深い考察
池波正太郎の父は確か、とんでもない人として描かれている。
池波正太郎が生まれるその日は大雪だったそうだが、生来の大酒飲みだった父は酒が切れたから買ってきてくれと産気付きそうな母に頼んだそうだ。その酒を買いに行った酒屋で産気付いて家に運ばれ、産婆さんが駆けつけ男の子(池波正太郎)が生まれた。
初めての子供だから産婆さんも喜んで二階に居る父のもとに駆け上がって顔を見てあげてくださいと言ったら、産気付いた母と共に届けられた酒を飲みながら“今日は寒いから、明日にします”と言ったそうな・・
でも、彼はそんな父親が好きであって、こういう父親が社会から消えたことが嘆かわしい、と。
なんか身に沁みてわかる、この感覚。
“大人になる薬=人情”に似たものを僕も幼稚園や小学校の頃感じていた。
小学生から見た相手はとても同じ子供ではなく、一線を画したと言えば良いか・・小学校に教育実習生の大学院生が授業をしにきた時に感じたものもそれだった。
今考えれば、あれはなんだったのかという不思議だけが残っていたが、なるほど腑に落ちる指摘である。
今は“人情”が消えゆくものであるとも言えるだろうし、それを感じ取ることが困難になっているとも言えるかもしれない。はたまたそれが機能しない時代になったということなのかもしれない。
情緒、融通、その波及は至るところにあった。しかし何もかもが整理整頓されそこに存在しているものこそが“正しい”となってはその価値を失うに決まっている。今一度、価値を元に戻したいと個人的には思っている。
それは我々にとって心地の良いものであるはずだから・・
そういえば鬼平犯科帳も大好きなのだが、池波正太郎は美食家でもあったのはその描写でも節々に出る。つい先日、てんぷら近藤の主人がてんぷら山の上にいた頃、池波さんに独立を焦るなと言われたそうな。
“自分も四十を越えるまでは何事もうまくいかなかった”と。
なんかこれも、染み染みわかる気がする歳になってきたのだな、自分も😂