康慶・運慶・快慶、千年近い歴史を超えて
平壽山 廣渡寺にふらり立ち寄る。
静寂に包まれ、手入れの行き届いたお寺で、とても気持ちの良い場所。
ここは室町時代の永和二年に創建。永禄四年、僧花渓正春が中興開山。元和二年、吉州伊豚が再中興したと伝えられています。(禅宗・曹洞宗で、鎌倉仏教のひとつ)
※昌平坂学問所地理局による事業で編纂された新編武蔵風土記稿 巻ノ百七十九高麗郡ノ四に“眞能寺村 廣渡寺”と記載。
多分外から見ることは出来ないが、木の坐像があって、これがなんと二体とも運慶の作だと言われている。いや、真面目な話、是非拝見したいものです。
ちなみに、運慶を知らない方は少なかろうと思いますが、一応説明をしておくと鎌倉初期の仏師(仏像制作に従事する工人(工作を職業とする人)造仏師の略称)で、今でいうところの超売れっ子作家とされています。慶派の康慶は彼の親父であり、師の関係(合作もあったと思う)。京都を拠点とする院派・円派の連中は貴族階級からの信任があって大層勢力があったようだけど、慶派は興福寺つまり奈良を拠点とする一派で振るわなかったらしいのだけど、実は関東に進出することで勢力が逆転したってのは今の社会に変わらない都市への進出で面白いけれど。
蛇足ですが、現存しているものが本当に少なくてと言っても8-900年前の話だからそりゃそうかってことではありますが・・ちなみに現存が確認されているものは以下のもの。
1、奈良円成寺大日如来
2、静岡願成就院阿弥陀如来・不動・毘沙門天像
3、神奈川浄楽寺阿弥陀三尊・不動・毘沙門天像
4、高野山不動堂の八大童子像
5、奈良興福寺北円堂弥勒・無著・世親像
6、東大寺金剛力士像(快慶(康慶の弟子とされ運慶と並んで鎌倉時代の代表格)と合作)
実は快慶の“弥勒菩薩像”は数年前に観覧したのだけど、今の自分の視点で観たら全く違う見方ができるのだろうと思いますが、当時はそこまで注目していなかったわけで、ふーんて感じだったのが悔やまれます。(とはいえ、そもそも運慶も出生不詳、快慶は出没不詳という・・いや、記述的記録に乏しくよくわからないだけで、造仏師としてのモノが残っているので確実だとは思いますが。
でも、こんな身近に900年もの時を超えて存在しているものがあること自体に感動するわけです。直接触れてみたいものですが流石に貴重なものを触って劣化でもしようものなら・・とは思いつつ、是非広く公開され続けることを切望します。
目に触れることに大いなる意味があると思えることと、それが文化的価値やそもそもそういう価値観の重要性を見せる良き“教科書”です。(こういう時を超えて存在するものは、金銭価値換算など軽々と飛び越えた価値と説得力をもっていると思うので)
驚くほど静かで豊かなところですからお近くにお出掛けの際には訪れてみてください。
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