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「夢想する力」は、誰にも奪えない-「大地の芸術祭2022」探訪記-

 初めての「大地の芸術祭」探訪記。前編は、越後妻有という土地に根ざし、その土地の記憶や文化を知る「案内役」としてのアートについて書いたが、後編では印象に残った作品について書き記したい。

 まず、集落で廃校となった学校を美術館として再生させた2つの作品を紹介する。ひとつは「鉢&田島征三 絵本と木の実の美術館」もうひとつは「最後の教室」である。

 「絵本と木の実の美術館」は、絵本作家・田島征三が2005年に廃校になった鉢集落の旧真田小学校を「空間絵本」として、集落の人たちと共に2009年以来、13年間に渡ってつくりあげて来た作品だ。廃校が決まった学校から他校に転校しなければいけなくなった3人の子供を主人公に、学校に住んで来たオバケ“トペラトト”との交流を通じて旅立って行く物語が校舎全体を使ったアート作品で描かれている(田島さんが描いた絵本も売っている!)。

鉢&田島征三・絵本と木の実の美術館 (ehontokinomi-museum.jp)

 入り口には「やりぬく子」という木製の文字が掲げられている。作品はすべて、学校周辺の野山に生息する木材や木の実で出来ている。これらはすべて、田島さんと共に鉢集落やボランティアの人たちが手作りで生み出して来た。校舎内の窓は開け放たれ、通り抜ける風が木製の人形を揺らし、まるで生きているように感じる。校舎の外は「ビオトープ・エリア」として、土地の植物や動物を守り育てている。中でも人気者になっているのは山羊の親子。サービス精神たっぷりに?カメラを向けると目線をこちらに向けてくれる。1Fのカフェでアイスコーヒーを飲みながら校庭をボンヤリと眺めていると、今を生きているんだな、という実感を持てる。正に温かい「生命」を感じる空間なのだ。

 一方の「最後の教室」はフランスのアーティスト、クリスチャン・ボルタンスキーとジャン・カルマンによる、廃校となった旧東川小学校を舞台とする2003年の作品。

最後の教室 - 作品|大地の芸術祭 (echigo-tsumari.jp)

 カーテンで閉ざされた入り口を抜けると、そこは体育館。暗闇の中に扇風機が置かれた無数のベンチが敷き詰められ、やがて眼が慣れて来ると天井から多数の豆電球が薄い光を放っているのを視認できるようになる。壁面には、何も映っていないザラザラとした映像が投影されている。

 体育館を抜けた後も、かすかな光に導かれながら校舎の中を進む。2階にはボルタンスキー(2021年に亡くなった)のライフワークともなった心臓音が鳴り響く部屋や、部屋全体に敷き詰められた白い布越しに蛍光灯の光がぼうっと浮かび上がるインスタレーションなどを体験することができる。

 同じ廃校を舞台としながら「絵本と木の実の学校」と「最後の教室」は、何もかも対照的だ。開け放たれた明るい空間と閉ざされた暗闇。木材や木の実などの生き物を活かした造形と機械的な造形。そして、「生」を感じさせる空間と「死」を感じさせる空間。

 しかし、両者に共通するひとつの作品がある。どちらも影絵で楽しませる部屋を設けていることだ。「影の劇場~愉快なゆうれい達~」は、2018年にボルタンスキーが追加制作した。もしかしたら「絵本と木の実の美術館」を訪問した彼が対抗心を燃やして?「自分にもこういう茶目っ気のある作品がつくれる」と発想したのではないか、という想像をめぐらせた。大地の芸術祭は、現地の人と訪問者の交流と共に、そこに訪れる作家たち同士の交流や互いの刺激も生んでいるのは間違いない。

 越後妻有という土地に根差した作品の一方、世界の情勢を反映する作品も多くある。中でも、この芸術祭に多大な貢献をして来た旧ソ連(現ウクライナ)の作家、イリヤ&エミリア・カバコフの作品群には感銘を受けた。

カバコフの夢は越後妻有でひらく - 美術は大地から|大地の芸術祭 (echigo-tsumari.jp)

 カバコフはソ連の文化統制下で非公認芸術家として「自分のため」の作品を制作していたが、その代表作が10人の主人公の夢想を短い絵本にしたシリーズ「10のアルバム 迷宮」だ。自由な空で生活する男、クローゼットに閉じこもって生活する男などが描かれる。絶望的な状況でも奪うことのできない夢想(イマジネーション)する人間の自由を温かく、どこかユーモラスな筆致で描き、その作風はオーストラリアの絵本作家、ショーン・タンを思い起こさせる。「16本のロープ」は、1984年以来、カバコフが取り組んでいる代表作のひとつ。ほぼ目線と同じ位置に張られた16本のロープには約100個の廃材と共に、生活する人々の日常の言葉が書かれている。国や文化は違っても、暮らす市民の言葉は驚くほど我々が発するものと変わりがない。

 ウクライナの作家も「緊急参戦」した。メイン会場となる越後妻有里山現代美術館のロビーには、同国のアーティスト、ジャンナ・カディロワの「パラャヌィツャ」が展示されている。石でつくったパンの造詣だ。「パラャヌィツャ」はウクライナ語で、小麦でつくりオーブンで焼いたパンの意味。ロシア人はこの単語を正確に発音できないため、戦争前にウクライナに潜入したロシア人スパイを判別するための「リトマス試験紙」としてこの言葉を発音させたことから、ウクライナのアイデンテイティを象徴する言葉にもなったという由来からつくられた作品だ。
パリャヌィツャ - 作品|大地の芸術祭 (echigo-tsumari.jp)

 どのような力をもってしても「夢想する」人間の権利を奪うことはできない。「大地の芸術祭」には、世界中のアーティストたちが、それを造形として目に見え実感させてくれる第三の場としての価値がある。

※前編はこちら
「土地の記憶の案内人」というアートの価値|sakai_creativejourney|note

#大地の芸術祭 #田島征三  #ボルタンスキー
#カバコフ

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