【断捨離】捨てろ捨てろと言うけれど
ぶっちゃけ捨てるのって面倒なんだよね。捨てる者としての話は毎日しているので、今日は捨てられない人間としての話をする、そういうnoteです。
捨てている人は(今のわたしもそうだが)「早よ捨てろ!」と思うし言うが、わたしは元々全く捨てられない人間なので、どうのこうのと講釈を言われたところで……という気持ちも大いに理解している。
何を言われたところで、捨てることの面倒さに勝つような言い分ではないのだ。
特に頭ごなしに言われるのはめちゃくちゃ嫌なんだよな。当人が困っていないことに対して言われても、「困ってねえんだよこっちは」「自分のスペースくらい好きにさせてくれや」という気持ちになる。
いくら捨てることが好きでも、残すことを決めたものに対して「まずその何にも使えないコレクション捨てろよ」って言われたら嫌でしょ、というようなもんだ。捨てられない人間はその「何にも使えないコレクション」の幅が膨大すぎるというだけである。
これが変わるためには、結局劇的なライフスタイルの変化や、片付けて捨てることを余儀なくされるほどの強烈なきっかけがなくてはならない。
周りの捨て魔たちの話を聞いてみると、「片付け」に目覚めるきっかけは「親の入院」や「引っ越し」が多い。引っ越しも入院もないとなると、羽虫の群れに命を狙われる程度の痛烈なきっかけが必要だ。
捨てた後の効能を説かれても、そもそもその「捨てる効能」とやらを得なきゃならないほど今の生活に困ってないし。という奴だ。とてもわかる。
それに今まで捨てて来なかった人間の所有物は、一朝一夕に「すっきりした!」と言えるほど少なくない。今悲鳴を上げている立場からして、申し訳ないが、片付けや掃除が好きな人はこの点をかなりナメている。
二ヶ月間、燃えるごみだけで毎週十袋以上を出し続け、なおも「終わりが見えない」と枕を濡らす日々を送っていることから想像していただきたい。燃えないごみとのトータルでいったら100袋以上を捨てても全くもって終わらない、これが「溜め込む人」である。
これでも真実の溜め込む人間にしてみれば少ない方だと思う。布団の上から物をどかして寝るスペースを確保することも出来るし、足の裏を床に接面することも出来る。本当に溜め込む人は常に物と一緒に寝ているし、足裏で床を感じることも出来ない。
つまり、一ヶ月あたり五十袋のごみなど氷山の一角にすぎぬということだ。
そんな人間が「一念発起」程度で部屋をすっきりさせられるか。否である。頑張りに対して戻ってくる実感が少なすぎる。
漢検一級(漢検の部分は任意の興味のない資格を想像してほしい)を「人生変わるから!」と熱弁されて、何人が本気で勉強に取り掛かるだろうか。熱意を持って取り掛かれたとして、どう変わるかもいまいち分からず問題も一向に解けるようにならない難関資格の勉強に、何人が三ヶ月も四ヶ月も本気で向き合っていられるだろうか。
それこそ会社から昇進昇給の話が出ているとか、取らないと家族の命がないと脅されているとか、そういうレベルでなければ(或いはそうであったとしても)モチベーションは容易に尽きる。そんなものである。
正直、わたしも未だにめんどくさい。捨てるのも掃除も片付けも面倒だがスイッチが入ってしまったし、片付け途中の家が一番汚いし、始めてしまった以上やりきらないともう二度とやらない気もするし……ということで頑張っているにすぎない。
良くも悪くも一回始めてしまうと妥協のきかない性格なので、その点は良かった。惰性であっても続けていれば一定の効果があるのは資格勉強より気楽かもしれない。それでもやっぱりやるのは面倒だけどな。
それこそ信仰やプラセボ効果を糧にモチベーションの拠り所を作りでもしなきゃ続かないよ、こんなん。全く掃除に向いていない人間であることはよく分かった。
再三言っているがもう物は増やさない。二度とこんな思いしたくないからね……。
まあ、何でそんな話をしたかというと、本当に面倒になって来ているからだ。惰性でどうにかこうにか続けているようなものである。一向に終わりも見えないし全然減った感もない。
だがこれをやり続けぬことには終わらぬので何とかしている。必死だ。
今日は戸袋を空けた。空き箱が大量に出て来てまた泣いている。空き箱の始末は掃除で面倒なことランキングTOP5に入選する地味で面倒な作業である。
他には「住所が書かれた書類の始末」「粗大ごみの始末」「分別しづらいものの始末」「おもちゃ類の電池抜き」などがランクインする。本当に面倒でならない。
もう嫌だよ~~~~!!!! こんなんパソコン来るまでに絶対終わらないよ~~~~!!!! でも頑張ります……。