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2月の終わりに参加した卒業式の話。

午後2時を過ぎたあたりの渋谷は、2月末とは思えないくらいの温かさだった。天気がとても良い。仕事を終えて、会場であるDESEOminiに足が向かう最中も、仕事脳から頭が切り替わらず、ぼんやりとした焦燥感と不安感にさいなまれながらも、徐々にラストイベントに気持ちを高めていきつつ、瞬間的な思い切りの良さに後押しされる形で、ラウンジの簡単な装飾をはじめた。慣れない手つきも、自然と幼少期のDNAが呼び起されてきたようで、折り紙とお花紙をせっせと壁に貼り付けていたが、豚汁を作る猫宮さんの到着が間もなく、ということで、作業を一時中断し、外に出ることにした。『オープンしてから、顔合わせたい』という気持ちには完全に同意だった。

「卒業証書」は、実は1月末の卒業公演でも企画案としては出していたものの、例の""連合""が良い意味で活発になったことで、自分の中では自然消滅していた。ただし、その後の「留年」が発せられたときに、CUBΣLIC学園の企画と強くリンクしたこともあって、さらにはPから卒業証書のことを聞きつけると、花環と立て看板の絵がそのまま絵として自動的に思い描けたため、そのあとは身体が勝手に動いていた。こういうときの自分は、仕事以上にパフォーマンスが出ているなと実感している。

準備時間を考慮して、オープン前の作業などを快諾してくれた坂本さんには相変わらず感謝が尽きない。また「とあること」についてのお気遣いがとても嬉しく、ただ、ここには書きにくいことだったりもするので、沖縄に一緒に行った「俺たちの秘密」にしておきたい。

出先でも、折り紙とお花紙に熱狂する中年男性と化していたけど、いちゃおさんからのDMが来ており、タイミングを合わせて、ライブハウスへと向かうことにした。本来であれば、イベント前に、レッスンスタジオに入り、バトルロワイヤル宣言!の仕上げに時間を割きたがったが、もう開場時間30分前を切っていた。

「第一回」というのがこだわりポイント。第二回があるのかよ!という話はさておき、万が一戻ってくる世界線があったときには「第二回」の卒業式が当然あってもいい。でもそれは今回の二次元帰還を強く阻止したいという意味合いはなくて、それらの気持ちも含めて、引き止めたい気持ちをグッとこらえながらも、微笑ましく見送れたらなという気持ちで、はたまた大変まわりくどい形になりながら、卒業の寂しさを表現をしてみたりしました。

開場してからは、猫宮さんが来場者ひとりひとりにお酒のオーダーを確認して、エプロン姿で切り盛りをしていた。猫宮さんらしい振る舞い。豚汁については、煮込みがまだ甘いらしいとのこと。それでも、音ちゃんやなるちゃんと準備したプロセスを楽し気に話している時点で、優勝の豚汁だった。

なんとなくフロア中央後方が居心地よいなと感じて、ひとり着座。オタク同士の会話も適度に聞こえてくる絶妙な距離感だ。謎にあふれ出ていた主賓感は気のせいです。音ちゃんとなるちゃんとは、私服の良さを語らう。折り紙はいつだって楽しいし、「祭りの準備」も含めて、尊い時間だったりするのです。

カフェ・ド・パリも積極的にいただくことにした。大丈夫、可愛いよ。酒が進んで、乾杯のときにはすでに2杯目のハイボール。イベントが始まってしまうと「終わり」を意識してしまったり、無事この日を迎えられた安堵感もあったりで、ボケーっと放心状態になっていると、猫宮さんが隣に来てくれた。

元旦オフ会、大阪遠征、と自分の中で恒例化した #にゃーちゃんと一杯 。何度だって言うけれど、こんなことできるなんて、夢にも思わなかったから、本当に嬉しいし、ずっと大事に残しておきたい瞬間。ほどなくして、猫宮さんが席を離れて、会場にいる各テーブルを回っていた。なんとなくみんなと話している猫宮さんの横顔を眺めては、刻一刻と近づく最後の瞬間にあらがうように、酒を胃の中に放り込んでいた。

