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ミュージカル「ムーランルージュ」を鑑賞して、たどりついた40年のミュージカル鑑賞の結末。
帝劇で上演中の「ムーランルージュ」を観劇。
今回は、いくつかの役がダブルキャストで、たくさんの組み合わせがあるので、私が見た日がたまたまこうだった前提での、観劇で思ったこと。
バズ・ラーマンの映画が好きで、ロミジュリもムーランルージュも好きだった。
けれど、当時(2001年)はこの映画、全然ヒットしなかった。
それなのに、20年近くたってからのBWミュージカル化。
それがそもそも疑問。
それはさておき・・・
ミュージカルというのは、どれか一つだけの才能があるだけでは、どれか一つだけが突出したできばえでは、完成しない総合芸術だな。というのが、今回の総評。
出演者の中、主演の方はとても芝居が上手かった。歌もすばらしく上手かった。元宝塚トップスターだけあって、真ん中にたって光輝く存在だった。
しかし、一人が芝居上手いだけでは、その作品は仕上がらない。
相手役の青年役は、難しい役だ。
主役の女性を一目惚れさせるだけの魅力もなくてはならないし、デュエットで歌うだけの歌唱力も必要だし、加えて狂言廻し的なポジションも担っている。
この日出演の若者がどういうキャリアの人か分からずいていたが、
全くもって狂言廻しができていないで、彼が正面きって語り始めると、「は?何が始まった?」とびっくりしてしまった。
狂言廻しは本当に難しいのだ。
狂言廻し中は「現在」にいて、芝居進行中は「過去」にいる。そういう時間軸を一瞬にして変える表現力が必要だ。
(きっともう一人の役者さんの方が実力的にも上手いんだろうな。というのは容易に想像できた)
尚且つ、主演の女性と恋仲になるには年齢さを感じさせすぎ!そこを演技力でカバーできずに年齢さありありカップルになってしまい、ちょっとしらける。
もう一人の狂言廻し。こちらは劇中の役柄が狂言廻しになるはずだが、やはりこちらもまったく回っていない。
顔は濃いが、濃い演技が全くもってできていなくて中途半端この上ない。
劇中劇の役と、役の切り替えが全くもって出来ていない。
演技が上手いと主役の女性との絡みが涙をそそるはずだが、そういうシーンになっていかないもどかしさ。
あ~、残念。
さらに、ダンサーが多いせいなのか、その他の役者さんの一言二言台詞が、ガクっとなるほど言えていない。
役者がね~。そろってないな。というのが残念。
一人が特出して上手くても、ね~。
セットも素晴らしかったし、
ダンスも上手かった。
日本人のスタイルはどんどん良くなっているのを実感した!
演奏も上手だった。
ロビー演出も無駄に頑張っていた。(はっきり言おう!あのロビー演出は無駄だ。全くもって邪魔。
赤い照明でムーランルージュ感とかだしてくれなくて結構。へんなチリアウトの曲も要らない。舞台の導入というよりも邪魔だ)
良いところ、だめなところ。入り混じった仕上がりだな~。
話し変わって・・・
日本語の翻訳ミュージカルが久しぶりだった。(10数年ぶりかな)
そして、がっかりした。
全くもってレベルがあがっていないのね。
それは一重に、製作者と観客のせいだと思う。
製作者は実力よりも客寄せパンダになるアイドルを使ってしまう。
(そのアイドルが目覚めて稽古を必死になって、実力をその後つけていくならばOKだが、そうならずに胡坐をかく人もいそうだ)
製作に大手事務所がかかわると、バーターでキャスティングねじこんでしまう
観客は、拍手に値するものかどうか考えずに拍手をし、スタンディングオベーションをする(のが慣習化してしまう)
舞台役者は、観客が育てるものだ。
素晴らしい出来には賛辞を送り、ダメならば冷ややかに接する態度をとることが観客には必要だと思う。
製作者と観客のナァナァな関係は、舞台役者を育てない。作品を育てない。
きっとそんなこと繰り返されているんだろうな。
と久しぶりの舞台観劇で感じた。
きっと、もう私は日本人キャストでミュージカル鑑賞しないな。(悲しいけど)
舞台鑑賞歴40年越え。目も耳も超え、自分も作品制作に関わる立場も経験し裏も表も知った今、ミュージカル鑑賞における悲しい結末にたどりついてしまった。