ。
没後400年の去年を契機に、シェークスピアは新たな視点で捉えなおされ、それが欧州から舞台として日本にやって来る。嬉しいことだ。