ロンボク島で感じた原始のミニマリズム体験
真っ赤に燃える夕日を見ていた。
サーフボードにまたがって、波に揺られながら。
この、恐ろしいほどに美しい景色をボクはいつまで記憶出来るだろうかと、少し悲しい気持ちになった。
日本から遥か南の小島、ロンボク島にサーフトリップしたときに見た夕日だ。
思えば、26歳の頃のロンボク島への旅は、ボクにとってのミニマリスト体験の原点だったように思う。
インドネシアのバリ島から、さらにセスナで数十分。
ロンボク島は、誇張なしで何もない島だった。
あるのはホテルと呼ぶには簡素な、ちょっとしたバックパッカー用の宿泊所と、大自然。
あとは極上のサーフブレイクと、灼熱の太陽だけだ。
サープポイントに向かう一本道で水牛が昼寝してて、車が通ることができなくても、こちらからは何も出来ない。
水牛が起きるまで、気長に待つのだ。
なんなら一緒に昼寝をしながら。
イライラしたところで、何も変わらない。
変えられない。
何もない、ということは、圧倒的に豊かだった。
サーフィンと昼寝以外に、することが無い島。
朝一でサーフィンを楽しむと、昼からビールを飲んで、昼寝して、また夕方から海に入った。
サーフポイントが沖にあるときは、小さな小舟でそこまで向かった。
手こぎボートくらいの小さな船に、エンジンがついている。
波しぶきを浴びながら、船上で食べるおにぎりは格別だった。
当時のボクは、どちらかと言えばマキシマリストだった。
趣味はサーフィンにスノボ。
お酒が大好きで、流行りモノに敏感でありたかったし、オシャレな部屋に住むことにこだわりを持っていた。
だから、バリ風に飾られた部屋には、サーフボードとスノーボードが並び、ウェアが飾られ、キッチンには手作りのバーカウンターがあった。
使わないのに、かっこいいという理由だけで購入したシェーカーとカクテル数種類。
日本酒も焼酎も買い揃え、自宅居酒屋を目指して部屋を改装してた。
リビング・ダイニングだけじゃなく、玄関やトイレにも玉砂利をひいたりしてこだわっていた。
その部屋は過去のBlogでも公開していて、最終的にはお部屋改装雑誌にも掲載された。(写真右側)
当時はそれが幸せだと思えていたから否定はしない。
でも、物欲は限りなく膨らみ、いつしか自分の首を締めていた。
バリ、ロンボク島に行って、ようやく気づいた。
ボクの部屋はバリでもロンボク島でもない。
本物じゃないのだ。
いくら見てくれを着飾っても、本質はスカスカ。
その事実に気がついて、ボクは一気にものを捨て始めた。
それでも、サーフボードもスノーボードも手放せなかったし、まだまだ押入れには洋服があふれていた。
今みたいなミニマリストにはなれなかった。
でも、マキシマリストであることは止めることができた。
今の、何もない部屋を眺めていると、その時の原体験が、ふと蘇ってきた。
そうか、あれがボクにとっての一番最初のミニマリズム体験だったのだ。
あの頃は感覚でしか捉えきれていなかった、何もない空間の贅沢さを、いまようやく実感出来た。
いつまで記憶できるだろう、と悲しい気持ちになったあの頃の美しい景色は、いまでも鮮明に思い出すことが出来る。
何もない世界の海と夕日は、それほどまでに、鮮烈で、強烈で、幸福だったのだ。
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