なぜか、突如として入りきらなくったチェキ帳を整理し始めたり、「異次元日記」という名のアルバムをめくっては、これまでの思い出を振り返り、ただただ酒を飲む。BGMは、みんなの会話だったりする。アイドルとオタクが楽しそうに話しているだけで、良い光景だ。オフ会の醍醐味は、ダイレクトにアイドルと触れ合えることもそうだけれど、それ以上に、自分以外のオタクとアイドルのストーリーに胸躍るタイプなので、まさに最高のアテ。特にこんな日は。

豚汁、本当に美味しかったし、「飲食店」という業態の宿命を背負ったライブハウスの覚悟を感じる「アナウンス」に会場は確実に湧いていたし、結果的にはテーブルの上に、大量の酒が並んだ。みんなと飲む酒は美味い。そうこうしているうちに、ITOゲームが始まる。ITOゲームで成功をすれば、参加費全額バックというありがたくも、酔いどれには難易度の高いハードルでもあった。参加費が返ってくることはなかった。(それはそう

続くビンゴ大会。少し前のDESEOminiでのライブで、現体制も終わるので、CUBΣLIC学園のパネルも景品で出します、という話を聞いていただけに、帰り道を想像するだけでも、勝ち取りたい欲に溢れていた。

他にも、ライブやレッスンのときに使っていたバッグや、衣装で身に着けていたアクセサリーなど、ファンにとっては垂涎もののそれだった。前回の元旦オフ会も、バトロワ宣言のMVで使っていた鞄などもあったが、ここ最近のビンゴ運は低く、過度な期待をしつつも、一番最初に(異次元)リーチしてからは、黙々とピザの蓋に読み上げる番号を写経のように書き続け、ビンゴ用紙に寂しく開いた穴の先を見つめる人になっていた。もちろん、自分が欲しいというモノもあれば、「ああ、あの景品は、あのオタクに渡ったのか」と微笑ましい流れもあって、いつの間にかビンゴの観戦者になっていたのは言うまでもない。にゃんパラのティシャツは、何枚あってもいい。

ヒロさんとさくやみいくんのネムチャンパネルのやり取りは、この日のなかでも、指折りのハイライトだったように思う。帰り道で、ヒロさんには話したけど、自分には到底できない芸当だったし、徳の積み方が違うので、最後尾札を持って帰るその姿は、もはや後光がさしていた。

その後、ビンゴ大会も落ち着き、一時退館のアナウンスが入る。すると、目の前にたっちくんが現れて、気づいたら、号泣した背の高い彼を、優しくハグしていた。たっちくんは、ビンゴ大会で猫宮さんが日常的に使っていたバッグを当てており、つい先ほどまで、まさに感無量といった様子だったのに、互いに「猫宮さん推し」であるが故の混沌とした気持ちが整理できないためか、それらが涙となって溢れていたようだった。申し訳なさや、うしろめたさに近い言葉が彼の口から発せられるたびに、(酔いもあったので、一言一句は覚えていないけど)こういうモノはもらうべき人の手に渡るものなんだよ、ということと、他の誰でもなくたっちくんがもらえてよかったよ、という旨を伝えて、ビンゴ観戦者の役目を無事終えることになった。元旦のオフ会で泣いていた人とは思えない仕草を振り返りながらも、少し自分でも驚いている。

外に出て、気づけばゑぬくんも自分と張り合うビンゴ運の低さで笑ってしまったが、彼のポジティブシンキングには見習うべきところがあり、「N(えぬ)の〇番」と言われるだけで、すべてを自分事化していたようで、参加費のコスパの良さをひとり爆アゲしていた。この時に、向かいでオケトーを見ていためんめんさんにも会った。自分自身が手広く現場に行っていないこともあり、かつてのカンヌ現場で会っていた頻度からはだいぶご無沙汰してしまっていたけど、相変わらずお元気そうで、懐かしさからくる嬉しさを感じながら、結婚へのカウントダウンツイートの確認や、サマーランドでまた会いましょうね、なんて話もしながら、いよいよ始まる「踊り放題」の企画に胸を高鳴らせていた。

そして、これは別のnoteでも書こうと思っているのだけど、バトルロワイヤル宣言!の考察部は、ここでも少し触れておきたい。群雄割拠のアイドル業界に、まさに声高らかに宣言するようなこの楽曲は、MVの世界観と歌詞、さらにライブでのパフォーマンスが融合することで、圧倒的ポップな印象がありながらも、「泣き曲」と変化を遂げている。※個人の問題

