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元芸人が考える、これからのクリエイティブの肝。

「せやけど、辞めてなにすんねん」
 
高円寺駅ガード下の薄汚れたホルモン屋の一角で、先輩芸人は僕に尋ねた。網の上では、来たばかりのシマチョウがジュージュー音を立てている。
 
「放送作家と迷ったんすけど…、今は広告に惹かれてます」
「広告?」 
 
急に息子から海外の大学に行きたいと告げられた父親のように、先輩の目が丸くなった。
 
「ネタ思いついた時よく、誰かとカブってないかネットで調べるじゃないですか。結構CMとかとぶつかってたんすよ。それに、よくわかんないけどお笑いと広告って結構近いんじゃないかって」
 
矢継ぎ早な僕の言葉は、どこか自分に言い聞かせるような響きがあった。先輩は宙を見上げると、しばらく黙り込んだ。口の中のシマチョウと一緒に、僕の言葉を咀嚼しているように見えた。そしてグッと飲み込むと、僕の好きないつもの笑顔で言った。
 
「ええやん。いつかCMで使ってや」
 
僕は無言で頷き、グラスに残っていたビールを飲み干した。気がつくと、いつの間にかシマチョウは真っ赤な炎をあげていた。

芸人からCMプランナーへ

いきなりの三文ドラマに驚かれた方、すみません。わたくし、CMプランナーの菅野と申します。普段はCMの企画を中心に、デジタル施策、OOH、PRなど、結構いろんな分野で活動しています。

さまざまな専門性を打ち出す「ADK CREATIVE MALL」の中では、話題化やファンづくりを重視する「バイラル・エンターテインメント」をコンセプトに掲げるチームに所属しています。 

僕は広告業界に入る前、芸人として活動していました。冒頭の文章は多少脚色していますが、基本的にあんなトンマナで生きていたことは間違いありません。バイトに明け暮れながら、舞台の上でOLの格好をしたり、フリップをめくったり、お尻をバットで叩かれたりしながら過ごしていたのです。 

コント用の煤けたスーツ一着しか持っていなかった僕が、今こうして広告代理店の社員として生きていると思うと少し不思議な感じもします。ADKが入居する虎ノ門ヒルズの画像を見た田舎の母も、いい会社ね、とうれしそうでした。芸人になると伝えた時の号泣っぷりとは天と地の差です。 

でも、昔と今でやっていることが違うかというとそうでもありません。むしろ相当近いことをやっている気がします。高円寺のホルモン屋で僕が口にしたことは、やはり間違っていなかったのです。ではなぜお笑いと広告が近いのか。それは単に、お笑いも広告も人の心を動かす表現として地続きである、という意味だけではありません。今の広告を取り巻く環境の変化、が多大に影響しています。 

情報が氾濫し、興味のあること以外スキップされてしまう今、ターゲットの生活の中で話題にならない表現は気づいてさえもらえない。気づかれない表現に、課題を解決する力はありません。クライアントの課題をきちんと解決するためにも、「話題性」と、話題にするために不可欠な「エンターテインメント性」が非常に重要。で、そこを達成しようと思うと、芸人的なタクラミが大事になってくる、そう思うのです。 

というわけでこのnoteでは、元芸人の僕がこれからの広告クリエイティブにおいて大事だと考える、いくつかのポイントを紹介させていただければと思います。では早速参りましょう。

ツカミ

意気揚々と舞台に飛び出し、練りに練った最初のボケを繰り出す。直後、客席から笑いが巻き起こり、背もたれに体重を預けていた観客たちがグッと前のめりになる。…はずが、客席からは物音ひとつしなかった。照明の光の向こうで、若い女性客がスマホに目を落とすのが見えた。 

「ヤバい、スベった!」

一瞬にして動悸がはやくなり、舌の回りがおぼつかなくなる。取り返そうと二発目、三発目のボケを繰り出すが、一度離れた心はそう簡単には戻ってこない。僕の焦りが伝わったのか、客席で赤ん坊が抜群のタイミングで泣き始める。そして皮肉にも、それがその日一番の笑いを引き起こす。背中を丸めて舞台袖に戻る頃、シャツの中はびっしょりと冷たい汗で濡れている…。 

