みなさんこんにちは、「いろえんぴつ」です。「人生が終わるかもしれない」そんな経験をしたことがきっかけで、noteを再開しました。夢から逃げ続けてきた人生を終わらせるために「できっこないをやらくちゃ」を合言葉に挑戦し、進化していきたいと思っています。この記事が「あなたの人生は泣けるほど素晴らしい」そんな当たり前のことに気づくきっかけになればいいなと思っています。今日は「道に迷った時は?」と言うテーマで書きたいと思います。
私の選択の基準
人間は一日に何万回と選択をして生きています。その都度、意識的か無意識的かは別として、何かしらの判断基準を元に選択をしているということです。じゃあその「選択の基準」ってめちゃくちゃ大事やんって思いませんか?自分の選択の基準を探ろうと思い今日のテーマを設定しました。
結論から言うと、私の選択の基準って「他人が決めた正解」でした。別名、世間体とか他人からどう思われるのか?ということですね。根底には、「他人からよく見られたい」「傷つきたくない」そんな気持ちがあります。当然、選択の基準が「他人」にあるということは、選んだ先の道の答えも主導権は他人にあると言うことなんですよ!結果どうなったか?「何が正解なのかで悩んでいる」です。
言語化すると、そもそも、選択の基準、判断する段階でミスってたということに気づくのですが、この気づきを得るまでに相当な時間を要しているわけです。この、「何が正解なんだろう?」って悩んでる人めちゃくちゃ多いですよね。
「何が正解なんだろう?」の悩みの問題点
この質問のミスってる点は2つあって、まず1つ目は、そもそも選択基準がミスってるということ。前提でミスってるから、「何が正解って?」そもそもここにないよ!ラグビーがめちゃくちゃ好きでめっちゃやりたかったけど、友達がみんなサッカー部に入ったから自分もサッカー部を選んだけど、ついて行けなくて「自分にとってサッカーってなんだろう?」「サッカー続けるのかやめるのかどっちが正解なんだろう?」みたいなことで悩んでる。いや、「ラグビーやろう!」というやつですね。
2つ目は、何が正解なんだろう?の正解の解像度が低すぎる!というところです。正解かどうかを考えるのに、正解がわかってなかったら判断できひん。ということ。そもそも、この問いをするためには、自分にとっての正解は何かがばっちり定まってることが前提条件です。もっと言えば、正解かどうかなんかぶっちゃけ誰にも分からない。ということです。言い換えると、どっちを選んでも正解だということです。だからこの悩みより別のところで悩もうというのが本日の着地点です。
まとめ
ということで本日は「道に迷ったら?」というテーマでしたが、結論「他人の物差しを使わない」「正しさを求めない」ということです。もし、こんな選択の仕方をしている人がいて、「何が正解なのかな?」と悩んでいる人がいたら、「あなたにとって」と自分に問いかけてみてください。
「あなたは選択するときにどんな判断基準をもっていますか」
「あなたにとって正解ってなんですか?」
今日も自分と向き合い、最高の1日にしましょう。次回、もう少し深掘りをしていきましょう。最後まで読んでいただきありがとうございました。「あなたの人生は泣けるほど素晴らしい」