行動範囲は広がるのに選択の自由が狭まる現実
一生のうちに私たちはいくつもの将来の夢を抱いている。
何度も上書きし、起動修正して、時には廃棄する。
誰もが認めるレベルで叶えられる人はほんの一握り。
それでも自分なりに実現するため日々歩き続ける。
社会人になると毎日の仕事をこなすのに精一杯。
自分の夢見てたこともその内忘却し、いつの間にか消え去っていく。
思い出したとしても今更無理だと諦めがちになる。
幼稚園や小学生の頃はサッカー選手やモデル、戦隊ヒーローなど憧れるものがたくさんあり、みんな夢で溢れていた。
少し飛んで、高校生くらいから公務員になりたいなど急に現実的な夢を抱き、あるいは親が勧めるから・喜ぶからの理由で将来の夢を答える。
高校卒業後、進学先の学部・専攻科によって将来進むであろう道が舗装されていく。(半ば学校の洗脳によって望まない進路選択を迫られるけど)
そこで疑問に思う事が、
行動の自由を許され始める時期に限って選択できる、
または推奨される将来の道が限定的になっていないかという点。
日々の遊びや進学・留学など様々な行動範囲を考えた時、
・幼稚園や小学生のときは基本保護者の目が届く範囲内でしか行動できず、
中学生では少し範囲が広がるもまだ保護者の監視下。
・高校生で県外進学も可能になって、
大学・専門学校になると全国規模または海外も視野に行動できる。
・社会人になると海外出張は珍しくなく、給料も学生時代と比べると多く貰える。
高校以降になるとバイトもできて時間もできて、資金を得られ自分の夢を実現するチャンスが増えると思うが、そうともいえないだろう。
なぜなら冒頭で述べたように、
夢は軌道修正され変化し続けるものだからだ。
途中で弁護士を志した医学生が
「高い学費払ったのにもったいない」といわれ
教員をやめたい教育学生も
「何で教師目指さずに企業なの?」と聞かれ
進むべき道が絞り込まれて身動きがとれない。
社会人であっても異業種・異業界を目指したいと思った時、
「前職の経験を活かせない、コストがかかる→転職不可」の流れで
今更無理だと諦め、自分の希望が無かったものになっていく。
ジョブローテ制度はあるものの、まだ営業畑と技術畑の枠を越えて挑戦できないところもある。
そして"あの時あんな選択をしなければ"と自分を責めて幸福感は下がっていく。
つまりお金では解決できない、時空間と外部環境の問題である。
行動範囲が広がるからこそ実現できることが増えるはずなのに、
広がるほど実現できない・むしろ潰されていく雰囲気や
それを良しとしない環境ってどうなのだろう。
目標は生き物のように進化し突然変異を起こすのだから、
「あんな選択」なんて選択はないはずなのに。
人の価値観は一瞬の出来事がきっかけで変わることもあるから、
その一瞬見えた新しい価値観は大切に育てていきたい。
いくつになっても新しいことに挑戦する人は男女問わずかっこいい。
『やりたいからやる。行きたいから行く。』
この考えを軸にこれからも自分を見失わず生きていく。
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