いやはや思い返すのも恐ろしい、ツカミを外した男の悲劇であります。そしてそんな僕には、広告のツカミの大切さが痛いほどわかる、と言ったら言い過ぎでしょうか。 

広告におけるツカミの重要性、それは環境的な面から見ても増すばかりです。先にも書いた通り、今の広告は、スマホ、音楽、アニメ、番組、映画などなど、強力にチャーミングな敵と時間を奪い合わなければなりません。人々の視界に入った瞬間に、「む!」と思ってもらえなければ、その先はありえない。だからこそ僕は、広告制作において「ツカミ」を特に大事にしています。

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これは僕が企画させていただいた「ガッチャモール」というクーポンサイトのTVCMです。「回転」をモチーフにデザインされたビビッドな空間の中で、イエロー(=ガチャガチャのレバーの色)な人々 が「ガッチャモール♪」を連呼しながらぐるぐるし続けるという内容です。 

「回しておトクを楽しもう!」というガッチャモールのコア・バリューを、徹底的に、とにかく目を惹き、気になるカタチで記号化。すでにおトクを楽しむ快感を知る人々のなんとも言えない表情から、画面全体の色づかいに至るまで、氾濫する情報やおびただしいCM群の中にあっても、思わず目を留めてしまう不思議な魅力になるよう意識しました。

結果、このCMを見た人のコメントがTwitterに溢れ、CMを見た人からまだ見ていない人へ、SNSでもガッチャモールの価値が拡散していきました。

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そしてこれは、Metro Ad Creative Awardという公募コンペで賞をいただいたOOH企画です。ずっとお母さんと子どもをターゲットにしてきたフルーチェが、お父さんもコミットさせたい、というオリエンでした。コピーでお父さんに落としつつ、とにかくなが〜い牛のオブジェで道行く人の足を留めることを意識。その時いただいた講評が、僕がこの項で言わんとしていることそのままだったので、恐縮ですが掲載させていただきます。 

ちちしぼりの案はたくさんあったが、この案以外は、牛が普通の牛だった。ひとつだけ、生きている本物の牛の乳を絞るという勇敢な案があったが、小心者の僕にはそれを選ぶ勇気はなかった。しかし、この案だけは、なんと牛が長かった。これなら公衆衛生上も問題ない。

でもなぜ長いのか。多くの人が同時にちちしぼりをするためなのか。この地下通路のスペース特性を活かすためなのか。フルーチェのために開発された新種の牛なのか。実は牛ではなくダックスフンドなのか。こんなに長くてこの牛はちゃんと歩けるのか。いずれにしろ夢にでてきそうな違和感がある。

さらにコピーがアホで、なんとなくちょっとエロい感じもする。父としぼろう。父とつくろう。これが通り過ぎる親子に、「さあおまいら、ここでちちしぼりをしておくれ!」と呼びかけてくる。およそ全ての要素が惑星直列のように通行人を小馬鹿にしていて、もはや無視して通り過ぎることは不可能だと思った。アウトドア広告というのは一瞬で通り過ぎるスペースなのだから、人の足を止める呼びかけ力が全てなのである。(木村健太郎 氏)

Metro Ad Creative Award 公式サイトより

人の目や足をとめる呼びかけ力。それがつまり、僕が大切にしている「ツカミ」です。くどいようですが、どんなに正しいことを言っているクリエイティブも、見てもらえなければ何の役割も果たすことができません。一方的に言いたいことを発信するのではなく、興味を持ってくれた人に向けてメッセージしてはじめて、そのブランドや商品の価値に共感してもらえると僕は考えています。

アドリブ 

ボケのセリフを口にすると、ドンと跳ねるように笑いが起きた。その音が波のように引いていくのを耳で確かめながら、慎重に次のセリフを口にする。さらにタイミングを見計らって、台本にはないボケを足してみる。笑いがさらに輪をかけたように広がった。

