童話「桃太郎」を改変してみたら滅茶苦茶になった
読者の皆は、童話というのを一度は読んだことあるだろう。
幼い頃に親に読み聞かせてもらったり、児童図書館の本で触れたり、人それぞれ色んな場面で童話を読んだり聞いたりしたことがあると思う。
日本の童話においては様々な話があるが、一番有名なのは桃太郎ではないだろうか。
恐らく日本人で知らない人はいないんじゃないかというぐらい有名な作品なのだが、この桃太郎は矛盾だらけの話である。
無論児童向けの童話なので真面目に突っ込むのも野暮ではあるが、看過できないほどに突っ込まざるを得ない箇所がたくさんある。童話の定めというべきか、大人の目線で見るとかなりツッコミどころが多い。
今回は、この桃太郎の矛盾点を指摘しつつ、出来るだけ突っ込まれないような作品に魔改造していきたいと思う。
改良ポイント1:桃太郎の誕生
数々の桃太郎論者の中で度々議論の的となっているのが、桃太郎誕生の描写である。
通常の桃太郎であれば、「おばあさんが桃を割ると、中から元気な男の子が出てきました。」となるわけだが、誰がどのように切っても、中の桃太郎を刀で傷付けずに桃を割ることはできない。
絵本などでは桃が真っ二つになっている絵があるが、何故桃太郎は真っ二つになっていないのか。
これには一応の理由があり、そもそも元々の話では、桃を食べたおじいさんとおばあさんが若返ってヤりまくった結果、桃太郎が生まれてきたという中々にアダルトなストーリーがある。これを無理やり児童向けにしたため「包丁で桃を切ったら中から男の子が出てきた」というかなり無理のある話になっているのである。
そのため本当はジジババが若返る展開の方がストーリー上全く矛盾がないのだが、それでは子供達に見せられる作品ではなくなるので、どうすれば矛盾なく桃から桃太郎を取り出すかを考えてみることにする。
と、ここで桃太郎本人が包まれているものに着目していただきたい。
桃である。
桃は果実の一種であり、当然食べることもできるが、食べずに放っておくとタネ以外の部分は腐り落ちて、最終的に種子を残して実が全部なくなる(地面に落ちた果実を想像するとわかりやすい)。
ということは、「拾った桃を放置していたら中から男の子が出てきた」というストーリーが、この状況では1番ナチュラルであろう。
以下、練り直した桃太郎を書いてみる。
どうだろうか。
読者諸賢、皆一同に思っただろう。
なんか汚ねえな。
だが、現状若返りルート以外で1番矛盾なく桃太郎を取り出せる方法はこれしかない。もし、他に良い方法があるなら教えて欲しい。
改良ポイント2:鬼の襲撃理由
続いて、本作の悪役である鬼についてである。この物語の「承」として、鬼が村を襲っていて、それを退治するというものになっている。
だが、何ゆえ彼は村を襲おうと思ったのかについてはどこにも書かれていない。恐らく桃太郎の作者も、そこまで考えていなかったのではないだろうか。理由なんてないが、とにかく鬼という絶対悪の役を立ててストーリーを進行させたいという爪の甘さを感じる。
では、鬼は何故村を襲うのか。
例えばこれがイジメられた村人への復讐かもしれないし、そうなると話の見方が180℃変わってくる。
しかし、本作は勧善懲悪のストーリーである点を考慮して、鬼が絶対悪として村を襲うような理由を考えたい。
そこで思いついたのが、「鬼は行動力のある馬鹿」という設定である。
行動力のある馬鹿ほど恐ろしいものはない。
最近報道各社賑わせているビOクモーターなどがその最たる例であるが、自分の理想とする会社を極端なやり方で強制的に作り上げていった結果、側から見ると「絶対悪」に見えるような存在へと成り上がってしまうのである。
桃太郎の鬼も、昔から食べ物を「人から奪って食べるのが当たり前」という考えで育った結果、人間のいる村から一粒でも多くの食べ物を奪うことを目標にしてありとあらゆる手を尽くす。「物を奪うことこそ生きていくすべ」とあう熱い正義を持っている。そんな人物像(鬼物像というべきか?)にしたい。以下、練り直し文。
長くなってしまったが、こんなもんだろう。
とにかく、鬼が考えている自分の中での正義を明るみにする描写が必要であると思う。
改良ポイント3:鬼討伐メンバーときび団子
最後に必要なのは、鬼討伐部隊のメンツときび団子の存在である。
元のストーリーだと、鬼討伐メンバーとして抜擢されているのはイヌ、サル、キジである。
いや、サルとキジのインパクト弱すぎだろ。
