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「虚構からの脱出」ができました!
【基礎編を終えて】
何をやっても心許なく、いつもどこか足元がおぼつかない。
漠然とした不安や苦しさが心を覆っている。
そういう状態で随分長いこと生きてきました。
何かがおかしい、でもどこが間違っているのかわからない・・・
答えの出ない疑問に悶々としていました。
自分が何が好きで、この人生で何をしたいのか。
すっかり見失っていた時に、こちらの講座に出会いました。
これまでにも人間や宇宙について学んだことはありましたが、こちらでの学びは他のどんなものとも違っていました。
シンプルで直感的なmotokoさんの言葉が、そのまま壮大な宇宙的ビジョンとなって心身に流れ込んでくるような、 とても不思議な体験でした。
「見えないもの」の世界がリアルに近くに感じられ、理解を深めるごとに、錆び付いていた頭と、心と、身体が徐々に活力を取り戻していくのがはっきりとわかりました。
同時に日常を生きることがどんどん楽になり、ストレスだった対人関係も力を抜いて向き合えるようになってきました。ガチガチに自分を縛っていた「ねばならない」や、無用な罪悪感からも解放されていきました。
学ぶほどに、自分の足で立って歩けるようになる、というか、教えやメソッドに頼らずとも生きていける力が自分の中に育っていく・・・これまでにない確かな手応えを感じました。魂の糧を外的な何かから得るのではなく、自分の内側にその源泉を見出す。それは「学び」というものの真髄ではないかと思います。
充実した学びの中で、私は人生で初めて、「幸せ」というものの本当の姿を知りました。
本当の幸せとは、ウキウキ、ワクワク高揚した心のあり方ではなく、物質やお金や頑張りによって得られるようなものでもない。
いい時も悪い時も、いつも私の傍にいて、内側で静かに鳴り響いている鐘の音のようなもの、と今は感じます。
小さいけれど確かに響くその鐘の音に気づいた時、途方もない豊かさを味わいました。
「もう何もなくても大丈夫、この感覚があれば生きていける」
という力強い思いが湧いてきました。
この思いを土台として、これから人生を積み上げていこうと思います。
本来の自分を忘れて、ただ日常を送ることは、生きながら亡霊になることだと思います。
亡霊状態だった私に、motokoさんの学びがもたらしてくれたのは、
身体と心の蘇生。
生きる力の獲得。
尊くて役に立つ、素晴らしい宝物です。
本当に感謝しています。
【宇宙の摂理】初級コースを終えて
~「創造する私」の目覚め~
私は7月から約半年にわたって「宇宙の摂理」基礎・初級コースと言霊学入門を学ばせていただきました。
学びの過程で体、心、そして外側の現象として様々な変化が訪れ、当初は全く予想もしなかった地点に今立っていることに、とても驚いています。
「偽りの自分を捨て、本来の自分で生きる」そのことを身をもって体験させていただいた、とても貴重な時間でした。
分厚い偽りの仮面を被って生きていた当初の私は、「自分が何を感じ、何を考え、どんな風に生きたいのか」
全くわからなくなっていました。毎日を「生きる」のではなく「やり過ごす」ことで精一杯というひどい状態からのスタート。しかし人間や宇宙についての深淵な学びの中で、徐々に「私」を取り戻していきました。
自分の嘘や偽りに気付き、その由来を探る。
その上で本来の自分とはどのような存在かを掴む。
「教えを乞う」状態から徐々に「自ら探り捉える」という方向へ導かれていく中で、人間を知る、宇宙を知るということは「自分を知る」と表裏一体なのだと知りました。
これまでの経験や知識では計り知れない深淵な学びの中で、知らず知らずのうちに私は「自己認識」という果てしない旅への扉を開いていたのです。
学びを通して私は「書く」というかけがえのない宝を得ました。
何年も前にMOTOKOさんが、すでに見つけて指摘してくださっていた宝です。
今ようやくそれを、自分の手で掴もうとしています。
これまで仕事でも書くことをしてきましたが、いつも書くことが怖くて、しかしそれを誰にも話すことができず隠していました。
書くときはいつも暗い水の底に潜るように言葉を探しました。
見つからない、繋がらない、何を書けばいいのかわからない。
どんな短い文章でも、書くことは自分にとって溺れるような苦しさを伴うことでした。
書くということは誰かに読まれるということであり、否定され、ばかにされること。それが私が抱えてきた恐れです。
自分が誰かを否定してきたように、私も否定され、傷を負うことが怖い。痛い思いをすることが怖い。
そうやって書くことを避け、人の文章を読む行為に逃避していました。
しかし「恐れ」の正体は幻想!
シャドウ、アーリマン、ルシファーについて学び、自分の悪いパターンを明確に理解していく中で訪れたこの気づきが、大きなターニングポイントになりました。
自ら作り上げた虚構のスクリーンを現実と思い込み、外の世界に目を背けてきた自分。それは「偽りの自分」を生きてきたこと、そのものだったと思います。
恐れのフィルターを外して見る世界は新しく、輝きに溢れていました。
書くものと読むものの間には
語るものと聴くものとの間には
演ずるものと観るものの間には
深淵が横たわっている
見るものと見られるものは一対であり、
昼夜のように入れ替わりながら一つの世界を両者で作りあげている
「書く私」つまり「表現する私」はこれまでずっと沈黙を通してきました。
糾弾される恐怖に震えながら。
深淵を飛び越えるチャンスは次々と与えられましたが、
義務感や責任感では、決して飛び越すことはできないのです。
深淵を飛び越えさせるものは何か?
感覚し、感情し、思考する
人間が持つ3つの尊い心。そして認識の力だと思います。
感じ、感情し、思考する
それを丁寧に辿ることで文章が生まれ、オリジナルな表現が生まれる。
まるで創造の秘密のようです。
学びを通して私の世界は大きく変わりました。
糾弾し糾弾される世界から「私が今、ここにいる」シンプルで明るい世界へ。
その先には、「私がここにいる」そのことを「あなた」と分かち合う。
中今が広がっているのだと思います。
人間は世界を享受するだけの存在ではない。
むしろ世界を創造しているのは他でもない私なのだ。
宇宙の摂理の学びは「享受する私」の裏側にいる「創造する私」を目覚めさせてくれました。
叡智の人、MOTOKOさんの愛とご指導に感謝し、書くことを続けていきます。
本当にありがとうございました。
(千村ひろ美さん ライター )
宇宙の摂理セミナーについて