「伊藤潤二展 誘惑」 ―飛翔する悪―
友人の一人が言っていました、展覧会のタイトルが凄いと。確かに!ヒトがヒトならざるものに変容していく様を執ように描き続ける伊藤潤二ですが、そこには見る者を誘い込むものがあります。異形の姿に変わり果てる恐ろしさや悲しみとは裏腹に、そこにある種の陶酔を感じるんですね。
もちろん、人には怖いもの見たさという感情があって、お化け屋敷にわくわくするような刺激がホラーマンガにはある。ただ、伊藤潤二のマンガは単に外側から脅かしてくるだけじゃなく、本当は私たち自身の中にあるはずなのにそれに気づいていない何かを、露呈させます。例えばなにか変なものが身体からいきなり出てきてしまう。やめてくれ!と叫びたくなるくらいグロいのに、惹きつけられてまじまじと見てしまう。排泄欲という言葉があるくらいで、悪いものが身体から排出されるデトックスな快感に近いのかもしれません。
ただ、吐き出されてくるものが生理的嫌悪感を抱かせるだけじゃなく、伊藤の絵からは人の心の邪悪が溢れ出します。少女のこめかみから出てくる顔はろくなことをしそうにない表情をしていて、その目はしでかすことへの期待でいっぱいになっている。取り返しのつかないことをしたい。この世界を滅茶苦茶にしたい。見ている者の中でも、カタストロフに対する欲望が湧き上がってきます。
そんなものが、やがて壮大なヴィジョンとなって描かれるのも、伊藤マンガの特徴です。『首吊り気球』という作品があります。なぜか自分の頭が巨大な気球になって空に浮遊している。その気球の下の紐の輪っかが、自分の首を引っかけて殺しに来るというとんでもない話です。自分の顔がひどく邪(よこし)まな顔になってにやにや笑いながら襲ってくる。怖気(おぞけ)だつような恐怖だけでなく、自分の首に吊られて空を上昇していくイメージには、倒錯した爽快ささえ感じます。
心の悪意が大空に飛翔していくモティーフは伊藤の漫画世界でどんどん膨らんでいって、宇宙的なスケールに達していきます。『うずまき』では、風に乗る飛行術を体得した悪童たちがけらけら笑いながら大空に飛び去っていくし、『地獄星レミナ』では地球の重力の変動によって軽くなった人びとが空に舞います。ヒロインレミナへの殺意を漲らせた人々は上空で彼女を追い、あっという間に地球を一周してしまう。大空に解き放たれた悪は大気に祝福されるように、途方もないスケールのファルスを繰り広げる。
伊藤の絵の流麗さにも、見るものを誘いこむ要素があります。以前、楳図かずおの原画展に行ったときに驚いたのは、彼が最終的な原画にもかなりの修正を入れていたことです。最後の最後まで完璧な絵作りを泥臭く続けていく楳図に比べると、伊藤潤二の原画には修正が一切ないんですね。流麗な線が迷いなく一気に引かれている。強く硬質な線を連ねる楳図の絵に比べて、伊藤の絵には流れるような曲線の美があります。その線は見る者を誘惑しそれを描く漫画家自身をも誘惑している。彼の代表作が『うずまき』というタイトルなのは頷けますね。
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