悠子

ジェットコースターのような父の看取りからその後のことを書いておきたいと思います。

悠子

ジェットコースターのような父の看取りからその後のことを書いておきたいと思います。

最近の記事

父の恩返し

良くないことが続くと、先祖供養や墓参りをするといい、という話を聞いたことがある。 そんなご利益を感じた出来事があった それは父の最初の月命日。 四十九日の前に迎える最初の節目である。  これは特殊かもしれないが、四十九日の法要は個別にはしなかった。我が家が遠方な上に、姉家族も姪の陸上大会や塾通いで何かと忙しいということで、引き寄せて告別式と一緒に済ませていた。  月命日には、父にとってすぐ下の妹で、一番気にかけてくれている地元の伯母と、葬儀に来られなかったご親友の方が来

    • 火葬場で

      火葬場でのことも書き留めておきたい。 正直、今まで祖父母や親戚のどの葬式でも、心から泣いたことはなかった。 泣いてる人がいて、つられ泣きというのは時々あっても、本当の意味で親しい人の死に立ち会ったことがなかったので、どこか俯瞰というか冷めた感情だった。 しかし、火葬場で焼かれて運ばれてきた父の骨を見た時、あぁ、人一人を葬るとはこういうことなのだと改めて思い知った。 姉も私も、涙が止めどなく流れた。 人が亡くなり、それを受け入れること。 それは、決してショートカットできな

      • 父のはからい

        父が息を引き取った後の話をする前に、どうしても書いておきたい不思議なことがある。 看取りからノンストップで通夜・葬儀を済ませた翌日、実は、姉と私が楽しみにしていたライブ配信があった。 姉と共通の推しであり、今回のツアー以外は欠かさず参戦していたK-POPグループ。そのドームLIVEがWOWOWで生配信されるというのだ。 昨日までそれどころじゃなかったが、ふと姉がそのLIVE配信のことを思い出した。 なぜこんなにも大変だったのか。実は元々母は、私たちの幼少期からエホバの証人

        • 父のいない朝

          あまり疲れもとれぬまま、2日目の付き添いに出かけた。 義兄が会社帰りに伯母をピックアップしてくれると連絡を受けて、入れ代わりで入ることになった。 受付での検温、体調チェックも慣れてきたものでサクッと済ませ…と、思いきや、体温計を見ると37.8度の表示。 え?… 姉も36.8度くらいで高めだが、それにしても有り得ない数字だ。 義兄との待ち合わせ時間を気にして小走りしたのが良くなかったのか… 慌てて2、3回計り直したが、37.5度よりは低くならない。本来37度までという規定を

          父と娘の夜

          初日から病院の呼び出しがあり、思いがけず泊まりの付き添いになった姉と私。 あんな囚われていた面会規定とは何だったんだろうと思いつつ、これが看取りの始まりとなった。 残念ながら、その場にいる全員が飲んでしまっていたので、義兄がタクシーを呼んでくれた。 急がないので、気をつけてゆっくり来られて下さいと言う看護師さんの言葉に甘えて、姉とシャワーをざっと浴び、髪も半乾きのまま荷物をまとめて出かけた。 警備員さんのいる夜間通用口を通り、逸る気持ちを抑えながら姉と病室に入ると、担当の

          父と娘の夜

          走り出したら止められない

          鹿児島空港に着くと、姉の夫と姪、最近飼い始めた仔猫が迎えにきてくれていた。 空港から病院に直行したが、特殊な病棟で県外からの面会には検温や細かいチェック項目があり、コロナの厳戒態勢を思い知った。 私が予定を後ろ倒しにした訳は、コロナ禍の病院の面会規定があった。 まず、一般病棟の場合は面会謝絶。 妻だろうと会いには行けない。 緩和ケア病棟は最期を迎えるにあたり、特定の5名の面会が許された。 万が一、院内クラスターなど起きた場合に備え、追えるのがその人数なのだそう。 一旦、

          走り出したら止められない

          夢で逢えたこと

          先月、胃がん闘病中だった父が80歳の生涯を閉じた。 埼玉に暮らす我が家は、中学生になった長女の部活も忙しく、コロナ禍で帰省もままならぬまま2年が過ぎていた。 この間、自分もパートを変えたこともあり、なかなか休みも取れずにいた。 見舞いたい気持ちはあるものの、飛行機で家族揃って…これが何とも難しい。 急変となれば、おそらく父の最期にも立ち会えぬだろうと諦めていた矢先、GW頃に急激に様態が悪化し、父は入院した。 今思えば、先の見えない闘病生活と長引くコロナ禍で、気が緩んでい

          夢で逢えたこと