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感動の涙を流せないのは人として問題か

23年間生きて
感動的な映画を観ても、音楽を聴いても、
志望校に受かった瞬間も、卒業式を迎えた日でも

私の記憶の中で感動して泣いたことは一度もない。
悲しい・悔しい時でもあまり涙を流せない。


周りの友人や先生たち、両親は少しくらい涙を見せて
別れを惜しんだり、祝ってくれたりしていたのに。



感動の映画シーンをみても触れても
なぜか感情が揺れ動かず、
「主人公亡くなっちゃった、何だか寂しい」と
どこか他人事でなかなか感情移入して作品を観れず
何故かいつも俯瞰的にみてしまう。


卒業式で担任の先生が別れの挨拶をする時も
最後の時間だというのは分かるが
感極まって涙を流せるのが
不思議であると同時に、素敵だと感じていた。

とはいえ、映画と比べると現実味があるため
多少感傷深いものはあっただろうけど、
やはり涙は出てこない。



母曰く、赤ちゃんの頃から私はひどく泣く方ではなかったらしい。
生まれつき涙腺が緩みにくい質だったのか、
根からの冷徹人間なのか、何か精神的病を抱えているのか。


他の人達は自然にできている感動の涙を
どんなに意識しても流せない。
強がっているわけでもないのになぜできないのか。
人として重要な感情の一部が欠落しているのか時々不安になる。


そこで、感動の涙を流せる人とそうでない私の
何が違うか探してみたところ


きっと原因は
感動体験の少なさ(喜怒哀楽問わず)
に思える。


共感力の高い人はいつも表情豊かで
休日の活動や習い事を充実している人が多く、
サプライズなど企画力に優れている。

また、高齢になるほど涙もろくなるのは
今までの自身の経験と重なる部分があり
共感しやすくなるからだと言われている。


きっとその経験の中で感受性が研ぎ澄まされて
他者にもこの喜びを還元させたいとする考えや
喜ばせるスキルが身についているから、

手に取るようにその場の喜怒哀楽を感じ取って
感動や共感ができるのだと思う。



私の場合、あまり表情が豊かではなく
喜怒哀楽のうち
”怒”以外がどんな時に引き起こされるか説明できない。
そもそも、インドア派なため
経験の量・質共に差があるのが根本的要因だ。

生きているだけで不満は付き物だから
”怒”は分かりやすいが、
それ以外の感情はふと意識してみないと分かりにくい。
私にはそのアンテナのキャッチ力が周りよりも弱いのだろう。



これらから感受性豊かな人の特徴は
・共感しようとする意志
・当事者の気持ちが分かる体験をしている、
 または当事者になりきれる空想力がある
・自分の気持ちに真っすぐ正直な行動をしている

の3点だ。


小説は好きでよく読むのに
なぜ感動を受けにくいのか疑問だったが、
おそらく、登場人物の気持ちや行動の背景など
深く読み込んでいなかったからだと思う。



全く感動する意味が分からない
人の心が読めないなら問題だろうけど、

涙を流せるのは人として当然でなく
その人の生まれ持った長所であり才能だ。


人や動物などに興味を向けたり
本能のままに活動するようにしてみたい。


これからの人生に潤いを与えるために。

*素敵なイラストありがとうございます。

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