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シラサギの飛び立つとき-2|小説

 そうして気づけば三日が過ぎた。残すところあと三日。半分を超えたが、漫画はほとんど読み終わってしまった。この家には娯楽が全くなかった。本当に、テレビとモノポリーくらいしかない。イリヤに普段は何をして過ごしているのと尋ねると、他の友人の中にはゲームやコミックをたくさん持ってる子もいるけど、だいたい皆外でお酒を飲んで遊ぶから困らないと言われた。たしかにイリヤは初日の晩は私たちのために夕食を共にしてくれたけれど、次の日以降は夕食にいないことが多かった。
 手持ち無沙汰に、周とのメッセージのやり取りを見返す。最後のやりとりは一ヶ月前、中身のない世間話だ。頻繁ではないが、メッセージのやりとりが続いていることに少し安心する。周とは小中学校と同じだった。高校から彼は他県のスケート強豪校に通ったけれど、年に一回は帰省してきたし、私も地元の同級生を連れてたまに周の方に遊びに行っていた。振った振られたくらいで十年来の幼馴染を無くしたくはなかった。
 周に雪景色の写真でも撮って送ろうかと思い、コートを着て一階に下りると、イリヤが居間で遅めの朝食をとりながらパソコンを開いている。この時間にイリヤが家にいるのはめずらしい。
「今日は大学はないの?」
「うん。今日は休みだから。あれ、チャイカはやっと滑る気になったの?この前来たときはよく滑ってたよね」
 コート姿の私を見て滑りに行くと勘違いしたのだろう。
「いや、スケートはあんまり気分じゃないかな」
「じゃあ散歩?」
「そういうわけでもなくて、写真を撮ろうかなって。……友達に見せる用に」
「ふうん……」
 イリヤは何か言いたげな顔だ。母にも同じようなことを言われたが、前来たときはそんなに滑っていたのだったか。やめた数か月後に滑り通しとは未練がましいやつだな、と自分ながらに思う。怪我のことだって、どうしていたのだろう。
「スケート靴は家の隣の物置にあるからね。自由に使っていいから」
 頼んでもないのにイリヤにそう言われ、面食らう。ともかくお礼を言ってブーツを履く。イリヤは昔から大人びていた。年は一つしか変わらないのに、イリヤにはなんでもお見通しだった。私は一人っ子だから、イリヤは私にとって遠い国にいる兄という感じだ。
 外に出ると冷たい空気が容赦なく私の体を襲う。踏み出した一歩目ではやくも外出を後悔しながら、周囲を見渡す。一面雪景色なのは昨日も一昨日も変わらない。ここ最近はたまに雪が降っても吹雪くことはなく、過ごしやすい気候でありがたかった。はるか遠くの方に、靄にかすんだ稜線が見える。手前の方には牧草地や畑などがあるのだろうが、全て雪に覆われて白い地平線の一部となっている。私は一枚写真を撮って、その場で周に写真を送った。
 振り返って、物置の方に向かう。なんとなく、滑ってもいいかなという気分になった。というより、スケートをやめた直後だというのに滑っていた過去の自分に負けてられないという気がした。当時の記憶はないけれど、母やイリヤによれば私は滑っていたのだ。意地を張って、感傷に浸っている今の自分が恥ずかしい気がした。
 物置は少し雪に埋もれていた。戸が開けられるように手前の雪をスコップで軽く雪かきしてから、転ばないように気を付けて戸を引っ張る。薄暗い物置の中で、すぐにスケート靴は見つかった。ためしに履いてみると、少し大きいがきつく紐を締めれば滑れないことはない。
 スケート靴を持ったまま、一度家に入る。イリヤに「やっぱり滑ってくる」とだけ言って、またすぐに家を出た。後ろからロシア語で「いってらっしゃい」と聞こえた。


 一番近場の湖にやってきた。北国ではどこも、冬になると湖の上には氷が張って、近所の子供がそりをしたりスケートをしたりして遊ぶものだ。私は軽く屈伸をしてから、スケート靴を履いて、そろそろと氷の上を滑り出した。何も考えずに足を交互に差し出す。スケートリンクのように氷が平らに均されていないので、ごつごつと氷のかけらが刃に当たる。あまりスピードは出せない。完治しているとはいえ、怪我をした足首のことも気になる。慎重に、習いたての子供みたいにゆっくりと滑る。
 滑るのは二年振りだけれど、体は覚えていた。慣れてきたらある程度スピードも出せる。風を切る感覚がする。体が火照ってくる。スピンもジャンプもステップもしていない。ただ単調に滑っているだけなのにどうしてこんなに楽しいのだろう。氷の上をすべるというのは不思議な感覚だ。スケートは動作だけは歩くのと似ているけれど、その半分くらいの労力で、何倍も遠くへ進める。そういえば、昔からプールの授業も好きだった。泳ぐとか、滑るとか、体全身の力を使ってぐんぐん前に進んでく感じが好きだ。
 無心で滑り続けた。しばらくすると息が上がってきた。大学に入ってからまともに運動していないし、ここ数日はほとんど外にも出ていなかったから、こんなものだろう。湖畔に戻って少し休む。スマホを見ると二時間近くは経っている。そんなに滑っていたのか。よく見れば東の空が少し暗くなりかけている。急いで靴を履き替えて帰路に就いた。


