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すべての創作者へ

久しぶりにnoteに投稿しようとしたら、投稿用ボタンのテキストが「つくる」になっていました。

とてもいいです。

私は言葉というか、その裏にある感性に敏感なので、こういったことでとても嬉しくなってしまいます。

提案した人、企画した人、採用した人、実行した人、みんなありがとう。

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6月。梅雨。

とても忙しない月でした。

パートナーが日本に来るためのビザ申請手続きをしたり、新たな勉強をはじめたり、眩暈になったり、仕事でロサンゼルスに出張に行くかもという話があったり、チームメンバーが転職するかもという話があったり、ホットヨガをはじめたり、家具を買ったり。

ロサンゼルス出張は字面だけ見るとかっこいいのですが、運営に大きな不安があったので行かないことになって安堵しています。

メンバーの転職については、プロジェクトをうまくまわそうという考えを捨てて、本人を全力で応援することに決めてから落ち着きました。

ホットヨガは暑すぎるのでやっぱり辞めます。

家具は、ずっと読書用の椅子が欲しかったのですが、いまその上に座ってこのnoteを書いています(至福)。

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とりとめのないことを書くことが許されているなら、私が上記のような日々の中でずっと考えていたことは、「創作者であることを辞めて、観察者になるのはなんてたやすいことなんだろう」ということです。

Moe7月号で谷川俊太郎さんの記事に出会いました。

そのとき5歳ぐらいの創作者だった頃の私の感性が呼び起こされて、あのみずみずしい、やわらかな、リミットのないワクワクした気持ちを思い出したのです。

「生きている」と強く感じました。

いや、いつも生きていたはずなのですが、外側からの要求に応えるというのと、自分のうちから湧き上がるものに従うというのは幾千万もの違いがありまして。

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Moe7月号の付録として、谷川さんの有名なあの詩が書かれたクリアファイルがついてきました。

思春期真っ只中の中学生時代、衝撃を受けた詩です。

一人で感じていると思っていた孤独が普遍的なものだと知って、大げさでなくガラスが割れるような衝撃を受けました(恥ずかしすぎて誰にも話さなかったけれど)。

宇宙が冷たい闇ではなく、自分という物質をも内包してくれるあたたかい光のような感じがして、大きな安心感のようなものも覚えました。

実は大学生時代、講演でご本人を目の前にしたのですが、そのときと比べても当時の衝撃は凄まじかったです。

あの頃から幾星霜。

わたしは現在ある会社でそれらしく働いていて、多くはないけれど生きていくのに十分なお給料をいただいて、小さな不満を抱えつつもまあ快適だし、やりたかったことだしね、と自分を納得させて生きています。

つまり、表現をしなくても生きていけるステータスを(現時点では)手に入れました。

買いたかった椅子も買えたし、これで満足、でも全然いいと思います。

でも、なぜかここ最近、1週間、できれば1ヶ月の休みが欲しい。そこで本気でなにか書きたい(or 感じたい)から、と『耳をすませば』の雫ちゃんのようなパッションが湧き出てきてしまって、どうしようと持て余していました。

やっとこさ安定を手に入れたというのに。

困ったものですね。

私にどうしろというのか、私は。

きっと、すべての創作者の方々はこのような気持ちに蓋をしないで、真剣に向き合った結果日々何かを生み出していらっしゃるのでしょう。

無からなにかを生み出すのに比べたら、観察者であることは快適です。簡単です。(観察者が劣っているという意味ではありません。念のため)

だからこそ、創作者の方々を尊敬する念がやみません。

アンチの誕生も含めて、この世界にインパクトを与え続けているのですから。

せめて私は、「いつか」訪れるはずのその日に備えて、ネタをストックしておくことにします。

改めて、すべての創作者の方々、この場を借りてありがとうございます。

今日も世界が少し息しやすいのは、あなた達のお陰だと信じています。

ナマステ

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