頑固なふくよかさーボテロ展を観て
渋谷Bunkamuraで開催されている「ボテロ展-ふくやかな魔法」を鑑賞した。また、それに先立ち同じく展覧会と同時にBunkamuraル・シネマで公開された映画「フェルナンド・ボテロ-豊満な人生」にも足を運んだ。
ボテロ展 ふくよかな魔法 | Bunkamura
映画『フェルナンド・ボテロ 豊満な人生』公式サイト (botero-movie.com)
フェルナンド・ボテロは南米コロンビア出身の画家で、現在90歳でなお活動中。本展覧会は日本では26年ぶりの大規模展となり、最近の作品も紹介されている。その作風は、あまりにも有名な「ふくよかさ」。人物、動物、物体・・あらゆるモチーフがふくらんでいること。そのすごさは、ボテロ唯一絶対の作風であると共に、目にしただけで作者名が思い出されることだ。たとえボテロという名前を知らなくても、その作品を思い出しただけで、誰でも頬がゆるんでしまうことだろう。
本展覧会では「初期作品」「静物」「信仰の世界」「ラテンアメリカの世界」「サーカス」「変容する名画」という6つの章で、ボテロの魅力を分析・紹介している。共通した画風は、ふくよかさだけではない。明るく特徴的な色づかいや、描かれる人物がいずれも無表情な点も、一貫している。驚かされるのは、2019年つまり87歳からドローイングに挑戦を始めていることだ。
なぜ「ふくよかさ」を描き続けるのか?これまでおそらく数限りない機会にそう聞かれて来たであろう質問に対し、彼が一貫して答えるのは「意図して太った人物を描こうとしているわけではない」ということ。また芸術は、人々を幸せにするためのものだということだ。
ハッピーな気持ちにさせるふくよかな作風。それを「絵画というより安物のキャラクターのようだ」と嫌悪感を持って批判する批評家もいる。しかし、映画を鑑賞するとその作風の背景にあるものに気づかされる。それは、彼の出自となるコロンビアという国だ。
南米コロンビアはヨーロッパからの入植者、アフリカ人の奴隷の末裔、ヨーロッパ人が渡来する前からの先住民族が混在する極めて多様な文化、民族を有する。1960年代から政府軍、左翼ゲリラ、極右民兵による内戦が50年以上!も続き、世界で最も危険な国とされて来た。ボテロは、ヨーロッパに渡るまでの青年期に至るまで、このコロンビアで育った。
作家の画風は、生きて来た文化的背景に嫌が応でも影響を受ける。ボテロの特徴的な色彩感覚は、コロンビアの気候や日照あるいは空気を吸ったからこそ生み出されたものなのだ。何よりも、平和や幸福を強く願う思いが作品に色濃く反映されている。本展覧会でも何らかの事件に巻き込まれてバルコニーから転落する女性を描いた作品を眼にすることができる。また、イラク戦争時の米軍による捕虜虐待に対する抗議を込めて描いた50枚に渡る作品群もある。
映画の中では、高齢になってから生まれた末っ子のペドロを事故によって亡くしたという痛ましい出来事も語られる。ボテロの特徴は、大きな出来事に遭遇すると、そのテーマに集中して膨大な作品を生み出すことだ。ペドロを亡くした時も、彼をモチーフにした作品を描き続け、そこから最高傑作とされる「馬に乗ったペドリート」が誕生する。
ボテロがアメリカに渡った60年代は、ジャクソン・ポロックを筆頭とする抽象表現主義が主流だった。その中で冷たい扱いを受け、その作風を確立した後も批判にさらされて来た。それでも、彼はふくよかな作風を捨てることはない。その頑固さや一貫性が、故国や悲しい出来事を経験したからこそ「芸術は人々の幸せのためにある」強い信念に裏付けられていることが、展覧会と映画を通じて伝わって来た。
展覧会で最も感銘を受けたのは「コロンビアの聖母(1992)」という作品だ。コロンビアの風景の中で、聖母マリアとキリストと思われる男の子が描かれている。聖母が滝のような?涙を流しているのは、悲惨な争いが絶えない国への悲しみからだと解説には語られている。そして彼女が抱く男の子は、ペドロにも見える。キリストのように召された亡き息子が、天国から故国と世界の平和を守ってくれることを、作家は願いながら描いたのだろうか。
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