グーグルナイゼーションの恐怖
検索エンジン上のクソブログの増加
私もその一人なのだが、妙に記事の名前が説明口調で長ったらしいものだったり、くだらないことしか書いていないものだらけになってきている。
これはGoogleのアルゴリズムに適応させて上位に表示させようとするとこうなってしまうのだ。
おそらく、YouTubeでも同じなのだろう。
私は、ふと思うのだ。
Googleに媚び、ひたすらSEOのことを考え順位の高い記事よりも、質が高く、努力の結晶のような記事が本来評価されるべきではないのかと。
だから、検索順位が低かろうが、アクセスが少なかろうが落ち込むことはないのだ。
現実問題として、見てもらはなくては評価すらされないのだが、変に媚びて幼稚な言葉で説明されたり、長い説明口調のタイトルをつけるより美しい。
グーグルナイゼーション
グーグルナイゼーションとは私(名無し)の造語である。
初出は「Google一強の恐ろしさ。グーグルナイゼーション」
グーグルとアメリカナイゼーションを掛け合わせた語で、ありとあらゆる情報がグーグルの思想に置き換えられていく現象のことである。
アメリカナイゼーションとは、政治、経済、社会、文化の各面が、アメリカ合衆国のようになる現象である。また、アメリカ合衆国の政治、経済、社会、文化を模倣したり嗜好したりする現象もいう。日本語ではアメリカ化や米国化と呼ばれることが多い。和製英語でアメリカ化する現象・行為を「アメリカナイズする」ともいう。
アメリカニゼーション - Wikipedia
最近はGoogleに依存しすぎることの危険性というものがわかってきた。
ありとあらゆるものグーグルナイゼーション化されていくことに危機感を感じる。
グーグルの思想の下に構築された世界はとても幼稚で、エンターテイメントとしてもつまらなかった。
インターネットというものによって個人が情報を発信できるようになり、社会はより多様性を持つと考えていたが、それは間違いであった。
既存メディアは未だに強大な力を持ち、社会を支配している。
個人の情報など、到底既存のメディアには勝てず、ネットの海に埋もれてゆく。
既存のメディアにより力を与えただけとなってしまった。
ウェブは失敗した。
多くの人を集めるだけのウェブは一気にレベルが落とされる。
リテラシーの低い層に標準を合わせるためである。
それは文字の書き方というわけではない。非常に丁寧な文章は必ず評価される。
ありとあらゆるコンテンツがマジョリティーに適応化され、マイナーはより厳しい環境に陥ったのだ。