気の抜けたコーラのような【短編】

コーラをよく飲む。
赤と黒のコントラストが眩しいペットボトルからしゅわしゅわと騒がしい液体をコップに移す。中途半端に残ったペットボトルを、蓋も閉めずに机の隅に置く。

ほとんどの人から「気持ち悪い」と言われるが、炭酸の抜けたコーラが好きだ。
甘ったるいコーラはなんとなくザリザリとしている気がして、口の中に不快感が残るが、何の刺激もない歯の溶けるような甘さは不思議な心地よさがある。
元々炭酸が苦手ということもあるが、何でも甘い方が良いと思っている。刺激の無い、甘いだけの日々。
事なかれ主義、と嫌味を言われるのが常だ。

ガチャリ、と大きな音を立てて、玄関扉が開錠される。夜の22時。随分と遅い帰宅だ。
静かにリビングの扉が開き、少し顔を赤らめ、目を蕩けさせた香奈美が、俺の顔を見、ほとんど気泡の上がらないコップの中身に目をやる。面白いくらいに顔から表情が消え、ピンクのグロスが光る唇から長い溜め息の音が聞こえた。
「またそんなの飲んでるんだ」
心底呆れたとばかりにそう吐き捨てて、香奈美は脱衣所に消えて行った。シャワーの音が聞こえ始めて、初めて自分が息を止めていたことに気がついた。

先週、香奈美と共通の友人でもある大学の元同期カップルの結婚式があった。同じサークルで、今だに良く集まることもあり、当然二人で呼ばれた。
その1ヶ月前に、新郎新婦に呼び出された時から問題は始まっていたに違いない。
結論から言うと、自分たちの結婚式で、香奈美にサプライズプロポーズをしないか、と誘われた。そして、それを断った。その瞬間の新婦の、凍りついた顔は今でも思い出せる。香奈美と親友でもある彼女は、さぞ俺のことが冷たい酷い男だと思えたのだろう。
新郎の方は、友人の結婚式でサプライズをする海外の幸せそうなカップルの動画を提示して、説得しようと一生懸命だったが、生憎心動かされることは無かった。
自分の結婚と言う決断が、香奈美の素敵な思い出と、友人たちの善行のネタにされることが酷く腹立たしかったからだ。

香奈美と付き合ってもう7年。大学のサークルで仲良くなり、香奈美にリードされてデートを重ね、周りからの後押しもあり、付き合い、社会人になってからは言われるがままに同棲を始めた。ゆるゆると特に刺激も無く重ねられていく年月は心地の良いものだった。ほとんど喧嘩をすることもなく、平日はなるべくお互いに干渉し過ぎず、週末は買い出しか定番化したデート。香奈美はすっかり日常の一部だった。
だから別に、結婚したくないわけでは無かった。ただ、結婚したい、と心から思えない。お互いまだ20代半ば、今十分幸せなこの時間を、わざわざ変化させる必要性を感じなかった。

結婚式の最中も、終わって帰宅してからも、香奈美は特に何も言わなかった。女同士の友情は男を相手にすると恐ろしく固い。きっとサプライズプロポーズのことも、それを断ったことも、香奈美は聞いているだろうに、何の沙汰も無い。
突然、シャワーの音が止まったかと思うと、パタパタと忙しない足音が響く。恐らく寝室を動き回った後、リビングの扉の前でほんの数秒止まり、意を決したように扉が開かれた。
てっきり風呂に入ったと思っていた香奈美の髪は濡れておらず、変わったところといえば、目元がほんのり赤く擦れていることくらいだろうか。
「あたし、出ていく。残りの荷物は平日に有休でも使って取りに来るから。」
何か返事を、とは思ったが、何も出て来はしなかった。
返事が来ないことを分かっているのか、香奈美は待つ素振りすら無く、そのまま4年暮らした家を出ていった。

ああ、あれは偽善や催促では無く、最後通告だったのかとようやく思い立って、漸くコップを手に取る。喉に絡みつく甘さの中に、気が抜けた分余計強調されたピリピリとした炭酸の刺激。
げふっと溢れたゲップを咎める人はもういない。

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