 翌朝、目が覚めるとどこもかしこも体が痛い。あんな少し滑った程度で筋肉痛になったのかと悲しくなる。体を動かすのが億劫だったが、ともかく朝食だけは食べに居間に下りる。朝食はパンケーキ、ここにきてから毎朝これだ。家族と適当に喋りながら、もそもそと曾祖母の作ってくれたパンケーキを咀嚼する。外を見ると雪が降っている。この勢いだと今日は滑れないなと思う。あれだけ滑ることを拒絶していたのに、一度滑ってしまうと結構やる気になるものだなと自分に苦笑いする。
 二階の寝室に戻って漫画をぱらぱらとめくる。あまり読む気にならない。外に降る雪を眺めながら、怪我をしたときのことを思い出す。高校二年生の夏。発表会前の練習で、曲はベートーヴェンの『春』だった。調子も良かったので通しで滑ってみようとコーチに言われ、演技の後半のトリプルルッツで着地に失敗した。右足首からの破裂音。この痛みの感じはねんざの類ではない。脂汗がどっと流れて、靭帯が断裂したと直感した。前々から医者には、右足首に変に圧力がかかっているからいつ故障してもおかしくないと言われていた。
 これでもう終わりだと思った。怪我の痛みに脳がぐらぐらしながら考える。靭帯の損傷なら、治療をすれば過不足なく歩けるようにはなる。しかし、またすぐにフィギュアをやるためには再建手術をしなければならないだろう。大会に出られても万年予選会止まりの自分の成績では、きっと両親はうなずいてくれない。むしろ、大学受験の勉強はどうするんだとせっつかれていた矢先の事故だった。もう少し慎重に跳んでいたら。怪我をした右足首を両手で支えるように氷上に座り込む。コーチが私の方に駆け寄るまでの時間は永遠のように感じられた。涙すら流れなかった。
 案の定、フィギュアはそれきりになった。それから二か月ほど松葉づえで過ごしてから、受験勉強に本腰を入れて、その間にこの曾祖母の家に来たりして、受験をして普通の大学生になった。
 外を見ると晴れていた。筋肉痛も大分和らいでいる。滑りに行こうとダウンコートを羽織って一階に下りた。


 今日も、昨日と同じようにまっすぐ滑るだけ。足を交互に動かす。前へ滑る。動かす。滑る。これを繰り返す。ふと立ち止まって、助走をつけてから軽くスピンをしてみる。覚束ない。軸足もぶれているが、一応回ることはできた。軽く達成感を覚える。そうだ、スポーツとは本来絶え間ない筋肉の運動で、ある一定のラインに到達すると達成感や充足感が得られる、それだけの行為だったはずだ。
 対して高校生の頃は、苦しかった。練習している真っただ中では気がつかなかったが、常に感じていたあの呼吸の浅さは苦しさだったのだ。コーチに叱責され、疲労でうまく体が動かなくても無理やり動かして、曲の解釈がなってないと高次元のことで叱られて、めちゃくちゃになりながらひた走っていた。
 周の存在もだ。彼は昔からスケートが上手だった。環境は近いはずなのに、才能の有無でここまで成績が離れるものなのかと現実を突きつけられた。お互い家が近所で、車で20分の同じリンク場に送り迎えしてもらっていたし、小学校四年生まではクラスだって同じだった。けれど、彼はスケートを愛する才能があって、努力する才能もあった。親からの金銭的援助も手厚かった。気がつけば隣にいたはずの周はカナダに留学して、ついこの間はグランプリファイナルに進出した。対して私は、ロシアの僻地で、ガタガタの氷の上で怯えながらスピンをしている。


 周はスケートが大好きだった。というより、スケートバカだった。小学生の時のこと、私がクラスの子に意地悪されて泣きながら下校すると、帰り道に周が待っていて一緒にスケートをしようといつものリンク場に連れて行かれた。
「なんでこれからスケートなの?夜ごはんに間に合わなくなっちゃうよ」
 周の親の車に乗せられながら、半べそをかいた私が周に尋ねる。
「だって、かもめちゃん、元気ないかなって。元気がない時はスケートをすべるでしょ。すべってると嫌なことぜんぶわすれちゃうもん」
周がもじもじしながら言う。
「そうかなあ」
 この時の私はあんまり腑に落ちなかった。けれど、周は一緒にスケートを滑ることが一番の励ましになると思っていたのだ。
 それから、ほとんど人のいない閉館間際のリンク場で、手を繋いで二人で滑った。当時話題だったアイスダンスの演技を真似してみたり、追いかけっこもした。たくさんこけて、笑って、帰るころにはたしかに元気になっていた。


続き


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