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「7日間映画チャレンジ」二日目 『眠狂四郎 無頼剣』

冒頭、静寂に包まれた庭園を眺め回すカメラの視野に、いきなり緊縛されてもがく人々が飛び込んでくる。そこから全登場人物が現れるまでの怒涛の10分間には息を呑みます。幼女が歌いお手玉が飛び雨が降り炎が上がり陰謀が渦巻く。この情報量をこの緊迫感で畳みかける三隅研次という監督が、空恐ろしい。

ちゃんばら映画なのに殺陣のシーンが最初の30分に一度もないんです。で、いざ斬りあいが始まると、その無駄のなさと切れ味に唸ります。最近公開される時代劇には、ハリウッドの近接格闘術みたいなアクションとして殺陣を見せようとする傾向があります。なぜ剣を持って戦うか、ということにアクションがちゃんと出会っていない。その意味でも、眠狂四郎の剣法を捉えるカットの積み重ねは見ごたえがあります。

しかも、眠狂四郎の円月殺法を陰で見ていた敵役の天知茂がやおらその模倣をし始める。最初の10分のシーンでも、藤村志保は狂四郎のことを死んだはずのある男とそっくりだ、と呟いたりもする。そこから、この映画は狂四郎が自分自身の分身・影と闘っている、という視点が浮かび上がるんですね。

ラストの屋根の上の決闘では、不安定な屋根瓦を踏みつつも、全てのカットに恐ろしいほどの簡潔性と必然性がある。それに加えて、市川雷蔵だけじゃなく、天知も紅一点(昭和の語彙以外に言葉が見つからん……)の藤村も、いで立ち、仕種の全てにわたって凛とした色気が匂い立ってます。人間の居住まい、佇まいっていうのはこうじゃなきゃいかん。そう思います。

ちなみに、三隅監督は座頭市シリーズも素晴らしい映画にしてますね。雷蔵・狂四郎はすっくと垂直に立つ姿で、勝新・座頭市は地を這うように屈んだ水平の姿勢で、剣を振るう。両者の構えのコントラストを見事に横長の画面で見せる映画の匠みに、惚れ惚れします。

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