作家のエネルギーはどこから来るのだろうか?
東京オペラシティアートギャラリーで開催中の「縄張りと島」を鑑賞した。本展覧会は、複数の参加者による協働作業が生み出す行為を映像、写真などの作品として発表し続けている気鋭のアーティスト・加藤翼の作品の軌跡を一同に紹介している。私自身がソーシャリー・エンゲージド・アート(SEA)の研究を始め、加藤氏の活動がSEAと位置づけられると聞き、駆け付けた。
会場には、彼の代名詞とされている「Pull and Raise」シリーズを中心とした作品群が映像と共に展示されている。大勢の人が巨大な構造体をロープで引き起こしたり倒したりするパフォーマンスを繰り広げるので、展示物も巨大で圧倒される。
石油パイプライン建設によって追い出されるネイティブアメリカンと共に黒いプラスチックシート(石油パイプラインを「黒い蛇」と呼ぶことから着想したらしい)をひっくり返す「Black Snake」という作品や、公共空間での集会などの表現の自由が制限されているベトナムで難民を象徴するボートを立ち上げ、ひっくり返す「Guerrilla Waves」などがメッセージ性が強い代表作と言える。
そのような中で私が強く印象付けられた作品がいくつかあった。まず「Superstring Secrets :Hong Kong」。これは、加藤氏が参加予定だった香港での展覧会が新型コロナウイルスのため延期となり、帰国もままならない中「秘密」を紙に書いて投函してもらい、それをシュレーダーにかけ、地下の歩行トンネルで太い帯状にするパフォーマンスを映像と展示を組み合わせて表現した作品だ。本展覧会では大きな構造物の傍らに、そのメッセージを解くカギとなるような、本の上に物体を置いた小さな展示物がある。この「Superstring Secrets」の傍らには「CHINA THE GREAT」という本の上に中国の皇帝らしい人形を人々が縄で倒そうとする様子が造形化されていた。消去される秘密、地下のトンネルそしてこの造形から、昨年来香港で起こっている状況への作家の強い思いを知ることができた。
あるいは「2679」というパフォーマンスでは、3人の演奏者がそれぞれ紐で拘束されながら目の前の楽器に必死に手を伸ばし演奏を試みる。その曲は「君が代」だ。演者たちは、いずれも両親の一方が日本人ではないという。国家のもと結束しながら拘束される「国民」の姿をシンボリックに浮き彫りにする。
巨大な構造物を引き倒す光景を、実は我々は数限りなく目撃して来た。国家の権力者が革命などによって殺されたり亡命したりする度、権力者を象徴する像を民衆が引き倒して来た。最近では、イラクのサダム・フセインが亡命した後、その像が引き倒される光景を世界中の人が目にした。権力が生まれるたびに像(構造物)が屹立し、権力が去ると共にそれらが引き倒される。「Pull and Raise」は、人類が繰り返して来た文明の盛衰や民衆の得体の知れないパワーをシンボリックに表現しているように、私は感じた。
好きな番組であるEテレの「100分de名著」で今月扱っているのは、ル・ボンの「群集心理」だ。本展覧会とも共通するメッセージ性のある内容であり、読んでみたい衝動に駆られている。
それにしても、これだけのパフォーマンスを実現させるプロセスに興味をおぼえる。実施に至るまでに、作家はどのようにアートとは無縁の人たちにその意図を伝え、関係各所に交渉し、かつ肉体的にハードな活動に協力してもらっているのだろう?展示作品に至る膨大な熱量とエネルギーを想像し、圧倒された。
さて。本展覧会のコーナーを過ぎると、そのままもうひとつの展覧会に誘(いざな)われた。そこではオペラシティアートギャラリーが所蔵する寺田コレクションから、夏の風景を描いた日本画が展示されていた。その空間に入った途端、安らぎのような感覚を得た。「縄張りと島」では、その意味するものや文脈を解釈しようと脳をフル回転させていたのかもしれない。しかし、このコーナーでは、その必要が無く、ただ作品の世界に浸れば良かった。交感神経を刺激されたかと思えば、副交感神経に働きかけて癒される。アートの海は、広く深い・・・。