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コンテンツを期間限定閲覧できるサイトとしてnoteを使ってます ものすごい時間をかけて文献を当たり翻訳しリライトしていますので DL禁止、コピペ禁止、拡散(RT)禁止です。商用サイトが無断転載した場合断固として戦います https://lit.link/mauzou

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なぜ台湾茶の文章を書いているのか?

台湾茶ってなに?中国茶と違うの? 台湾茶の愛好家は「台湾茶と中国茶は違う」と言い張るでしょうし中国茶の愛好家からすると「中国茶の一ジャンルじゃないの?」といわれます。現地の情報、資料でも、あるときは中国茶の一部、またある時は台湾独自の茶文化とどっちつかずの蝙蝠のような存在で語られていると感じてしまいます。 私は「台湾茶は中国茶と違う」という立場に立ちたいと考えています。そうしないと「中国由来の品種と手法を使用していれば中国茶」となってしまい、日本茶を含めた世界中のほとんどの茶

    • 台湾老茶について語る

      台湾老茶について語る(一)一、はじめに台湾茶業の生産製造技術は大陸福建省に源を発しているが、清末、日本の台湾統治、国民政府の台湾への転入を経て、台湾茶業の発展はすでに大陸の製茶システムから離脱し、独自の道を歩んできました。紅茶と緑茶のほか、特に半球形包種茶の生産技術は独自のものであり、清香で甘醇、きつく締め付けられた外観を特徴とし、中国大陸産烏龍茶類との差が明らかです。陳年老茶は台湾の茶市場の主流ではなく、特色ある製品であり、市場性があります。しかし、台湾の老茶は品種と加工方

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      • ~俗男養壺記~茶壺を使い始めるまでをエロ擬人化同人化して書いてみた(エロくなる前まで無償)

        DAY0はじまり「杣」になる前 わたしは「杣」(そま)、ここ明石にある日本一の台湾茶の魔窟所属、入店、即指名ナンバーワンになった娘なの!すごいでしょ!きゃ(笑)。 今日はねぇ、私がご主人様とお兄ちゃん(お茶)たちと過ごした1週間でお兄さんたちに目覚めるまでをここで書いちゃいます(笑)えちぃはなしも沢山するけど、御主人様の「癖(へき)」だからしょうがないよね… まずは「杣」が「そま」になる前の話をするね、この名前は御主人様がつけてくれたから…。その前は「朱泥梨型三曲嘴」って

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        • 台湾の茶道

          1. 茶芸と茶道近年、茶芸や茶道に関する記事が数多く書かれていますが、何千もの言葉が書かれているにもかかわらず、簡潔でわかりやすく、正確な定義を見つけるのは難しいことです。 茶芸と茶道について、簡潔でわかりやすく、正確な定義を見つけるのは難しいです。長い間検討した結果、茶道と茶芸の違いは簡単に見分けることができ、以下の2つの文章で十分だと思います。 「茶にまつわる周辺の体型を総動員し、美味しい茶を淹れるのが茶芸」 「茶をなかだちにして、人間を育成するのが茶道」

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          台湾茶の製茶技術の伝承と応用

          生産者の製茶技術の伝承と応用この記事内の生産者は1971年から家族で茶葉の栽培と生産を開始しました。これは、1974年に政府が鹿谷の茶農家に高品質な茶葉の栽培と生産を奨励する積極的な政策を打ち出したのと同じ時期です。彼の茶作りの学習の過程は、鹿谷茶郷の勃興から発展をともに進み、しっかりした製茶経験と豊富な茶葉生産に関する知識を持ち、現在は生産から販売まで一括して行い、消費者が参観でき、茶の知識を深められる観光製茶工場も経営しています。

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          台湾茶の製茶技術の伝承と応用

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          ある製茶師傅の独り言

          『雨菜』を買ってはいけない理由雨の日に摘んだ茶菁のことを「雨菜」と生産者は言います。この「雨菜」で作った茶を買ってはいけない理由は何でしょうか 第一:雨菜は含水量が高くなります、同時に雨天では太陽光が不足し日光萎凋が不十分になります、含水量の高い茶菁はすべて室内に搬入してそれから絶えず撹拌して、風を吹き付けますが、どうしても消水が不完全になります。消水は完全でない茶菁は「積水」状態にあります。発散しない水分はすべてもともと排出すべき苦味成分なので、雨菜で作った茶は通常生っぽ

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          ある製茶師傅の独り言

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          台湾茶:茶樹の接ぎ木

          茶樹の接ぎ木2003年ごろに、南投県の手摘みの茶区で、金萱を台木にして青心烏龍を接ぎ木をするのが流行しました。当時台北のある茶荘では接ぎ木をした茶樹のほうが茶樹に力があって味が良いと言って通常より高値で売っていたのを思い出します。

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          台湾茶:茶樹の接ぎ木

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          安渓圧茶機(豆腐機)の起源と変転

          安渓圧茶機(豆腐機)の起源と変転福建省安渓県龍涓郷美領村では、2009年の暑茶の時期、陳姓の茶農は隣のスクラップを回収していた友人に「茶葉が老化して貴州省の出稼ぎ労働者にも揉むことができない」と愚痴を言った。友人は彼に一言、「うちのスクラップはこんなに硬い鉄くずでも押しつぶせるのに、よっぽど君の家の茶は硬いんだね」とからかいました。この時、陳姓の茶農は「あなたのプレス…」と気が付き、すぐにプレスを見に行って、掃除して整理して、自宅に帰って茶葉を持ってきてプレス機に入れて試して

