日本語が豊かすぎるが故に伝わらない緊張感
今さら感溢れる緊急事態宣言。
声高らかに宣言されたところでそんなこと分かっとるわと言いたくなる。
緊急性が高いはずなのになぜか国の物事を決める人たちの言い方は、ふわふわとして他人事のように感じてしまう。
それはきっと、日本語の表現方法が豊かすぎてストレートに受け止めにくく、曖昧さが残るからだろう。
”不要不急”や”自粛”などの言葉も日本語の豊かさゆえに個人によってとらえ方が違っている。
「外出を控えていただくようお願いいたします」と言う日本と
「Stay house! Wash hands!」と言う英語圏。
"いただく"は謙譲語で自分がへりくだり相手を持ち上げる言葉。
"お願い"の言葉も丁寧語かつ、強制力がなく友達感覚。
願ってお祈りされても一部の人達は構わず海外旅行やライヴハウスに行く。この言い方だとナメられても仕方がない。
コメンテーターの交わす会話や話し方の方が多少言葉が荒くても臨場感や緊急性がずっと伝わってくる。
対して英語圏だと禁止の意味を伝えるときはDon'tやNo、命令形を使い、口調の強さによってその否定度を示している。
この状況で海外の人達がPleaseなど丁寧で軽い言い方をするのは聞いてない。
同じ内容・目的を伝えているはずなのに、心の響き方が違うから思ったような動きがとれない。
嫌われたくない、印象を悪くしたくないと思ってせめて言葉遣いだけでも丁寧にしているのかもしれないが、しっかり国民のことを考えた行動に移す方がよっぽど印象はアップする。
英語圏だと”好き”も”愛している”の言葉も全て「Love」の1単語で表わしている。
有名な「月が綺麗ですね」の台詞も「Love」で置き換えられるだろう。
文学に知識がない私も、現実にこう言われたとして多分「あぁそうですね」と返すに違いない。
それほど英語表現はストレートに心に刺さる。
文法や言葉の多さ・意味が多様な日本語は良い反面、ガツンというには力が弱い。
時間があり余り、英語学習に時間がさける中思った感想でした。
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