イヌは鼻が効くので嗅覚という強みを活かすことができるが、サルはせいぜいすばしっこいぐらいで人間で補完できそうだし、キジに至っては空も飛べない(正確には飛ぶのが苦手)なので連れていく理由がない。
なのでここでは、サルとキジをクビにして、代わりにクマとイモムシを入れようと思う。
...と言うと、おそらく読んでいる全員が「なぜイモムシ?」という疑問でいっぱいになるだろうが、聞いてほしい。
まずイモムシは虫に分類されるから、イモムシの姿ではもちろん、蝶になったとしても嫌悪の対象であり、いきなり面前に現れたら逃げ回るか追い払うかされるのが定めなので、相手の冷静さを失わせるのに良い。
それに、イモムシに関しては伏線が張りやすい。と言ってもピンと来ないかもしれないが、最後に改変した桃太郎の全文を載せるので、そちらで確認して頂きたい。
そして次に、猿の代わりに抜擢したのがクマであるが、どう考えても猿よりも戦闘力が高い。過去には人間を何人も殺した事件が発生したりもしているし、森の猛獣の代名詞といっても差し支えないほどの戦闘能力があるので、きっと鬼とのバトルに役に立つはずだ。
かくして、元々イヌ、サル、キジだった討伐隊は、イヌ、クマ、イモムシに変更したい。
さて次に吉備団子の存在であるが、原作ではイヌサルキジを連れていくための餌としか機能していないが、正直パンチが弱い。
折角おばあさんがわざわざ鬼退治のために作ったのに、餌として釣るだけではもったいない。そのため、このきび団子を伏線として使うことにした。
完成作品
さて、こんな感じで色々と設定やストーリーをいじってみたので、早速この変更点をもとに練り直してみた。
ここに書いてもいいのだが、記事がとてつもなく長くなるので、私が普段小説などを投稿しているnoteのアカウントに投稿した。
なお、かなり長いので一度休憩を挟んでから読むことをお勧めする。
さて、以下ネタバレ含んだ感想を行う。
①桃太郎の誕生部分
上記の指摘通り、桃太郎の誕生を腐った桃の中から出てくるストーリーに仕上げたのだが、清廉潔白な英雄が腐った桃の中から出てくるのに大変な違和感を感じた。
戦の才能あるイモムシ、イヌ、クマを仲間にする洞察力と、鬼ヶ島を攻略する戦略の才能があるのに、生まれたのは腐った桃の中である。なんか、締まりがない。無論、平等が叫ばれる昨今、出生地に関係なく活躍ができるんだというメッセージにはなるかもしれないが、そのフォローありきでも微妙な設定であり、むしろ、ない方が良いと思う。
②戦闘シーンの影の薄さ
今回、桃太郎のツッコミ箇所として入れたのは桃太郎の誕生、鬼の襲撃理由、討伐隊の選抜の3つであるが、いずれも鬼との決闘に全く関係がない。それゆえ、前半部分ばかり改変して細かくなってしまい、戦闘シーンがかなり薄くなってしまった。原作では「鬼と戦い勝ちました」の9字ですむし、別に今回は突っ込んだポイントでもないので簡単に済ませれば良いのだが、クマの見せ場を作らねばならないので無から引き延ばした結果、無理やり小鬼との戦闘などを挟むこととなった。
③イヌ、無能と化す
今回、イヌは原作通りに出したのだが、たいして戦闘力も高くない上、海を前に先導を諦めると言う無能ぶりを発揮してしまった。これはイヌが無能というより、イモムシを無理矢理突っ込んだことが大きい。イモムシが成長してチョウとなり、皆の先導を果たすというストーリーを立てたがために、本来先導役であった(と言っても原作では別に鬼ヶ島へ導いているわけではないのだが)イヌが完全にいらない子となっているのである。辛うじて戦闘シーンでちゃんと戦っている感じを出したが、結局戦闘力はクマの方が上なのでずば抜けているわけではない。
こうしてイヌは、話を改変した結果完全なお役御免となってしまった。
まとめ
今回、桃太郎という童話を振り返ってみた時に明らかにおかしい点があるので、そこを直した上で良いストーリーにしてやると意気込んでやってみたのだが、結果的にはなんだかよくわからない微妙なストーリーになってしまった。結局はツッコミどころ満載の童話でも、実はちゃんとストーリーが練られているので多少ご都合主義でも目を瞑るべきであるということを学んだ。
童話のみならず、映画やアニメでも「何故そうなる?」という都合の良い設定があるかもしれないが、逆にその設定を真面目に訂正すると、今回のように微妙な話に落ち着いてしまう。なので、物語を見る上では、何も考えず作品を楽しむことが一番ではないだろうか。私も、今後小説なぞ書く機会があれば積極的にご都合主義的展開を取り入れていきたいと思う。
以上。
めでたしめでたし。