あけましておめでとうございます 日記 2023/01/01
あけましておめでとうございます。12月31日は友人と飲んでカラオケしてそのまま朝の7時くらいに家に帰って、日に照らされて明るい部屋を見て楽しかったなあと考えながら、年を越せなかった友人のことをやっぱり思い出していました。
最後の会話がちょうど年明けで「お年玉くださいよー」なんて戯れてたな。あの人はあのまま取り残されているのかな、とか考えたらすごく寂しいことだと思った。1年って遠いね。
「心は一緒だよ」とよくいうけれど、やっぱり実際の会話ログを見返すとそういえばこんな感じの人だったなと修正が入ることがあって、心の中の人は私の練り上げた創作物でしかないことを知る。新幹線の駅のホームが滑っていく。線香の煙みたいな輪郭しか知らない。手を繋いだ感覚がもうない。いつか忘れたことにも気がつかずに忘れてしまいそうだ。覚えていなくちゃ。
思い返せばいろんなことに対して、過去に縋り付いている感覚はずっとある。友人関係とか、絵を描く理由とか。未来に何か残そう!という意識はあまりない。「過去の自分これやっといてくれてありがとう〜」という未来があんまり思い浮かばない。1年後の自分のことも想像できないかも。
絵を描く理由として、中学の時にさんざ俺をいびりやがったあいつらを私の絵で自殺させたいという気持ちがあって(これは物理的に殴って殺すとか自殺教唆とかじゃなくて、私の作品に触れることで反省し後悔し結果的に自殺してくれたら万々歳、みたいな感じだ。)中学生の時の恨みつらみを忘れないように何度も脳内で再生しているうちに擦れたり伸びたりしてしまったことを、ずっと中学生の私が罵倒している気がする。忘れないようにするたびにその形が変わってしまいそうで恐ろしい。恨みを忘れているのに、あいつらを殺せるような絵が本当に描けるんですか?って言われたとき、海にでも突き落とされたような気がした。あいつに俺何されたっけ?そもそもこの鋒は本当にあいつに向いていたっけ?
とにかく残っているものをかき集めかき集め流されて生きている。抱えきれていないんだろうけどなんとか拾い集めている。そうじゃないともう怖いから。
自分の気持ちを言語化するのは難しい。会話するときに色とか形で見れたらいいのに。絵を描くように会話するのだ。人々の口数は減るだろう。その世界ならもっと素直に人を信じられる気がする。実態は変わらないのかもしれないけれど。
なんかもう難しい統計の話とかしたくないな。JDAのプレパ嫌だ〜好きな絵の具の色の話だけしたい。
14時くらいに起きてご飯を食べて、映画大好きポンポさんを見て、途中までだった名称未設定ファイルを読んだ。人間関係の固定化が起こっているような気がしたのでtinderでも入れようかなと思い、設定の時点で重たくてやめた。どうでもいいかもしれん。
カラオケで交互に発狂する会は楽しかった。後オムライスとパフェ美味しかった。ぼんじり好きだ。後軟骨も好きだ。
眠くなったので寝ます。今年もよろしくお願いします。