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          安渓圧茶機(豆腐機)の起源と変転

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          台湾茶を嗜む上での注意事項

          1. なぜ腎機能不全及び尿失禁者は茶を飲むのを控えないといけないのですか?濃すぎるお茶は腎臓の負担を増やし、血液の流れを速め、長期的に飲むと体に有害になります。 2. 薬を飲む時、なぜお茶を飲んではいけないのですか?。茶水に含まれる物質と薬物が混合されると、化学作用が起こり、人体が薬物を吸収し溶解しにくくなり、服薬効果が低下する可能性があります。薬を飲む時、特に鉄分を含む薬は、茶で錠剤を飲み込んではいけません。また、茶のカテキン類は一部の薬と結合し、薬効を失わせるため、茶を

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          台湾茶芸文化の開拓者~林易山と蔡栄章

          台湾茶芸文化の開拓者~林易山と蔡栄章

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          凍頂烏龍茶の始祖は林鳳池か蘇家の祖先か?

          凍頂烏龍茶の始祖は林鳳池か蘇家の祖先か? 林鳳池、字は文翰、本籍は福建省龍渓県の人。 清の嘉慶(1760-1820)24年2月19日に沙連堡粗坑荘(鹿谷郷初郷村)に生まれ、同治6年11月20日に享年49歳で亡くなります 林鳳池は幼い時は家が貧しく、勤勉に過ごし。咸豊五年に科挙(官僚試験)を受験します、後に合格し故郷に錦をかざり、祖父の林傑は文林郎を追封され、父の林学石は征仕郎に封じられました、そして祖先を祭って、そして祖父の墓の道の口に碑を立てました。

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          宜興紫砂壺の台灣での発展

          清康熙42年(1703)に台湾の海防同知に就任した孫元衡は、『赤琰集』を著し、詩の中に、「茶の入れ方は子供に教え、蟹の目は火に飛び、水は竹林の僧坊から引き、芽は大王峰から出る(烹茶之法教兒童,蟹眼潛聽火候工,汲取竹林僧舍水,雨芽來自大王峰)」と書き残しました。清の康熙乾隆には間人周も台湾に滞在し、『台陽百詠』を著しました、詩:「寒榕垂蔭日初晴,自供春蟹眼生,疑是閉門風雨候,竹稍露重瓦溝鳴」、そして注釈に「台湾では、みんな自分でお茶を入れる。 まず香りを嗅ぐこと、そして一番大切

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          宜興紫砂壺の台灣での発展

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          台灣の茶業改良場の誤った指導政策

          茶業改良場の誤った指導政策編集者は張瑞成が出版した『酵素茶的魅力-台灣烏龍茶』第11章「茶業改良場の誤った政策」の一文に基づいて記述します: 一、茶業改良場の設立沿革と目的茶業改良場は1968年に農林庁直属部門の茶業伝習所及び三級部門の農業試験所の平鎮茶業試験支所、魚池茶業試験支所、が設置された。その後平鎮茶試験支所を呉振鐸所長が主導して改組し、設立されました。改制前の茶業伝習所は1年間専門的に茶業の人材を育成訓練することを主とし、平鎮、魚池試験支所は茶樹育種栽培、製茶化学

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          台湾での普洱茶の発展

          1. 1949年以前の普洱茶の台湾での発展普洱茶が台湾に伝わったのは清の同治9年(西暦1870年)頃です。この時台湾に移住した広東省掲楊県の蔡家は、普洱茶を広東省から台湾に持ち込んで飲み、一壺を淹れて1日かけて飲んでいました。蔡家の父たちは孫たちに、過去数世代はこの「普茶」を飲み続けていて、台湾に来てからもこの習慣を踏襲してきたと伝えました。普洱茶は煎が長く、保存に強く、倹約できるため、一般家庭でも飲むことができ、台湾の一般家庭の消費選択の一つでした。 清の光緒21年(西暦

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          台湾での普洱茶の発展

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          台式烏龍茶の海外での産況

          台式烏龍茶の海外茶区の紹介台式烏龍茶は台湾の茶農家、茶商が台湾以外の国で烏龍茶を生産している物を言います。これらの海外投資で台式烏龍茶を生産している業者の中には、政府の政策に沿って公式なものも、利益を見て投資しているものもあり、整地、育苗、栽培から収穫や製茶工場の建設まで…など、短くても4年、長ければ1 ~ 20年の時間がかかり、費やす時間、体力とお金は台湾の比ではありません。政府は海外地域で烏龍茶を生産するさまざまな利点を活かして台湾を世界の烏龍茶の卸売センターにし、海外で

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          台式烏龍茶の海外での産況

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          台湾茶の中での「花茶」について

          花茶とは西洋の花から作られたハーブティーのことではなく、中国では花茶は特有の第7の茶類に分類されるものです。台湾では花茶を分類せず、六大茶類の中の緑茶や烏龍茶類の再加工茶の香片茶と解釈していますが、花茶の窨花製造過程は複雑で、それに着目して記事にする価値があります。

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          台湾茶の中での「花茶」について

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