きっとこのままだと尺をオーバーするだろう。だが、こんな時はどんな先輩も怒れないものだ。あんだけウケてたらしゃあないわ、そう言って肩をすくめるしかない。

ネタは佳境に入っている。興奮と快感と、ほんの少しの寂しさと。いつもよりテンポをはやめて畳み掛けると、階段を駆け上がるように、笑い声はますます大きくなっていった。

観客の反応に応じて間やセリフを変化させることの大切さ。これも、芸人時代に体感的に培ったものの一つです。セリフの間(ま)、会場の空気、笑いの渦を目の前のお客さんと一緒に創っていく感覚。手応えのあったライブはいつも、お客さんといい共創関係をつくることができていたように思います。 

そしてこれは広告において、TwitterなどのSNSの運用時に非常に活きてくると思っています。ターゲットの反応にのっかったり、世の中の動きにつっこんだり。規定通りのシナリオではなく、「ターゲットがどんな気持ちでいるのか」「世の中はどんな空気になっているのか」をリアルタイムで把握して、投稿内容や、投稿するタイミングを柔軟に変化させていく。そしてそのアドリブにまた、お客さんがのっかってくれたり、つっこんでくれたり。そうしてどんどん話題の輪が広がっていく。 

ターゲットの気持ちや世の中の空気を感じろ、とは昔から言われていることですが、それはSNSが重要なタッチポイントになった今こそ、特に重要性が増していると僕は考えています。会話のように上手に、リアルタイムにSNS上で世の中の人々とやりとりすることで、エンターテインメントの質を上げるだけでなく、そのクリエイティブの課題解決力まで高めることができる。お笑いだけでなく広告でも、アドリブ力が、これからのクリエイティブの肝になる、僕はそう確信しています。

愛される。愛され続ける。 

ライブを終えて劇場から外へ出ると、いつもの見慣れた光景が広がっていた。若い女性たちが、いくつかの集団に分かれて壁づたいに立っている。お目当ての芸人を待つ、出待ちのファンたちだ。

その中の一人が、僕に向かって小走りで近づいてきた。ずっと僕からチケットを買ってくれている、古株の女性客だ。僕は笑顔を見せながら、彼女にむかって右手をあげた。

…が、彼女は僕の横を風のようにすり抜け、後ろにいた後輩芸人に嬉しそうに話しかけた。思わず振り返る僕。彼女は僕のことなど目に入らないかのように、目をキラキラさせて後輩と話しこんでいる。

嗚呼、なんとも無情な世界。しかしこれが競争社会というものである。僕は無言で向き直ると、重い足取りで、駅に向かって歩き出したのだった…。

「愛される」だけでなく、「愛され続ける」こと、これはなかなかに難しいものです。たとえ一度ファンになってもらったとしても、同じことを続けているだけでは、いつか飽きられてしまう。常に新しいものが生まれ続けるお笑いの世界において、目移りするなというほうが無理な話だからです。

おそらくそれは売れている芸人さんでも同じ。彼らだって世の中に愛され続けるために、常に新しいことに挑戦していたりします。YouTubeでゲームの分野に進出してみたり、それまでとは毛色の違うネタを作ってみたり。愛されるきっかけとなった、もともとの持ち味は太い幹として大切にしながら、今までとは違う新たな一面も見せていく。そうすることで、また新鮮な気持ちで好きになってもらう。変わらない部分と変えていく部分の両方をうまく持つことで、「愛され続ける」ことに成功しているのです。

そしてこの「愛され続ける」ことは、広告のクリエイティブにおいても重要度が高まっています。ターゲットと向き合う時間軸が変わり、出稿して終わり、ではなく、ファンを生み出し絆を深め続けることが重要になっているからです。
 
そのためには、商品や企業の根本にある想いや哲学に共感してもらい、愛してもらうと同時に、常に新しい一面も見せ続けていく必要がある。人は飽きます。倦怠期は企業とファンとの間にも訪れます。情報が氾濫し、色々なものがより飽きられやすい今だからこそ余計に。その商品や企業らしさを大切にしながら、新しいチャレンジでファンを楽しませ続けていく、それが大事だと思うのです。

