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『アウステルリッツ』

20世紀の小説は言葉の冒険の世界に乗り出していきました。それは一言で言うと、言葉でとらえ得る世界の新たな発見が、同時に小説世界の発見にもつながっていく、という種類の冒険でした。2001年に刊行された『アウステルリッツ』も、そんな目くるめくような冒険の興奮と感動にあふれた小説です。

自らの出自の記憶を失くした学者アウステルリッツが、ヨーロッパを彷徨って自分の過去の断片をひろい集めていくという物語。建築学や生物学の驚くべき知識に加えて並みはずれた感受性や洞察力を持った彼が、自分のアイデンティティを探して欧州を流離う姿は、読んでいてほんとうに痛ましい。そのうえ、その旅から浮かび上がってくる欧州の暗黒の歴史にも胸を衝かれます。

そんな暗くて重い小説に、なんでこんなに引きずりこまれるのか。その理由は三つあります。

まず、主人公アウステルリッツの語る物語が、「私」をはじめとした複数の語り手によって重層的に綴られていて、しかもその文章がなかなか改行しない(ときに何ページも無改行の文章が続きます)。そんな文章の塊をたどっていくうちに、私たちは、次第に歴史や人生の迷路に入り込んでいくような感じに襲われます。読むうちにそれがある種快感になっていく感じは、読んでもらわないと分からないことですが……。

二つめは、主人公が旅の中で訪れる歴史的建造物の描写の凄さです。建物の構造からその秘められた(多くは血塗られた)歴史が明かされていくさまはスリリングで、読む者は否応なく引きこまれていってしまう。さらにその描写は、20世紀の二つの大戦をはさんで西欧の文化が崩壊していくさまを代弁するものにもなっている。さらに驚くべきは、それが主人公の悲劇的な宿命の隠喩ともなって、小説全体を覆っていくのです。

三つめは、小説のところどころに差しはさまれる多くの写真です。数ページに一度現れる写真は、架空の存在であるはずの登場人物たち自身が自ら撮ったとしか思えない不思議な生々しさで、物語とシンクロしています。思わずじーっと写真を見てしまう。そしてそれとの関係性をたどりながら、もう一度小説の文章に立ち返る。そんなアクションを伴った読書は、今まで味わったことのないたぐいの小説体験です。

この小説の出版直後に惜しくも交通事故で亡くならなければ、ノーベル文学賞の候補となったであろうと言われる作家ゼーバルトの代表作を、ぜひ皆さんも読んでみてください。

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