東京でなにしてたの
ふと東京に行こうと思い立って、3泊4日、東京に行ってきた。
田舎に住んでいると、東京でやりたいことが細々と溜まってきて、ふつふつとする瞬間がある。
「ああ、東京へ行かなければ」と思い、淡々とホテル、新幹線を予約し、勤務先に休暇申請し、リュックに荷物をまとめた。
友人と会う予定はミニマムにしていたけれど、会ってみたらやっぱり楽しかった。
コロナ渦で人となかなか会えない状況だったとき、久々に人に会うとやわらかい綿に触れたような、やさしいガーゼに包まれたようななんともいえない心地がしたけれど、東京砂漠で知っている顔に会うと同じような感じがした。
ある友人には「今回はなんで東京に来たんだっけ」と聞かれた。
よく考えてみたらわからない。
マティス展に行きたいと思ったのも、村上春樹ライブラリーに行きたいと思ったのも、申し訳ないけれど友人に会いたいと思ったのも後付けな気がする。
より正確に言い表そうとすると、東京というエネルギーの渦にたまに巻き込まれたくなる。それで東京に行った気がする。
18歳で、大学へ行くため上京したときは都会のテンションの高さについていくだけで疲弊していた。「やりたいことをやらなければ」と謎のプレッシャーを自分にかけ、奨学金を投じてダブルスクールの真似事もしていたけれど、焦りばかりが空回りしていたような気がする。
それを最も感じたのは、今回母校の講堂を見上げたとき。
同じ建物のはずなのに、土砂降りの雨の後に覗いた青空を背景にしたはちみつ色の講堂はやさしい表情をしていた。
この場所でなにかをものにしなければ生きていけない、といきり立っていたあの頃に感じた圧力は私の幻想で、いつだってこんなに穏やかな顔で見守ってくれていたんだと気づいた。
「いままでなにしてたんだろう。また勉強したい」という気持ちも強くわいてきた。もう一度大学生になれるなら、バイトも遊びも最小限にして勉強に没頭すると思う。勉強だけしていればいい、そんな環境に身を置きたい。
ところで、東京でやりたかったことのひとつに、以前住んでいたアパートを見にいくというものがあった。家の記事にも書いたけれど、はじめて一人暮らしした場所が吉祥寺で、今でも住みたいと思っているくらい井の頭公園周辺が気に入っている。
ちょっと不審者ぽかったけれど実際見に行ってみたら、わたしが「次に住む方のために」と残していったカーテンがそのまま使われていて、びっくりすると同時に嬉しかった。
そのアパートの出窓の形が特殊で既製品のサイズが合わず、引っ越し直後で金欠の中オーダーして作ってもらった特別な思い入れのあるカーテンだった。まだ使ってもらっているなんて、想像もしていなかった。
当時の状況がフルカラーで甦ってきて、タイムスリップしたような、ちょっと不思議な気持ちになった。
マティス展の最終日にも滑りこむことができた。
iphoneの小さなカメラでは捉えきれない、重なり合う色の美しさ。赤は赤ではなく、青は青ではないんだ、と絵の近くに頭を寄せたり、遠ざけたりしながら楽しんだ。人生いろいろと大変そうだったマティスが、人を安心させるような絵をたくさん描いていたこと。旅や病や当時の流行をきっかけに作風ががらっと変わり、その仕事の集大成としてロザリオ礼拝堂へと至ったこと。これでもかというくらい大盤振る舞いの展示内容で、ありがたく、満足した。
東京には人、物、一流の文化が集まるのだなあと改めて。
なにかと過多になりがちなエリアなので、住むのは正直もうしんどいかなあと思う反面、圧倒的な文化の充実度はやっぱり羨ましい。
帰りの新幹線では友人のおすすめで訪れた書店「蟹ブックス」で購入した「BOOKSのんべえ」を、日本酒をちびちび飲みながら読み、最後まで大満足の旅となった。
高円寺にある蟹ブックスは本の選定もセンスが光っていて、ブックカバーもしおりも蟹づくしで、本当に可愛かった。入り口に、「無理に買わないでいいのでお気軽にお立ち寄りください」と書いてあるのも店主さんのお人柄が伝わってきてなんともよかった。
もっと気軽に、また東京へ行こうと思いました。
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