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想像出来ないから未来と言う。

ある同い年の奥様が、「私は主人のことが大好きなんです。だから、<生まれ変わってもまた一緒になりたい!>って言ったら、<僕は今、生まれ変わって7回目だから、次は無いよ>って、言うんですよー」という話がとても好きで、ずっと心に残っています。
なんだかとても粋な旦那様だなぁ、と。奥様が大好きになるはずだなぁ。
そうなると、私の今は果たして何回目なのかな、って時々思います。
私の予想では、今は7回目です(決して私も自分が粋だというわけではありません)。

ミライというのは、歳をとっていくとある時期あたりから、希望より不安、現状維持というモノになります。でも、それが悪いとかではなく、それは当たり前かもしれません。でも、そこからちょっと「突き抜けたい」野望を持った私は、根拠のない「希望」を持って、今慎重になりつつも、その「突き抜けたツノ」を大事にふきふきしながら、ミライの実現に向けて動いています。

私は今、近しい人には誰にも言っていない「突き抜けたプロジェクト」があります。誰にも言えないのは、もしかしたら失敗するかも、という不安があるのと、ちゃんとスタート出来る!という段階で公表したいからです。
普段の私は有言実行タイプなので、「誰にも言わない」というスタイルはとてもハラハラしています。同時に大事な人にも言っていないので、やや申し訳ない気持ちもあります。なぜなら、そのミライが実現する場合、物理的に離れることになるからです。

でも、それでも私には、もう今動かないでいつ動くんだ!と突き動かされるきっかけがあったので、もう後ろを振り返ることなく、ゆっくりでも前に進もう、と決めました。

皆さんは、どんな時に「これは自分の転機だ」と思いますか?

大小さまざま、人には転機というモノが訪れます。
他力的な力や自分の意思など、きっかけもさまざまです。
その「転機」によって、自分の「ミライ」が、変わるんです。
いや、「変える」んです。自分で。

これまでの私は、無事に進学して自分の道を歩んでいく息子、器が広くて気の合うパートナー、週末に合う趣味の仲間たち・・・そういう人たちに、「幸せにしてもらっていた」のだと、気が付いたんです。
幸せな時間、体験、成長する姿、やさしさ、思いやり、遠出、プレゼント・・・
たくさんの幸せを、もらってきたんです。
でも、「自分が本当にしたいこと」を、小さくしていた。
小さくてもいいのかも、って。大きくしようとすると、この幸せのバランスが、崩れるかもしれない。だから自分は、自分の野望は抑えめにして、この幸せを享受していよう、と。

でも、それはもう卒業しなければ、と気づいたんです。
本当の意味で自分を幸せに出来るのは、自分なんだと。

だから、突き抜けたミライを創造するために、これまでと違う生き方を目指して、今進み始めています。
年齢のせいにして安定を維持するのも間違いじゃないし、周りに余計な心配をかけたくないから挑戦しないのも、やさしさだし。
でも、それはきっと「他人ありきな自分」という軸かもしれない。

約10年前に、他界した母は、とても器用で、自宅でレストランをやりたい、と言って調理師の免許を取り、
洋裁が得意だから一通りなんでも教えてくれたり、
油絵をやりたいから画材をそろえたり、
とても器用な人だったのに、どれも「中途半端」で、自ら去りました。
だから、私は一つだけでも、極めたいんです。
それは、母の無念を晴らすとか、偉そうなことではありませんが、それと似たものかもしれません。

母が見たくても見ることを諦めた「ミライ」がある。
だから、それを私が、叶える。
そこが私の根っこには、あります。

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