ここから(ここまでも)は、わたし個人の勝手な考察なのだけれど、

「どんな痛い技かけられたってさ 君の前じゃピースして」

というフレーズに、この卒業発表を取り巻くすべてのストーリーが凝縮されている気がして、それこそ、発表直後の代官山ODDでは見事に予見していた。

※細かい部分で修正するところでいうと、「2ヶ月」になったのですが。

猫宮さんは、自分の知る限りでは病まないように思う。いつどんなときだって、キラキラの笑顔でパフォーマンスをしてくれて、特典会でもニコニコと癒しをくれる存在。仮に、猫宮さん本人に精神的なキツイことがあったとしても、それをきっと表には出していないし、自分の記憶の限りでは一切そうした様子を見ることはなかった。交通事故にあったときもそう。彼女の健気な姿勢にまつわるエピソードで、幾度となく泣いてしまった。

幸い、交通事故では顔には大きな傷を負うことはなく、カウントダウンライブもビデオメッセージを撮ってくれて、いまでは懐かしさすらありますが、実は幻のテイクがあるという話。みんなを心配させたくないという一心で、努めて明るく映ろうという言動に、泣かない理由がなかった。この点は、坂本さんが猫宮さん本人には絶対言うことはなかったようだけど、すごく褒めていたのを覚えている。「そういうところが、メンバーのなかでは一番""アイドル""なんですよね」と。

閑話休題。

そこに来て、バトルロワイヤル宣言!の「どんな痛い技かけられたってさ 君の前じゃピースして」である。卒業公演の手紙でも本人から発していたとおり、アイドルとしての挫折や苦労は絶対にあったはずで、でもそれは猫宮さんの哲学では、決してオタクには見せない、まさにどんなに痛い技(≒ツラい目にあっても)、君の前じゃピースして、となるわけです。たった数秒に、そうしたエピソードがわんさか湧いてきては、てんこ盛りになるので、上述のとおり「泣き曲」になってしまった。

そんなバトロワ宣言を、ステージでメンバーと踊ることができるというこの上ない体験であり、精度を上げてバチバチに踊り狂いたかったのが唯一の心残り。いただいた動画を拝見する限りでは、メンバーみんなの至近距離からのレス攻めに合いながら、いまにも泣き崩れそうなおじさんという風体。

しかし、数ある猫宮さんからのレスで一番好きなのは、バトロワ宣言の「ピースして」であり、それがステージとフロアという領域を飛び越えて、目の前で繰り広げられるその様は、贅沢という言葉以上に、至福のなかの至福の時間でした。最後のDISCOHOLICも、絶対に忘れない。

その後は、少し記憶が怪しいけどEXMACHINA、UNIZON CUBΣ、DISCOHOLICなど、普段のセトリでは味わえない並びの楽曲で、後方フリースペースで踊り狂っていた。いちゃおさんの、踊らずに小道具を使い倒すスタイルが好きだった。

なかでも「たまHOLIC」は印象的だった。数ある音ちゃんオタク(通称・おともだち)のなかでも、前世からの関係性(※"全国CUBΣLIC連合"とは何だったか-前編-)もあって、二人がステージ上で和気あいあいとしているのを見るだけで、全世界に平和が訪れる気すらした。DESEOminiに関しては、完全に平和な空気で満ち溢れていた。

そうしていると、早いもので、いよいよ卒業証書授与の時間に。よく泣くしん!の体現者なので、自分でも意外なほどに晴れやかな表情で、猫宮さんの言葉を聞いていたように思う。

「楽しいことがしたい」その一心で始めたCUBΣLICの生活が、終わってしまう。この卒業発表から留年をしている期間、特に直接的にも、間接的にも「卒業する理由」を聞くことはなかった。聞く流れになれば聞いていたかもしれないし、特典会やオフ会でも、その流れはなかったから、真意はわからない。でも、とにかく一つ言えるのは、アイドルとしての「猫宮ねこ」を全うできたのだと思う。円満卒業、という表現は、そういうことだと認識してる。

日付が変わるまで続いた特典会、もう2~3枚撮っても、と思ったけれど、ちょうどよかったかもしれない。名残惜しいくらいがちょうどよい。

曰く「夢に出てくる率ナンバーワン」らしいので、夢でも会えると嬉しいし、きっとまたどこかで会った時は、お酒片手に思い出話のひとつでもできると嬉しいなと思っています。本当にありがとう。沖縄、行くぞ!

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