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ありふれた日常を「初めて体験する」意識を研ぎ澄ますー「デ・キリコ展」を鑑賞して

東京都美術館で開催中の「デ・キリコ展」を鑑賞した。

恥ずかしいことに、この画家のことを「シュルレアリズムの系統に属する作家」かのように理解していたのだが、それは大きな間違いだった。

デ・キリコは1888年にイタリア人の両親のもとでギリシャに生まれ、その後画家を志し「形而上絵画」と名付けた作風で歴史に名を残すことになる。

本展は、その道筋をたどる形で「自画像・肖像画」「形而上絵画」「1920年代の展開」「伝統的な絵画への回帰」「新形而上絵画」の5つの章で構成されている。

その代名詞ともなっている「形而上」とはどのような概念か?

「形を持っていないもの」「時間・空間の制約を越えた超自然的なもの」とされ、それを探求する形而上学は、こうした概念に基づき世界の根本的な成り立ち、モノや人間の存在理由、感覚を超越したものについて探求する。中でも、デ・キリコが崇拝したニーチェやショーペンハウアーは非合理主義つまり、感情・直観・体験・衝動などを重視すると言われる。

画家としての進化も、常に「超自然的な啓示」から生まれている。

1910年代初期のある日、通い慣れたイタリアのサンタ・クローチェ広場で「そこを初めて観る感覚」に襲われ、形而上絵画の着想を得る。

<不安を与えるミューズたち>1950年頃

1920年代に入ると、ルネサンス期の画家 ティツィアーノの作品に啓示を受けて伝統的絵画を研究する。

しかし、どの時代にあってもデ・キリコの作品に登場するのが「マヌカン」という存在だ。
その匿名的な姿によってミューズ、予言者、哲学者・・と様々に姿を変えながら、メッセージあるいは違和感を投げかける媒体としての役割を果たす。

<予言者>1914-15年

デ・キリコの活動の特徴は、こうした思想を核としながら、さまざまなものを「横断(あるいは超越)」していることであり、それが画風を進化させて来たと言える。

まず「場所」の横断と超越。ギリシャで生を受けるが、その後、イタリア、ドイツ、パリ、ニューヨークといった場所をめまぐるしく往ったり来たりしている。

次いで「領域」の横断と超越。哲学、考古学、詩といった異なる分野を研究すると共に、それぞれの代表的な存在との交流を行って来た。

あるいは「芸術手法」の横断と超越。独自の形而上絵画で時代の寵児となりながら、あっさりと伝統的な絵画へと転身し、そうかと思えば形而上絵画に回帰する。

だが、何よりも特徴的なのは「時代」の横断と超越だ。19世紀末から20世紀末という、史上まれにみる芸術の転換期にあって、常に時代のパイオニアであり続けた。彼の作品がダリやマグリットといったシュルレアリズムの画家たち衝撃を与え、その30年後にはポップアートの騎手 アンディ・ウォーホールに衝撃を与えるのだ。

様々な横断と超越によって「無時間性」を獲得したデ・キリコの作品は、多くのアーティストが囚われる「同時代性」という呪縛から逃れ、いつの時代にも古びない普遍性を獲得している。

デ・キリコは、この世界を「巨大で奇抜なミュージアム」と表現した。我々が日常と感じているものの中に「初めて体験する」かのような違和感を覚える感覚を研ぎ澄ませながら、それを理論化し(論文も書いていた)実践し続けて来た作家だからこそ言えることだ。

#デ・キリコ   #東京都美術館   #形而上絵画  

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