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社会人とかいう曖昧な定義を考察してみた

【社会】: 
① 人間の共同生活の総称。また、広く、人間の集団としての営みや組織的な営みをいう。「社会に奉仕する」「国際社会」
② 人々が生活している、現実の世の中。世間
③ ある共通項によってくくられ、他から区別される人々の集まり。また、仲間意識をもって、みずからを他と区別する人々の集まり。「学者の社会」
④ 共同で生活する同種の動物の集まりを1になぞらえていう語。
➄ 「社会科」の略。
(出典:デジタル大辞泉)

「社会人」と聞くと
『1人で生活できる程のお金が貰える、責任のある行動が必須』
などが
中学生でもパッと浮かぶイメージだ。

実際に「社会」の意味をみると
主に手段に重きを置いた意味だと推測される。


意味①~④を総合してみると
集団/組織の中で、ある集団のために営み(=社会)をする人
を社会人という。

※【営み】
1 物事をすること。行為。作業。「自然の営み」
2 生活のためにする仕事。生業。「日々の営みに追われる」
(出典:デジタル大辞泉)



あれれ~??おかしいぞ~?
金銭や責任感なんて内容、「社会」の意味合いに含まれてないのに
僕ら、間違った「社会人」のイメージしてない?(コナン風)


例えばマーケティングにおいて
蘭姉ちゃん達が創り出す文化やトレンドは
多くのマーケターの行動源に重要だよね。

敏腕アルバイターとして働いている
学生や主婦の人達のおかげで営業できている所もあるって
博士も言ってたよ?

そう考えると社員として働く人以外も
社会人って言えるんじゃない?



なぜ社会人のイメージはズレているのか。
そもそも社会人は何者なのか。


まずなぜイメージと違うのか。

それは、貨幣経済の普及を起点に
人間と世界が豊かになることの快感を覚えたこと、

そしてその快感をもっと味わうために
多くの人の助けを得ることが必要になり
集団が巨大化した結果、
人が増え、リーダーが現れて統率して、責任感なるものが
社会人として必要だと定義されたからだと思う。


金さえあればより快楽を得られる、
初めは小さい集団の中で金と引き換えに豊を与え、
もっと金が欲しい、金があればより良いものができる、
もっと買ってくれる人を増やすため集団がどんどん広くなる。
1人じゃ間に合わないから仲間を作る、
リーダーができて権威を得る・・・・。


というように欲望の沼にズブズブはまりながら、
新しい社会/集団を生み出していく。


そんな人を”社会人“と呼ぶ根幹になったのではないか。
正社員になってやっと一人前である認識もこの1つだろう。


では、現代で社会人は何を指しているのか。


私が思うに、ある人・集団のため、
意識的に自身が作り手となって
お互いに利害関係を一致させている人達を指すと考える。


トレンドを生み出す中高生は
基本自分が楽しむために発信しているだけで
マーケターの力になるのは副産物である。

最近は学生でもクラウドファンディングを使って
プロジェクトを立ち上げたりして
意識的に、金銭や商品と引き換えにして作り手になる人が多いため
ますます社会人と呼べる範囲は広くなっている気がする。


まとめ
社会人として~云々と説いてくる大人に違和感を覚えて
今回の記事を書いたが、
単に学生の時と外部環境が変わっただけで
「生きるための活動をする」根幹に変わりはない。

曖昧な日本語文化らしい言葉、「社会人」の分解でした。

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