それが実践できたと思うのが、今年の明治メルティーキッスの事例です。メルティーキッスといえば、新垣結衣さんと「冬のキッスは 雪のようなくちどけ♪」で始まるあの歌。今年で11年目になるこの黄金フレームは、日本人に冬の訪れを知らせる風物詩とも言えるぐらいの人気と知名度を誇っています。 

僕はメルティーキッスにCMプランナーとして携わらせていただいてまだ数年ですが、その時にはすでにメルティーキッスのTVCMは抜群の愛され度を誇り、ファンづくりにも成功していました。そのため毎年TVCMの企画は、「新垣さんと歌」を太い幹とし、その上でその年らしさをプラスしていく、ということを意識してつくっています。今年のTVCMはまだOA前なので詳しく語れませんが、もちろん素敵な仕上がりです。 

で、本題の新規性の部分は、今年初めて制作した、ラジオやWEBで流す音声のみのCMです。もちろんTVに比べればリーチ数は少ないですが、僕はPRにうまく乗せられれば、話題になるものが作れるのではないかと思っていました。 

そこで企画したのが「新垣結衣のメルティーキッスASMR」というもの。新垣さんがメルティーキッスの箱を開ける音、個包装の袋を開ける音、口に入れる瞬間の音、しばしの沈黙ののち、新垣さんの「とろけちゃいました♪」という一言。絵のない音のみのメディアであることを活かした、シンプルな企画です。雪のようにすぐに口の中でとけるメルティーキッスだからこそのコンパクトさで、かつその魅力もうまく表現できたのではないかと思います。 

この音声CMは、他のタイプとともに、ローンチ直後からいくつもの情報番組やWebメディアに取り上げられました。Twitterでもかなりの数の反応があり、スレッドも立つほどだったようです。

商品や企業が愛され、そして愛され続けるために。愛され続ける芸人にはなれなかった経験を糧にしながら、僕は僕ならではのやり方で、日々クリエイティブと向き合っているのです。

芸人から広告人へ、そしてまた芸人へ。

というわけで、元芸人の僕が大事にする広告クリエイティブのポイントについて、色々と書かせていただきました。変化する時代やターゲットを動かすクリエイティブ、そしてチームコンセプトである「バイラル・エンターテインメント」の実践には、「芸人的思考法」が役立っていることがなんとなくわかっていただけたのではないかと思います。 

思えば、ずっと芸人から広告人になろうと奮闘してきた僕ですが、バイラル・エンターテインメントを強く意識する場面では、いわゆる広告人から芸人になろうとしているような気さえします。不思議なもんです。広告的思考と芸人的思考を掛け合わせることで、僕にしかできないクリエイティブを実践できているのだとしたら、あの頃の苦労も報われるというものです。というわけでお母さん、こちらは元気にやってるので安心してください。 

広告が広告の枠を超えていく。広告だけでなく、スマホ、音楽、アニメ、番組、映画といった、人間のあらゆる興味と限られた時間を奪い合う。ボーダレスなアウトプットを生み出していくためには、それを生み出す人間の思考もボーダレスになって当然です。 

だとすると、お笑いから広告の世界に来る人が、僕はもっと増えていいのにと思います。ただ僕も含めて、広告は売れない芸人の逃げ場ではありません。お笑いと同様、熾烈な競争の世界。そんな中で、どうやって一旗あげようか。高円寺のホルモン屋で燃え盛っていたシマチョウの炎は、ますます激しくなるばかりなのであります。

ADK CREATIVE MALL 特設サイトはこちら

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CM Planner
菅野 晴彦 / Haruhiko Kanno

福島県生まれ。一橋大学在学中から松竹芸能にて芸人として活動。その後、螢光TOKYOを経て、ADKクリエイティブ・ワン所属。
お笑いから広告へ越境したのと同様、CMを中心に、デジタル、OOH、PRなど、こちらもボーダレスに活動しています。